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12月22日


「お誕生日会」

 今日はデイケアで「誕生日会」がありました。12月は「お誕生日会」と「クリスマス会」が一緒になります。
 本当は施設としての「クリスマス会」が17日にあったのですが、当日デイケアを利用していない人は参加できないので、「お誕生日会」と合わせて「ミニクリスマス会」となるわけです。
 いつもなら最後までリハビリをしている私。みんながお茶の時間になってもまだメニューを消化してないのです。
 でも今日はちょっと違いました。なぜなら「お誕生日会」の出し物に、スタッフのハンドベルによる演奏があり、その間は私のリハビリの世話ができないことになるのです。
 必然的にその間は休憩になってしまいます。おかげ(?)でケーキもお茶もゆっくり食べたり飲んだりできたし、会のようすを撮ることもできました。

 利用者の代表も、衣装を着せてもらってハンドベルの演奏をしました。初めてにしては良くできました。
 続いてスタッフの演奏がありました。こちらはちょっとは練習していたのか、まあまあ合った部分がそこかしこ見られました。
 じつは、ハンドベルの手の部分に番号が打ってあり、楽譜にもその番号が振ってあるのだそうです。だから順番さえ間違わなかったらベルを鳴らすことができるのです。ただし長さがわからない時もあるので、どうしてもゆっくりとしたテンポになりがちですけどね。
 今日私のリハビリに着いてくれたスタッフは、ぶっつけ本番だったそうです。
 会が終わったら私はリハビリ再開。送迎車に乗る前までやっていました。

玄関では踊って歌うサンタが迎えてくれます。

高さ2m以上もあるツリーです。

テーブルにもクリスマスらしい活け花が
置いてあります。

利用者による演奏です。
帽子をかぶっているのが利用者です。

さあ、合わせるのよ!
ワン.ツー.スリー、ゴー。

違う違う、こうするんだよ。

そう、その調子、その調子。
うまく合ってるぞ。

もう、貴男は何度やってもダメね!


12月 9日


久しぶりの本格デート

 今日は久しぶりの本格的デートをした。
 ここのところ病院通いとデイケアだけで、買い物にも連れて行ってくれない日が続いていたので、内科病院の診察のあとちょっと寄り道をしたいな、と思っていた。ところがデジカメを持って出るのを忘れたので、諦め家に帰ってしまった。でもやっぱり出たくなり、昼食後シニアカーに乗って出かけようと服を着替えていると、妻が「どこへ行くの、何だったら一緒に行こう。」と行ってくれる。
 実は病院のちょっと先に「汽車ぽっぽ公園」があるのでそこへ行きたかったのだと言うと、行こう行こうと二人のデートと相成りました。

 この公園は8月にヘルパーさんに連れて行ってもらった「夏祭り」の会場だった公園です。
 すっかり冬の気配がしているだろうと思っていたのに、なんとまだ秋の気配、これには驚きました。何せ黄木の枯れ葉の色が全く秋真っ只中という感じ。天気も良いし、気温も秋の気温。
 陽気に誘われてか、母子連れが汽車に乗りに来ていました。昼閧ネのに高校生カップルもいました。そしてお年寄りがベンチに座っていました。

 私はデジカメで早速デゴイチの撮影。妻は何十年ぶりかブランコに乗ってご満悦。その様子もパチリ。
 結構人が来るもので、別に打ち合わせをしているのではなかろうが、お年寄りが常に2.3人おられ、何か話をされている。
 ヘルパーさんの家が近いので電話して驚かしてやろうと思ったのだが、電話に出られず残念。ツーショットの写真も撮りたかったのだけれども、諦めたが、残念でした。

 それでも一時間近くはいたと思います。なんだか久しぶりに気分がスキーッとしたようです。

 おまけに帰りは「天満屋」のドムドムに寄ってコーヒー飲んで帰りました。こんな事今度いつできるのかな。

デゴイチではなくC56ですがやっぱりSLは
大きくてどっしりしています。

若かかれし頃の自分たちを
思い出しました。

大きな木ではありませんが、
今が見頃のモミジ。

今時カリフラワーの花が咲いていました。
やはり今年の気候は狂っています。


12月 2日

狂い咲き?

