現 住 所
 広島県府中市。備後国府の置かれていたところです。
大学生時代4年間、地元を離れただけです。


生年月日
 1945年10月21日
 終戦直後だったのと、水害の影響で栄養失調児に。そして何度も大病を重ね、その都度三途の川を渡り損ねて未だにこの世を彷徨っています。

 
趣   味
 音楽鑑賞・パソコン・TVやDVD-VIDEOで洋画鑑賞、それとデジカメによる写真撮影。


履   歴

 1964年
 親父は私を弁護士にしたかったのですが、私が嫌で法科の大学を一つ合格したところで、自分の生きたい道を行かせてくれと頼み込み、教師になるために玉川大学へ進学しました。

 1967年
 中・高の教員になりたかったのですが、就職が難しいと言われ、4年になって小学校に鞍替え。忙しい4年生を過ごしました。

 1968年 〜
 新任は隣福山市の一番東にある小学校へ。2時間の通勤距離でした。

 1970年
 幼稚園教諭だった妻と結婚。

 1971年 〜1999年
 地元府中の小学校教員となり、大規模校から僻地校まで経験し、担任11年・教科専科など10年。91年には教頭、96年1月より校長となり、99年12月6日病気退職。

 2001年
 6月13日、娘が男児出産、お祖父ちゃんになりました。

 2004年
 
3月20日、娘が第二子を出産、男孫二人になりました。

 2006年
 11月1日 新しい介護事業 ケアビレッジ 「ダイキチ」の運営を始めました。社長が妻、施設長は長男。私は一応会長ということになっています。

 2007年
 2月24日に長男が結婚しました。お嫁さんは理学療法士でケアマネジャー。11月からは勤めを辞め、施設長として息子と一緒に介護事業の方を運営してくれています。

 4月20日、娘が第三子を出産。男孫三人になりました。

 2011年
 2月27日長期入院していた母が亡くなりました。享年93歳でした。


病  歴
 栄養失調で育ったせいか、病歴には事欠かきません。
  
 2歳児
 乗せてもらっていた自転車より転落し、右手中指を後輪のギアとチェーンの間に挟まれて切断寸前。 6歳児に再手術をしましたが、当時の医術ではそこまでか、未だに指は曲がったままです。でも、ちょうどいい曲がり具合なので、あまり不便をしたとは思っていないが、じゃんけんだけは左手を出していた。野球やソフトのボールは、指が引っかかりうまく投げられなくて、ほとんど左投げ。ピアノやキーボードも打ちづらいです。

 17歳
 人並みに虫垂炎。割腹したら癒着していたため人より長く入院。それでも退院してまだガーゼがとれない内に、校内水泳大会に出て医者には父親以上に怒られたことです。

 19歳
 右肘軟骨遊離(関節マウス)で、東大付属病院分院で入院手術。大豆大から山椒の実の大きさまで3個も出てきたので、医者もびっくりでした。家族から離れての入院生活、正直言って寂しいものでした。

 37歳
 6月、朝食を摂っているとき、生まれて初めての心臓発作を起こし、救急車で救急病院に運ばれる。狭心症と診断。2週間の静養の診断をもらいました。
 まだこの時は事の重大さには気がつきませんでした。

 39歳
 7月二度目の心臓病再発作。発作の治まらない内に医師が駆けつけ、心電図に異常を記録することがでました。
 「アダム・ストーク症候群」と診断。即入院。発作が繰り返されるため、一夜明けて岡山国立病院へ救急車で移送されました。
 
 カテーテル検査の結果、冠動脈にケイレンが起きて、狭心症と同じ症状を起こす「異形狭心症」だとのこと。
 一ヶ月入院している間に服用する薬合わせをする。その結果8時間おきの服用となりました。

