10.県立リハビリセンター病院での生活


 この病院はリハビリをするために入院したのですから、ふつうの病院と違い寝間着ではなく平服を着て一日を過ごします。もちろん自立できるように、その訓練も平行して行われます。ですから会いに来るのは許されますけど、前の病院のように付き添いはできません。

 朝看護婦さんに手伝ってもらいながら寝間着から平服に着替え、夜はまた手伝ってもらいながら寝間着に着替えるのです。でもいつまでも看護婦さんは手伝ってはくれません。
 「自分で着れない服は着ないようにして、着れる服を用意しなさい。」とも言われました。

 食事は部屋食ではなくて、食堂で一斉にします。私はやっと一人で食べられるようになったばかりですから、食べ終わるのはいつも一番最後。魚の骨抜きなどは看護婦さんにお願いです。だいたい40分ほどかかります。

 入院したのが連休中だったので、リハビリが始まったのは連休明けからでした。
 ここでは運動療法士の先生が、運動機能回復のリハビリを、作業療法士の先生が手の機能回復のリハビリを専門にしてくださいます。
 運動機能回復訓練では、まず関節部分をほぐして歩くことを主体にリハビリします。太田病院で基礎的な訓練を受けていましたので、スムーズに訓練を受けることができました。県立ですから土曜日は休みです。休みの日もリハビリ室は午前中解放されていますので自分で平行棒を使っての歩行訓練をしました。
 作業療法は、手先の運動機能回復を目指し、ワープロを打ったり、ビーズ玉と使って絵を描いたり、リボンを編んだり、それと肩の関節をほぐすためにホットパックで肩を暖め、その後もみほぐしてもらうことをしました。

 なにせ今回の病気の入院中は、昼間は必ず家族の誰かがいたのですが、今度はずっと自分一人です。さみしくて何かあれば家に電話し、妻の声を聞いては安心していました。妻もそんな私が心配だったのでしょう。最初の頃は週に二日来てくれていました。落ち着いてからはだいたい日曜日に会いに来てくれました。
 いつも私が一人ポツンと食堂に残って壁に向かって黙々と食べているときにやってきます。一週間の出来事を報告してくれ、そのあと院内の散歩に連れて行ってくれたり、リハビリしている私の様子を眺めたり、洗濯物の始末をしてくれました。そうして夕食が終わったら帰ることにしていました。ちょうど新幹線の便がよかったらしいです。妻が帰ったあとはやはりさみしかったです。一度母も連れてやってきました。妻から聞いていたのでしょうが、母は私の回復ぶりを実際に目にして驚いているようでした。

 私がここへ入院中の間に妻は自動車学校へ通い、免許を取ることにしました。 旅館が忙しくて、車の免許の勉強をしていると寝るのが2時3時になったときでも、会いに来てくれました。我が家からここへ来るには、JRを乗り継いで3時間ほどかかります。車だと1時間半ほどで済むのですが。お金もかかるし、妻の苦労は大変だったことと思います。本当に尽くしてくれました。それだけに私も「頑張らなくっちゃ」と、療法士の先生もほめて下さるくらいリハビリに励みました。

 入院中看護師さんと言い合いになりました。それはシャワー浴のことでです。一般浴は不可能なので、看護師さんに入れてもらうのです。
 週二日シャワー浴をしてもらうのですが、看護師さんの都合で入れようとし、リハビリの時間と重なってもシャワー浴を優先するのです。私の場合、午前中が運動療法のリハビリ、午後が作業療法のリハビリになっており、時間も決められているのですから、その時間を避けてくれるといいのですが、自分たちの都合を優先しようとしたものですから、「私は入浴するために入院しているのではない。リハビリをするために入院しているのだ。」と訴えました。療法士の先生の言葉添えもあったので、それからはリハビリの時間を避けるようにしてくれました。

 入院して2週間ほどたった頃から言語訓練も始まりました。こちらは週一回です。広大医学部の先生だそうです。そう、ここの先生は広大医学部出身者です。中には医学部の先生も兼ねておられる方が多いようです。
 訓練は、発声の仕方から始めました。これができない。そこでそのための訓練の一つとして、一日三回食後に自分で訓練することになりました。何をするかというと、まず鼻をつまんでホッペタをふくらませた状態のまま息を止めるのです。我慢できるまで息を止めます。これを5回します。次に鼻をつままないでやはりホッペタをふくらませた状態で息を止めます。こちらも同じように5回します。だいたい20分ほどかかります。
 この訓練を始めてからぼつぼつ発声できるようになってきました。発声ができるようになると、やはり頑張ろうという気がまします。一人屋上の踊り場へ出て発声練習をしました。妻が来たときには、それを聞いてもらうのが楽しみにもなりました。