 初雪を迎えようとしている時、我が家で異変が起こりました。
 今年はもう水仙が咲いているというのはありますが(実際我が家も実家も咲いています)、なんとなんと真夏の花「月下美人」が今日満開になりました。
 10月にも咲いたのですが、まさかこの時期に咲くとは。
 妻が「月下美人に一つだけ花芽がついている。」と言ったのは大分前のことでした。「なあに、寒さで落ちてしまうよ。」と言っていたのですが、奇跡的にも生き残り、じわじわとふくらみ続け、昨夜「お父さん咲きそう。」と言って妻が玄関の中に鉢を入れました。
 今朝起きたら、「月下美人咲いてきたよ、いつが満開になるかな。」と知らせてきました。
 月下美人というのはその名の通り、夜に満開になるのですが、開き具合からいってどう見ても真昼に満開になりそう。
 三分の二くらい咲いた所で写真に撮り、一時半頃私から、「府中ニュース(読売新聞が発行している折り込みのローカルニュース新聞です。)に言ったら取材に来るよ、電話してみろ。」と私が言ったので、妻と長男とでどちらが電話するか譲り合っていたが、結局妻が電話をすることに。
 電話したら、「珍しいことだ。いま記者が出ているので、写真が満開までに間に合わないといけないので、写真を撮っておいてください。」だって。
 結局おはちは言い出しっぺに戻った感じ。妻に頼んで花の向きを私が撮りやすい方に向けてもらって、パチリ・パチリ。
 それからパソコンに取り入れて、今度はフロッピーにコピー。まあ画像が荒くてもいけないだろうと思って、高画質で撮ったからフロッピーも3枚必要だった。
 私が昼寝をしている間に記者が来たそうです。記者は写真を撮らずに私のフロッピーをもらって帰りますと言って、ちょっと話を聞いて帰ったそうです。
 明日の「府中ニュース」に載っているかな。楽しみ。この結果は日記の方に載せますね。

午前10時15分頃、三分の二の開花でした。

午後1時半頃満開を迎え、いい匂いをさせました。



11月21日


検査入院

 11月13日は義父の17回忌の法要だった。二人姉妹の長女を嫁にしているのだから、当然準備の段階からいろいろしなければならないのだが、私もこのような身、長女である妻も家業があり、実家のそばに住んでいる妹に任せきり。少なくとも妻の出来る範囲での手伝いをしなければということで、法事の前日から二泊三日で実家に行くこととなった。
 私も付いて行けばいいのだろうが、行っても何も出来ない、第一ベッドがないのでそれが困る。そして私の世話をしていたのでは妻は何も出来なくなる。家にいてももう私の母では十分なことが出来ない。
 ということで最初はデイケアで利用している施設にショートステイしようと思ったのだが、ベッドが空いていないとのことで、またまたいつもの病院に検査入院することに相成った。
 以下入院記です。キノチャンの日記に書こうと思ったのだが、今月は全然【つれづれに】を更新していないので、【つれづれに】に書くことにしました。



  11月11日(木)

 木曜日は午後休診なので午前中の入院。家も結構忙しかったので、昨日ほとんど私が自分で入院準備をしました。
 病院へ行ったら早速院長に前診察をしてもらって病室へ。変なものだが病室へ入ったら病人のような気持ちになる。私だけだろうか。
 昨夜寝るのが遅かったので、午後は長い昼寝。この度は長男がノートパソコンどうしても必要だと言うので持って来られず。読書しかない。TVはほとんど見ないし。
 それでもベッドに入ってからはTVを見るしかない。
 消灯前になって看護師さんが「明日はおなかの検査があるので絶食ですよ。」だって。おいおい!
 いつもなら12時に心臓の薬を飲むまで寝れないのだが、消灯過ぎには寝てしまっていた。看護師さんに起こされて気がつくほど。


  11月12日(金)

