4.快復へ


 自律神経失調のため今度は、汗をかき出しました。これが並の汗ではありません。まるで濡れたままの寝間着を身につけてような汗のかきかたです。寝間着を着替えても着替えても汗は出るばかり。一日以上続いたのではないでしょうか。喉に詰まらせてはいけないので、水は飲めません。口の中を拭う綿棒で唇を拭うだけです。
 
 症状が落ち着いてきだし、頭や体も洗ってもらえるようになりました。恥ずかしいですが、動けないのでおしめです。便秘がちになり、下剤や浣腸で無理矢理出したり、おしっこはカテーテルをしています。
 看護婦さんがとても気のつく優しい人ばかりで本当に助かりました。妻も助かったと思います。
 頬が固まって動かなくなってはいけないと、使用済みのビニールの小さな点滴容器に水を入れて凍らせたもので、頬をペンペンとたたいて刺激を与える処置を続けました。痛い・冷たい・熱いなどの感覚は失ってなかったので、それをやられると最初は冷たさに耐え、次に痛さに耐えました。でもそのおかげで口が開くようになったのですから。
 口が開くようになってから、凍らせた綿棒を口の中に入れて口の中をしめらせることも出来るようになりました。それが進むと、直接氷の固まりを口に入れてもらえるようになりましたが、気をつけないと水が気管のほうへ入るので恐る恐るです。
 相変わらず、痰が出ます。チューブを呼吸器の中に差し入れて取るのですが、妻も看護婦さんに教えてもらって出来るようになりました。

3週間ほどたった頃から、何とか口からものを入れられないものかと試みを始めました。氷菓子のみぞれを口に入れたり、フルーツゼリーを口に入れてみたり、ちょっと過ぎるとやはり気管のほうへ入っています。気管へ異物がはいると急性肺炎や急性肺炎を起こして熱が出ると、この練習もストップ。
 順調にいきだしたから、流動食を始めたもののやはり、熱が出て注し、結局加西にいた40日間は点滴だけでした。<BR>

 回復し出すと、妻も少し楽になり身の回りの者の買い物や、郵便局などへ行きたくなり(病院への支払いも出てきたし)、私を置いてきぼりにするようになりました。
 初めての時はとても不安で帰ってくるまで気が気ではありませんでした。どうやって看護婦さんを呼べばいいのか、妻のように目を見て感じてくれるというわけにはいかないだろうし。病院は高台の上にあるので、歩いて降りなければならないので結構時間が掛かるのです。始めはすぐ戻ってきていたのが、私が慣れてくると、せっかく降りたんだからいろいろと買い出しなどもして帰るから余計に時間が掛かる。看護婦さんからは「寂しいでしょう。」といって冷やかされるし。娘が来たときなどは二人で買い物を楽しんで帰るのですから、遅くなります。私の気持ちも知らないで。
  家業が忙しくて母親ではどうにもならないときは、丁度まだ次男が夏休みで家にいたので、妻と交代。加西は交通の便が悪く、車の免許のない妻は一旦姫路までバスで出てそれから新幹線に乗り、福山まで、そこで福塩線に乗り換えて府中まで、乗り継ぎがうまくいっても3時間掛かっていました。
 次男と変わってもいてくれるというだけで、妻のように意志の疎通は図れません。それでもやはり息子、いてくれるだけでありがたかったです。妻は一晩旅館の仕事をするととんぼ返りで病院に帰ってくれます。大変だったと思います。

 3週間過ぎた頃から担当医に地元のほうに転医したいと妻が言ったところ、「症状が一段落したからいいでしょう。」ということで、転医する病院探しを家と連絡を取って決め、そのため妻はその病院までCTネガを持って受け入れてもらうようお願いに福山まで行ったり、転送するためのベッドタクシーの予約に姫路まで行ったりし、日程も付き添いの医師の予定と併せて決定しました。