7.太田での入院生活


  くたびれてぐったりですが、ここはICUだから付き添いは無しです。食事の時の一時間だけ家族に会えます。でも初日は、家族は安心したのか帰って私一人きり。ものが言えない、今まで一人でほって置かれたことのない私は不安一杯。ナースコールを持たされてもそのボタンがなかなか押されない、何度も試して、その都度看護婦さんが来て、喉の痰をとってくれましたが、本当に怖い面もちでした。
 食事も初めての流動食がその日の夕食から早速出ました。怖くてなかなか喉を通りません。でも看護婦さんはそんなこと気にするでもなく次から次へ飲ませます。よく喉につかえなかったものです。あとから判ったのですが、トロミを入れてドロッとしてあり飲みやすくしてあったのです。
 夜の長かったこと、長かったこと、ほとんど寝られませんでした。
 次の日にはリハビリの先生が来て、私をベッドに座らせ、「よし、これならすぐにリハビリ始められる。」と言われ、本当に入院三日目からリハビリが始まりました。
 昼と夕食の時には、息子(長男を東京から帰していた)が面倒を見てくれました。朝はやはり看護婦さんのお世話です。
 五日目くらいに一般病室へ移されました。それも運良くか訳あってか一人部屋に入れられました。そこには2ヶ月半ほどいました。<

 朝10時半頃に家族が世話をしにやって来ます。それが待ち遠しくて、待ち遠しくて。朝食は看護婦さんに食べさせてもらっているため、どうしても後回しになり、8時過ぎから食べ始めて、終わるのが9時頃。それから吸引。その前後に点滴。そこに家族がやってくるという具合です。
 加西で股に埋め込んでいた点滴用のスロットがあるうちは点滴も楽だったのですが、どういうわけか、それが取れてしまい、それからは手にされるようになってしまい、元々血管が浮きにくいたちなので、針がうまく入らなかったり、液が漏れたり痛い目に遭いました。
 
 ハビリは主任の女先生、とても優しく、そしてとても厳しくリハビリ指導をしてくださいました。午後4時くらいから30分ほどです。 まず、体をもんだり、痛くない程度に手足を伸ばしたり、縮めたりしておいてリハビリ本番。90度垂直に立ち上がるベッドに縛られて、立ったときの感覚を取り戻す訓練も始まりました。そして腕を伸ばす訓練、これが一番辛かったかな。痛くても容赦ありません、先生が少し手伝うふりをして伸ばされる。痛いとばっかりは言えないので、我慢。
 そんなことの繰り返しでしたが、車椅子に座っても腕は肘から上には上がらなかったのが、ほんの少しずつだけど上がっていくようになるのですからすごい。車いすを自分では動かせなかったのが、ほんのちょっとずつだけど動かせるようになり、一月半もすると、リハビリ室から病室までの約30メートルばかりを10分ほど掛けてですが一人で帰れるようになりました。先生に言わすと、「あなたのやる気がそうさせたのよ。」とのこと。よく、リハビリは大変だといわれますが、本当に大変です。支えたのは、何とか動くようになりたいという一心から痛いのも辛いのも我慢できたのだと思います。

 二週間ほど経ってくると太田病院での生活もリズムがつき、落ちついた病院生活を送れるようになりました。点滴も流動食から固形食に変わってからはなくなりました。
 ところが困ったことが一つあります。それは、すごい便秘に悩まされたということです。<BR>
 体の中心部分に力が入りにくいのに加え、動かない体で、便が堅くなって出てくれないのです。仕方なく看護婦さんに肛門に手を突っ込んでもらって、便をほじってもらうのです。これが堅いのだからとても痛い、終いには痔になってしまいました。
 しかし、下剤を飲み、リハビリが本格化してくると便も軟らかくなってきてやがて治まりました。未だに下剤は飲み続けています。

そのうち息子も東京に帰り、病院へは母と妻が交代で来るようになったのですが、私としては妻のほうが意思の伝達が良く出来るので、母が来た時は何となく素っ気なかったように思います。それでも母が帰る時は、間際になってわざと世話をさせたりしてバスの便を一便遅らせたりさせたものです。

 ひと月ほど経った頃リハビリの先生が、「ワープロを打っていたのだから、しっかりこれを打って意思の伝達に使いなさい。」と言って器械を一つ貸してくださいました。それは、ワープロのキーボードで、ひらがなを打つと音声に変換してくれる器械です。
 まだ手が少ししか伸びない状態でしたが、それこそ痛いのをこらえてキーを打ちました。【あ】を打った次に【い】を打つのが大変。なにせ手が伸びないのですから、必死でいたいのをこらえてやっと打つという具合。これが良かったのか、腕の伸びも早くなったようだし、意思の伝達も楽になりました。>

 車椅子にしっかりと座れるようになって、発病以来初めて散髪をしてもらいました。それから二ヶ月近く経って風呂にも入れてもらえるようになりました。喉の切開している部分にビニールをかぶせ、お湯が入らないようにテープで貼ってからです。お風呂と言っても自分は動かないのですから、ベットに寝転がって、それがお湯の中につかるというものです。そして看護婦さんが体を擦ってくれるのです。何か自分がどんどん回復に向かっていくようで凄くうれしかったです。

 日曜日も午前中家族の来る前に、看護婦さんに車椅子に乗せてもらい、一人リハビリ室で、腕を伸ばしたり、上げたりする訓練をしました。輪投げなどが格好の良い道具のなります。そうしていると家族が来る。午後は家族がいるので、一人ではできない車椅子から立ち上がる訓練をしたりしました。
 喉に付けていた呼吸器もはずされました。傷口を縫うのかと思ったら、自然に口がふさぐとのこと。本当に一週間もするときれいにふさがり、人間の再生能力もたいしたものだと感心したものです。