 朝6時看護師さんの「はい木下さん、おはよう、お薬ですよ。」の声でお目覚め。これが入院中の朝の挨拶でした。
 今日は胃カメラとお腹のエコーの検査がありました。検査をしてくれたのは、なんと私の教え子。院長の娘さんです。すっかりママさん女医になっていました。
 検査の結果、胃の方は慢性胃炎だとのことだが、その他の臓器に要注意はなしということで、一安心。検査が終わって病室に帰るともうお昼近く。
 昼食前、入浴代わりに体を看護助手に拭いてもらいました。この看護助手は通所訓練教室「たんぽぽ」に通っていた時、同じく通っておられて人の娘さん。世の中狭いですね。
 午後はやはり眠い、寝てしまう。することもないので、昼寝後は読書三昧。
 入院した時に検便検査容器を渡されていたのだが、何度トイレに通っても出なかったのが午後出てホッとした。
 夕食後消灯まで読書。消灯後はTVを見る。いつも「探偵ナイトスクープ」を録画しているのだが、薬のこともあり、番組終了まで見る。


  11月13日(土)
 
 今日は朝一番の採血。今日はこれだけ。検査入院だけど、回診はある。検査の結果を詳しく説明してもらったり、教え子の女医さんとは医療とは関係ないことを話したり。
 今日は法事当日。息子が代わりに行ってくれている。でも私が参加したかったな。後日妻が語ったところによると、妻の従弟が私のHPをずっと見てくれているらしく、わざわざ印刷して持ってきてくれたとのこと、私に会いたかったと。その人は我が市の郵便局長でおられたこともある人。私も会いたかったな。

 
  11月14日(日)

 日曜日は暇のもてあそび。長男も来てくれない。看護師さんも勤務が休日体制なので平日のように部屋を回ってくれない。TVは日曜日私にとってはつまらない番組の放映。読書か寝るしかない。
 実は病院の隣の敷地に新しくスーパーが建設され、それが開店間際であわただしくしており、それが病室から手を取るように見えるのです。それを眺めて時間をつぶすことも出来ました。
 電動リクライニングベッドなので背中を起こしてベッドで読書。本当に贅沢なものです。三食昼寝付き。でも贅沢とは裏腹に寂しいものです。これわかりますか。
 看護師さんも年が経つと当然入れ替わり、だんだんと親しい人がいなくなるので、木下さんはこういう人なんだと理解してくれる人が少なくなるのは仕方ないにしても、気を遣うようになりました。


  11月15日(月)

 入院期間が短いというか土日を挟んでいるので、検査は以上。
 入院期間中足腰が衰えてはいけないと、10m以上ある廊下を杖と手すりを持って、午前中10往復・午後10往復と歩いた。10往復すると40分ぐらいかかる。これだけはしなくっちゃと思ってやったのだが、やり過ぎたようで、後日注射を打ってもらう羽目になった。
 夕方近く妻が帰宅途中に寄ってくれる。

  11月16日(火)

 やっと退院の日が来た。いつものように6時に起こされ、開けられたブラインドの外を見ると、すごくきれいな夜明け前。すぐさま持って行っていたデジカメを取り出し、激写。スーパーが開店すると24時間営業なのでこんなシャッターチャンスは二度とないでしょう。我ながらうまく撮れたと思っています。
 2時過ぎに迎えに来てくれと妻に言っていたのに、なかなか来てくれない。3時過ぎてやっと来てくれる。
 家に帰るとやはりホッとしますね。


 以上が入院記です。
 
 夜明け前と日の出の写真があまりにもうまく撮れた(自画自賛)ので、この度は原画を載せました。サムネイル画像をクリックしてみてください。

下の方に一筋の雲があるだけ、珍しい。

ちょっと撮影をマニュアルにしました。

二度と撮れないシャッターチャンスでした。

スーパーへあげようと思っています。





10月21日


59回目の誕生日

 おかげで59回目の誕生日をそれなりに、元気に過ごせたことをまず感謝いたします。 プロフィールを読んでおられる人はご理解いただけるでしょうが、自分ながらよくぞ59回も誕生日を迎えられたものだと、つくづく思います。今日を迎えることができたのも家族は基より、多くの医療関係者のおかげと再認識しております。本当にありがたいことです。