 しかしその後もしばしば発作に見舞われましたが、ニトロを飲むと何とか治まっていたので、ガマンしていました。

 40歳
 8月午後6時頃、夏休み中の子どもの様子を見るための家庭訪問の帰り(その日はオートバイで通勤していた)、家の駐車場の直前で信号待ちをしている時に心臓発作を起こしました。
 何とかオートバイを駐車場に入れ、家に駆け込むように、二階に上がりました。運良く娘が帰宅しており、私は「医者へ電話と母さんに。」と言って、居間へ入るなり倒れ気を失しなってしまいました。
 気がつくと、医者と家族が枕元に。掛かり付けの病院からまたも国立へ救急車で移送されました。
 国立病院でも数日間発作が治まらなく、とうとう真夜中に自宅に帰っていた主治医を呼び戻し、緊急手術です。臨時のペースメーカーの外付けをしました。
 ちょっと落ち着いたところで本格的にペースメーカーを右胸に植え付けました。それと6時間おきの服用と薬の量も増えました。
 
 42歳
 始業式前日、髄膜炎のため3ヶ月入院、もう一日送れていたら脳が冒されていたとのことでした。
 この度も掛かり付けの病院の院長に助けてもらいました。

 44歳
 国立病院へ共済組合に提出する証明書類を作成してもらうために行きました。
 ついでに検診を受けたところ、なんとペースメーカーの故障しているのが発見されたのです。
 急遽ペースメーカーを入れ替えるために、数日後入院手術をしました。定期検診まで待っていたら大変なことになっていたでしょう。

 45歳〜48歳
 この4年間に3度、両足の膝半月板損傷で、夏休みに手術をしました。

 49歳
 膝関節の痛み止め薬の副作用で、急性胃潰瘍となり、入院。胃に穴があく一歩手前でした。
 薬が胃壁にこびりついてできたようです。それで一ヶ月入院を余儀なくされました。

 50歳
 8月18日、娘の嫁ぎ先京都府宮津市(天橋立で有名)に妻と行っての帰り中国自動車道加西サービスエリアに車を止め、エンジンを切った途端に脳梗塞に見舞われたのです。
幸運にも搬送された病院に専門の医師がいたため、運が良かったです。全く動くことができない状態で、呼吸困難となり気管切開までしましたが、一命を取り留めることができました。リハビリの療法士も揃っていたので、リハビリが何とかできるようになるまで快復することができました。

 40日後、地元近くの脳専門病院に転移し、本格的に回復治療とリハビリをしました。
 この病院で、椅子から一人で立ち上がり、平行棒に頼って歩けるようになるまで快復。四ヶ月後、年が明けて一月末に退院することができました。

 退院をしてひと月もしないうちに、嚥下ミスによる肺炎(肺に水がたまる)を起こし、またまた一ヶ月入院となりました。

 リハビリをもっとしたいので、5月2日広島県立リハビリセンターに入院しました。
 この約四ヶ月の入院の間に、杖で5メートルほど歩けるようになり、腕も肩の高さまで上がるようになったのです。そして何とか喋られるようにもなったのです。

 退院後は、地元の外科病院でリハビリを続けました。


 54歳
 6月2日、食道下部にカンジダ発生(常在菌とのこと)。
 ものが通りにくくなるし、舌は真っ白になるし、食べ物は浸みるし、治るのに2週間掛かりました。

 6月20日腸閉塞のため入院。詰まるということはこんなに苦しいこととは知りませんでした。熱も出たのでしんどさ倍増でした。
 内科病院に入院していたのですが、このままだと外科処置が必要になりそうだということで、共済病院に救急車での転送と相成りました。
 おかげで腹は切らずに済みましたが、検査検査で2週間の入院がとても長く辛いものでした。

 7月5日、腸閉塞が治り退院したその翌日、今度は前立腺炎とセラチア菌感染で掛かり付け病院に緊急入院。
 熱が38度4分から39度までと高めの熱が5日も続いてちょっとしんどかったです。
 熱が下がってからは、炎症が治まるのと、菌が無くなるのを待つだけだったので、少し退屈でした。8月4日に退院。
 ずっと寝ていたので、筋力が落ち、またリハビリが大変でした。


 55歳
 5月18日、また肺炎で入院です。肺炎が治ったかと思うと続けて急性前立腺炎となり、結局一ヶ月入院する羽目となりました。

 8月6日よりペースメーカーの埋め換えのため、今度は国立岡山病院に入院手術。それと薬を変えたので、その調整をするため、3週間入院しました。


 58歳 〜

 脳梗塞の症状も安定しており、脳梗塞の定期検診も受診しなくてもよくなり(2003年9月から)、また心臓の方もたいしたこともなく(ちょこちょことしたことはありますが、大事には至らず)、何とか落ちついて過ごすことが出来ました。
   