 リハビリを頑張りすぎたのか、それとも筋力が落ちているためなのか、前から痛めていた腰が痛くなり、腰にホットパックをしたり(作業訓練の時に、両肩にもホットパックをしているので、そのとき一緒にします)、腰の牽引もするようになりました。
 腰の牽引は外来処置室にあり、いつも私一人だけです。看護師さんは私が牽引を始めると部屋からいなくなります。10分したら戻ってきてくれるのですが、時々再々10分たっても20分たっても戻ってこないことがあり、「ごめんなさい、忘れていたわ。」と、こちらの不安をよそにケロッとしていました。ひどいときは1時間近くの時もありました。部屋が看護師さん達の居るところとは離れているので、私の今の声では届くわけないし、器具を自分ではずすこともできないし、もちろん台から降りるなんてできるわけないので、「このまま忘れられたらどうしよう。」と、本気で不安がったものです。

 それともう一つ、やはり両肩の関節の動きが悪く、痛い。医者に訴えると、「それじゃあ、肩に注射を週一回打ちましょう。」と言うことになり、退院まで続けられました。この注射は現在通院している外科病院でも当分続けられました。潤滑油のようなものらしいです。でも打ちすぎると逆に関節がもろくなるそうで、頃合いを見て中止になりました。

 太田病院に居るときも来て下さいましたけど、一度地元の主治医が見舞いと様子伺いに来て下さいました。遠くまでありがたいことです。帰りは妻を乗せて帰って下さいました。

 初めの頃は作業療法のリハビリ室や言語療法指導室が外来病棟にあるので、看護師さんが連れて行ってくれていてましたが、やがて自分で車イスを漕いでいけるようになりました。腕に力がないのでほんのちょっとの坂でも上れません。後ろ向きなら上れるのがわかり、力が付くまではそうしてました。
 やがて自分でも車イスが何とかちゃんと漕げるようになると、院内散歩をするようにしました。外来者用の食堂へ自動販売機があるので、そこまでコーヒー缶を買いに行くのが日課になりました。これがまた結構な運動になりました。
 この病院は、身体障害児のための院内学校もあり、併設して養護施設に寮もあります。もちろんリハビリセンターですからそちらの施設も充実しており、入院病棟ともつながっているので、見学を兼ねて何度か訪れました。
 リハビリ用のプールでリハビリを励む人、車イスバスケットを楽しむ人、車イス周回コースもありそこでトレーニングしている人、こうしてみると障害を持っている人は案外多いことに気づきます。それとその障害を乗り越えようとしている人も多いということです。

 病棟では、月極でいろんな行事が催されました。ビデオ鑑賞会、これは私が耳が悪くなってから大きな音を聞くと頭が痛くなるので、一度も見に行きませんでした。
 あと七夕祭りもありました。職員の寸劇もありました。入院患者のカラオケもありました。私は悪い方も耳をふさいでいましたけど。ちょうど入院患者の中に横浜マリノスのキ−パーが肘の手術で入院しており、職員に人気がありましたよ。その人も歌を歌わせれていました。

 8月に入って施設とボランティアと近所の人が一緒になっての盆祭りがありました。入院病棟からちょっと離れたい手自分一人でいけるかなと思ったのですが、何度も休憩しながら頑張って会場に行きました。
 会場は施設内のグラウンドですが、入り口に舗装されていない坂があり降りるのは何とかなるものの上がることはできないなと思ったのですが、誰か助けてくれるだろうと思い切って降りました。
 踊ることはできませんし、もっぱら出店で食べ物を買うことにしました。本当はビールも売っていたので買って飲みたかったのですが、そこはガマン。入院病棟の職員が売っている出店で、焼きイカを買い、ビールを飲んでいる人を恨めしそうに横目で見ながら食べました。職員が私一人で来たことを知ると、「すごい!がんばったんじゃねえ。」と、びっくりされていました。そのあとコーラを買って飲みました。
 やはり帰りの難問は坂でした。私の力ではとうていだめ。でもすぐに「上がられるのですか?」と、横から声を掛けられ、うなずくとごく自然に車イスを押して上げてくれました。自然な対応の心がありがたかったです。

 8月を迎えて、医者から外泊をするようにと言われ出しました。これは自宅での生活に備えてだということはわかりました。しかしなにぶんにも私が動くとなると妻は車を運転できないのでタクシーの利用となります。もちろん往復となりますから、結構な出費となります。医者は週一のようにいわれるのですが、2回しかできませんでした。そのうち一度は妻の妹の主人に無理をお願いしました。やはり家はいいものですね。

 妻の車の免許取得がちょっと遅れたので、私の退院もそれに会わせてお盆に入った8月13日となりました。
 この日は妻にも早めに来てもらい、それぞれの療法士の先生にもお礼を言ってもらいました。それもあってリハビリを受けての退院をしたのです。
 同室の人も見送りをして下さいました。看護師さんにもお礼と別れを述べました。このときは意地悪な(厳しい人だっただけのことですが)看護師さんも顔を見て泣いてしまいました。どうもこの病気になってから感情のコントロールができなくなってしまいました。

 発病以来約一年の病院生活とも一応お別れです。一年といえば長いです。本当に家族・特に妻はよくしてくれたと思っています。それで私もリハビリを一生懸命できたのだと思っています。多大な出費と精神的肉体的な苦労は、計り知れないものがあっただろうと思っています。本当に感謝の一語に尽きます。面と向かっては言えないので、ここで言わせてもらいます。ありがとう。