今思うこと

 私がこの病気に侵されたことは残念であり、そのため学校を早く辞めなければならなくなったことも悔やまれてなりません。
 しかし最近は早く学校を辞めていて良かった、と思うようになっています。これも神仏の思し召しだったかな、と。

 ちょうど私が病に倒れた次の年くらいから我が町の教育態勢がものすごい勢いで変化し、今までよしとされていたことが180度転換するほどの改革が実行されてきています。 今も私が管理職として現役にいたならば、自分の過去の教育実践をほとんどすべてを否定しなくてはならなかったでしょう。ある意味では戦前から戦後を教育者として勤めた人たちと同じような気持ちを味わっていたかもしれません。逆に今の我が町の教育態勢は戦前に戻ろうとしているようにすら感じます。子どもの教育次第で国はどのようにも変わるのです。イラクもそう、北朝鮮もそう、もちろん戦前の日本もそうだったように。

 子どもも教師も管理体制に押し込められ、心さえ余裕をなくし、何が伸び伸びとした子どもらしい子どもが育つものか。反面では親の勝手都合な家庭教育の中、ゆがんだ子供が増えていっています。

 教師も管理体制が厳しくなり、言動だけでなく心自体も余裕がなくなってきている。時に後輩に会うことがありますが、まず顔を伺うと目が死んでいる。言うことは「しんどいです。」が共通の言葉。子どもと遊ぶなんて時間はほとんどないようです。給食さえ食べきれない時もあるとのこと。

 私は管理体制を完全否定するのではない。管理体制は必要だと思う。しかし何事もだが、過ぎてはいけない。特に教育に行き過ぎた管理体制を持ち込むと、とんでもないことになっていくだろう。

 言葉では「自由な発想を求めている。」とは言っているが、管理体制の厳しい中自由な発想ができるわけがない。子どもも先生も萎縮し、追い込まれている。

 今の若い人たちを育てた一人が、他でもない私である。しかも担任として勤めた半分は自己意識を構築させる大切な時期の6年生担任だった。

 私の担任としての最初の授業は、「自由−義務と権利(権利と義務ではない)。自分を大切にしようとするなら他人も大切に。」でした。
 自由のはき違え、権利は義務があってこそ成り立つものである。自己中心的な考えは、周囲の人を不幸にさせることだ。
 など、それともちろん命の尊さを子どもに教えたつもりだが。

 まあ、教師の中にも自由をはき違えている人がいるのだから、家庭教育だけじゃない、学校教育も大いに責任があると痛感しています。

 それと私流に言わせると「サラリーマン先生」がほとんどになってきている。教育者も労働者には違いない。しかし生きたもの、将来の日本いや今は地球の未来がかかっている子どもたちを育てる教育しているのだ、という気概に欠けている先生が非常に多くなってきている。
 気になる子どもの家に行ってその子の生活環境やら親の気持ちなどを聞くという教師自らの家庭進出がなされていない。20坪の教室だけでは子どもの本当の実態・気持ちがわかるわけがない。
 会合・卓上での研修も必要だろうが、もっと子どもを見つめ、子どもと密着した時間を作るようにしてほしいものだ。子どもと触れ合わないから、先生と子どもとの意思の疎通が図れない。
 
 算数・国語など主要4教科が優等生が優等生ではない。心豊かな、人を思いやる心を持っている子の方がどんなにか優等生だと、私は思うのだが。

 おそらく私が元気でいたなら、今の教育態勢にはついていけないで辞めていただろうと思う。自分に嘘をついてまで教育活動をしたくはないですからね。

 私の教育観を述べるのは珍しいことですが、まあ誕生日を記念して書きました。少し気が高ぶって書いたので意味不明・矛盾の箇所があるかもしれませんが、ご勘弁を。

デイケアでの誕生日会

 20日台風22号の来襲の中、デイケアはありました。しかもお誕生会のある日。私は10月21生まれなので前から誕生日会の日にちを聞いて、その日に病院に行かなくて済むよう計画も立てました。ですから前日から台風でデイケアが中止にならないことを願っていた私です。
 外は激しい雨風ですが、建物の中にいるとわかりません。窓越しに横殴りの雨が見えるのですごいんだなと思う程度。