 2004年7月より、リハビリの担当の先生が週一度、地方私立医科大学では有名な川崎医科大学の先生に指導を受けるようになりました。

 2005年4月より病院の改革により、リハビリ担当の先生が替わりました。

60歳
 2005年10月21日
 お陰で還暦を迎えることが出来ました。

61歳〜
 2006年2月14日
 ひどいめまいに襲われ、医者の往診を受け、次の日に「メニエール」との診断を下されました。
 幸い数日で治まり、ほっとしました。その後も疲れすぎるとメニエールを起こすようになってしまいました。

62歳〜
 2007年7月25日
 自分の部屋の前で転倒。後日肋骨二本折れていることが判明しました。2週間たった頃また転び、付きはじめていた箇所が今度はずれてしまいました。結局良くなったのは9月になってからでした。

 2008年7月17日
 7月に入ってから心臓発作を起こすようになり、ついに7月17日地元の病院より岡山医療センターに救急車で移送され、カテーテル検査の結果冠動脈の一本が詰まっていることが判明しました。すぐにステントの装着をし、事なきを得ました。またまた命拾いをしました。

63歳〜
 2009年1月21日
  ステントの経過を見るために岡山医療センターに入院、カテーテル検査。結果は良好で安心。

      8月11日
 ペースメーカーが不良品で交換が必要なことが分かり、交換手術を受ける。全てメーカーの負担でしたが、痛い目をしただけイヤでした。でも交換時期もきていたので、言えないですね。

64歳
 2010年6月22日
 左上腕部の肘関節近くに突然膨らみが出来、痛いので診てもらったところ腫瘍が出来ていて切り取らなければならないだろう、と言われました。しかしこの医院では出来ないので、共済へ行くように言われ共済病院で診てもらいましたが、「切り取るとなると相当リスクが高くなる。心臓病と脳梗塞の薬を飲んでいるので(ワアファリン・バイアスピリン・・)、手術をするとなれば外科・脳外科・循環器科によるチームを編成しなくては出来ない。それに出来ている場所は神経の密集しているところなので非常に難しく不具合が出る恐れがあり、腫瘍が大きくならなくて痛みも引くようだったら手術しない方がよい。」と言うことで経過観察となり、現在は腫瘍も少し小さくなっており、普段では痛みもない。手術しないで助かりました。

65歳
 2010年10月23日
 大腸検査を11年ほどしていなかったので検査してもらいました。前回の時ポリーブがあると言われていたので心配でもあったからです。
 もちろん血が止まりにくくなる薬は一週間中止してからです。結果3個ほど切り取りましたが、一つ大きなのが内視鏡で切り取ることが出来ないので手術をしなければならないかもしれないと言われビクビクしていましたが組織の精密検査の結果良性とのことで、またまた手術しないで済みました。
 おかげで2010年は入院することなく過ごせました。

66歳
 2011年1月20日
 左肘の腫瘍が痛むので、今度は岡山医療センターで診てもらいました。結果は学校共済中国中央病院での診断と同じでした。やはり痛みとも痺れとも上手に付き合うしかないようです。
      7月8日
 左太ももに出来た脂肪の塊を妻が絞ったあと化膿し、外科病院で麻酔もしないで摘出されたことです。しばらく入浴も出来ないで困りました。

2012年1月。
 最近頓に歩行困難になったので外科医で相談したところ、病院でのリハビリが再開となりました。2007年の転倒骨折以来、何度も腰を痛めそのたびに歩いていなかったので、どんどん歩行困難になってきていたのです。ちょうど今まで旅館から出入りしていた扉を閉じなければならなくなって(隣の市でのホテル火災を受けて)しまったのですが、リハビリのおかげで数段の階段も上り下りすることが出来るようになってて助かりました。約5ヶ月のリハビリでしたが、随分歩けるようにはなりましたが、元のようには回復しませんでした。

      5月
 胃カメラを飲みました。どうも胃の調子がおかしいのと、三年ほど胃の検査を受けていないので受けました。結果は胃そのものものは異常はなかったんですが、逆流性食道炎になっていました。また新しい病名をもらいました。