 台風の影響で学校が臨時休業になったから、職員の子どもも親に付いて来ていて結構いました。その子たちとスタッフとがケーキ作り。元気な利用者も手伝いました。

 午後のリハビリのあとが誕生日会です。しかしあまりにも台風が激しいので、帰宅時間を繰り上げることになり、当然誕生日会の時間も少なくなりました。

 利用者が2列を作っている中、紙吹雪が舞う通路を通り、お祝いの言葉を受けながら誕生者席へ。今月は男性ばかり3名、もちろん私が一番若いのですが。

 大きな2枚の角形誕生ケーキに飾られているローソクの火を3人で消し、その後スタッフから誕生者の紹介をしてもらい、みんなでお祝いの歌を歌ってもらいました。スタッフの一人が気を遣って、その様子を私のデジカメで写真を撮ってくれました。やはり祝ってもらえることはありがたいうれしいことです。

 ケーキはみんなに切って配られ、おいしくいただきました。記念にはラミネートパックされたお祝い写真付きカレンダーをいただきました。

 時間は短かったけど、うれしい楽しいひとときでした。ぜひ来年もこうして元気に迎えることができますように。

 激しい雨と風の中を帰路につきました。途中川が見えるのですが、近年にない増水。台風22号はこのあたりにも近年にない影響・被害を及ぼしたようだ。久々の強風でプレハブの我が部屋がメシメシと鳴ったんだから。

スタッフと利用者で、それに今日は
職員の子どもも一緒一生懸命に
心を込めてケーキ作りをしました。

10月の誕生者です。(ただし水曜日の利用者です)
やはり私がダントツに若いでしょう。

部屋の電気を消して、ムードも盛り上げ、ローソクの
火を消しましょう。私はローソクの火を消すため
呼吸を整えているところ。

ラミネートが反射してうまく撮れませんでしたが、
手作りのケーキ(2階層なのですよ)と、
記念にもらった写真集兼カレンダーです。


誕生祝いどころか

 此処までは良かったのですが、帰宅すると妻が待ちかまえていたように、「今日の集団検診で乳ガンの疑い。進度3くらいだ。と言われたので明日共済へ行く。」と言う。家が忙しかったので落ち着いて話すこともできず。
 最初はぴんと来なかったのだが、しばらくしてから事の重大さを認識して来だし、ベッドに横になったもののいろいろと思いをはせ巡らして寝るどころではなくなった。

 夕食の時に話をするが、明日の結果で今後のことを考えるしかあるまいと言うことになった。私がついて行くことにする。やはりいろいろなことを考え、よく眠れなかった。妻もそのようだった。

 21日診察予約が4時半だったので、それまでに旅館の買い出し・料理の下準備と妻は忙しく過ごし、3時過ぎに妻の運転で出かける。やはりお互い気になるので、ついつい会話が途絶える。

 予定通りに病院に着き、事務手続きをして、診察待ち。私はいつも持っているバッグから本を取り出して読書。妻は目をつむっていた。何かを考えていたのだろう。

 妻の順番が来て、まずレントゲンから。それがレントゲン室からなかなか帰ってこない。後からレントゲンに行った人が先に帰ってくる。なんだか不安は募るばかり。6時になっても帰ってこないし、トイレには行きたくなるし、我慢できずに私はトイレに。

 トイレから出て処置室を覗くと、妻が採血を受けているではないか。わずか5.6分で診察も終わったのか?えらく早いな、と思って処置室から出てきた妻に聞くと、私が知人と話をしている間に私の横を通って診察室へ行ったらしい。

 結果を聞くと、「乳ガンではない。しかし甲状腺に異常があり、橋本病のようだ。こちらが大変だ。採血の結果が2週間後に分かるのでまた来るように。」との診断を受けたとのこと。
 橋本病についての資料ももらっていた。私は初めて耳にする病名だが、女性には結構多い病気だそうだ。最悪の場合「ガン」になるかもしれないというところに妻は引っかかったようだが、夜Webで調べてみるとそこまで行くのは少ないよう。読んでいると症状が妻に当てはまるところが多くある。もしこの病気だとすると、根気に仲良く病気と付き合うしかないのかも。


 ということで、私の誕生日祝いどころではなくなった今年の誕生日でした。


10月13日

生まれて初めての体験

 13日のデイケアでは生まれて初めての体験をしました。
 いつものように朝の挨拶で、「今日はポーラの方が午後に来られてお肌の手入れをしてくださいます。」と言っておられたので、ははあいつものようにポーラレディーが来て女性はお顔の手入れ、男性は手のマッサージだろうと思っていました。

 午後はリハビリの時間ですが、男女共に数人ずつ呼ばれてポーラレディーの所へ行っています。
 ところがなんだか今回はちょっと違っていました。どういう訳か男性がポーラレディーの所から帰ってきたのを見ると、顔が光っているではないですか。ほとんどの男性がにやにやした顔で帰ってきます。
 リハビリの合間に遠目にデイケア室の方を見ると、なんと男性も顔に蒸気を当てているではありませんか。
 「あれ、男性もお顔のマッサージか。」と驚きと何となく不安が・・・

 最後に私の番が回ってきました。
 テーブルに座ると、レディーが、「お顔をマッサージしますから、まず何とか(何を言ったのか忘れた)しますね。」と言って溶液を脱脂綿に浸して顔に塗る。
 続いてクリームを塗って、「蒸気を当てます。ちょっと息するの難しいかもしれませんよ。」と蒸気を当てながら、顔をマッサージする。
 初めてというのはなんだか怖いものです。息を詰めながらまるで実験台になっているような気分。緊張しました。でもその反面、やはり男、若い子に触られていい気分になったのも間違いなし。
 顔のマッサージが始まる頃もう一人レディーがやってきて、「手のマッサージもしましょうね。」と、手を取ってクリームを塗りマッサージをしてくれる。

 「教頭先生でしたよね、私教えてもらった。」と言われ、驚いてネームを見たがすぐには顔が浮かばない。
 「私、〇〇小学校で理科を教えてもらった。」「同級生には誰がいた?」「誰々さん。」「そう言えば年がわかるね。」を話しているうちに、小学生の時の彼女の顔が思い出された。
 「彼女、もうその頃から結構だったのでしょう。」ともう一人のレディーが言えば、「いやそんなことないよ、結構向こうの方から私を見ている子だったよ。」なんて話せるようになった。まさかこんな事で出会うとは思ってもいませんでした。偶然って不思議ですね。
 途中すぐ目の前に副主任がいたので、「めったとない機会なんだから、写真撮って。」と頼んで、私のデジカメで撮ってもらう。
 終わってから再びリハビリに戻ると、「木下さん、顔がピカピカしてる。」なんて冷やかされる。

 デイケアから帰った時妻が出迎えてくれたのに、何も気が付いてくれず。部屋に入った時に私がニヤニヤしているのを見て、「どうしたの、何かあったの?」とは言ったが、やはり気が付かず。夕食の時話すと、やっと「そう言えば顔がツルツルしているね。」と気が付く有様。

 若い子二人にもお相手してもらって、デレデレのおじいさんでした。

041013_13.jpg
生まれて初めての体験、
不安そうな顔でしょ。
041013_15.jpg
若い子二人の囲まれて、
この顔見てやってください。
 


10月 7日


おかげで

HPをリニューアルしてから、早ひと月以上経ちました。
 私のミスでOSを再インストールしたため、更新できなかった時にはアクセス数が落ち込みましたが、順調に増え、9月13日に2200を数えることができました。
 去年勉強をしてからHPを更新してからアクセス数が目に見えて増えてきたのですが、今度のリニューアルでまたまた訪問者が増えてくれました。
 今回のリニューアルでは3つの改正をしました。掲示板をカラフルなものにし、新しく日記を加えることによって、「ようこそキノチャンのホームページへ」をすっきりしたことです。たことです。
 それとリンク集って結構意味ありですね。リンクを張らしてもらったり張ったりで、アクセス数が違ってくるんだ。リンクを張ってくださった人に感謝です。
 掲示板もサーバーの既製品を使っていたのを、カラフルでその記事への返信もでき、その上画像も添付できるcgiに替えました。しかも画像はWeb ようにしなくてもそのままの画像が添付できるので、結構都合がよいです。
 何よりも日記の公開が来訪者を増やしたのではないかと思っています。人それぞれ考え方があり、見解の違いもあるだろうと思いますが、日記なので誤魔化したりを書いたり、装飾をして書きたくはないので、批判はあるかもしれませんが私の言動をそのまま書いています。(家族にはちょっと申し訳ないかな)
 アクセス数を増やすには、やっぱり更新が基本条件ですね。ついつい他のことをやっていると更新が遅れます。でも何とか月二は更新したいです。
 
 この前デイケアの男子スタッフを紹介しましたが、今回は女子スタッフを紹介します。男子スタッフはたまたま全員そろっている時に撮ることができたのですが、女子スタッフは男子スタッフより多く、撮るのにも休暇と重なって思うようには撮れず、何週間も掛かってしまいました(まあ週一回の利用だから仕方ないか)。
 まだ入浴介助を主にしてくださっている人もおられるのですが、そちらは全員撮ることができないので(風呂場まで写真機を持って行かなければならない)、載せませんでした。 


デイケアの主任です。私より背が高いかな。
さすが主任、細かいことまで気を配って。

言い方悪いけど、世話好きのおばさんです。
いつも笑顔。

最近スタッフに加わった人です。
ちょっとお姉さん的存在かな。

デイケアの看護師さん。
無理矢理修正したのでこんな写真に。

デイケアの療法士です。
ずいぶんとお世話になっています。

最近はめがねを外して・・・
よく気が付いて何気なく手をさしのべて。

スタッフ一番の張り切り屋さん。
いつも明るく動き回る人です。

新しいスタッフです。
13日初めて会いました。

一階に飾ってある人形です。
親友の奥さんの作品です。

他にもたくさん飾ってあります。


9月23日


旧知との再会と教え子からのメール

 此処のところ旅館も結構忙しく、その上妻は商工会議所女性部が26日に月見茶会を開くということで、そちらの準備やら打ち合わせでバタバタし、私にとってはおもしろくもない日々が続いています。

 でもそういう中で、20日21日と続けてうれしいことがありました。
 20日にはお盆に帰郷して私を訪ねてきてくれた新米教師からメールが来たことです。
 それからもう一つは、21日に私たち夫婦きょうつうのの友人夫婦が訪ねてきてくれたことです。
 

 順番は前後しますが、まず友人来訪から。
 
 21日相変わらずこの日も遅くなった朝食を摂ろうとスプーンを手にした時、玄関のチャイムが鳴ったと思ったら、懐かしい女性の声がする。
 最初すぐには分からなかったが、妻が出て、「まあ、!」の言葉に反応してしゃべっている声の主を思い出した。スプーンを置いて食堂から出る準備をしようとしたところに、妻が「お父さん、誰が来ちゃったと思う?Nさんが来ちゃったよ。」と驚いたような声と顔をして私を迎えに来ました。やはりそうだった。
 玄関に出ると、懐かしい友人夫婦の顔が目に入ってきた。市内のちょっと奥にある「河佐峡」に来ての帰りだそうです。「河佐峡」は、府中市・福山市の水源となっている芦田川中流の上部部に当たり、府中市の西部の端になるところにあり、夏場は川泳ぎ、・キャンプそして川水を利用したウォータースライダーでにぎわい、年間を通じてプレイできるグランドゴルフ場が設備してあります。

 Nさん夫婦とは深いつながりがあります。
 旦那さんは私と同期に教員採用となり、しかも同じ小学校に赴任し、県教職員体育大会へ水泳で20年近く一緒に参加したり、福山市の水泳連盟に所属して各種大会の役員になったり、水泳教室の指導者になって活躍もしました。
 奥さんは、これまた私たちの小学校区内にある市立幼稚園で私の妻の同僚になり、二人で旅行をするほどの仲良しでした。
 赴任の挨拶で幼稚園に行った時、若い子がいるんだな、とは思ったのですが。
 もちろん小学校長が幼稚園の園長を兼ねていましたから、その後小学校のいろんな行事には彼女らも顔を見せましたし、特に親睦会行事などは必ず一緒でした。
 その年の夏期職員研修旅行で、初めて彼女たちと男どもが話をするようになりました。その後4人のグループ交際が始まり、2年後にNさんらが結婚し、次の年に私たちが結婚したのです。
 グループ交際をしているときには、よく日帰り小旅行をしました。旅行とはいっても当時の交通機関はバスト国鉄(今のJR)ですから、遠くへは行けませんでしたが、それでも結構楽しみました。結構当時としては進歩的だったのかな。
 
 と言うことで、Nさんの奥さんとは私は福山の中国中央共済病院で何度か会っていたのですが、彼とは元気な時には校長会の会合や、同期小学校の先生方との親睦会では会ってはいたのですが、病気以来初めてです。元論妻は奥さんには2度ほど会っているようですが、結婚以来初めてNさん夫婦には会いました。
 開口一番、「メールではやりとりしているが顔を昔と変わらず見て元気そうで、安心した。」と彼に言われました。私も彼を見て変わっていないなと思いました。
 あとはお互い現状の話などをしましたが、40年近く前の自分たちに帰ったように話が弾みました。特に妻は昔を懐かしむように話をしていました。
 
 2時間近く話をしていたのに、30分も話をしていないくらい時は早く過ぎ、名残惜しみつつ友人夫婦も帰りました。そのあと二人で昔の4人で遊んだ時のことを語りました。Nさん本当に訪ねてきてくれてありがとう。共済病院が引っ越したら、お宅がすぐそばになるので、必ず寄らせてもらいますからね。
 
 
 さて、教え子からのメールのことです。
 この度のOSの再インストールでメールのアドレスを失い、困っていた教え子からメールが届きました。はがきを出さなくてはと思っていた矢先でしたので、やれやれ一安心です。
 彼女は再三私のHPにも登場している娘ですが、やっと今年関東の某市に小学校教師として採用されました。夏休みにも帰郷の折りに訪ねて来てくれました(8月の【つれづれに】に書いています)。
 この度のメールに「2年生の児童が、『僕は、もう頑張れない。』と泣き叫びました。」と書いているのにショックを覚えました。本当に怖いことです。
 彼女は彼女なりに何とかその子を助けたようです。その経緯を知って我が教え子ながら褒めてやりたい。
 でも彼女には次のように書いて送りました。
 ‘昨日は、私と同期に同じ小学校に赴任した先生夫婦が突然訪ねてきてくれました。
 その友が、「指導教員として2年ほど勤めたが、昨今の教育界や教師には???が多くつきまとう。指導を受ける側に意欲が見られない。管理職にも教育理念が見られない。行政の言いなりで、視点が子どもに向いていないのが現実なのだろう。」と言ってました。
 今日も難波で今年教頭になった後輩に会いましたが、今の学校現場は管理体制が厳しく脇目を振ることが出来ないのが実情だ、管理職の一員となって四苦八苦している、と言ってました。
 古今東西、教育の仕方でいくらでも国の方向を変えられます。戦争への道を歩ませたのも、国の施策に教育界が追従したからです。逆に今日の若者を作ったのも教育者です。教育者自ら教育者としての自覚、「自分たちは未来の国を担っている子どもたち、生きている・心を持った子どもたちを育てているのだという、教育労働者としての自負を捨て、ただの金を得るためだけのサラリーマンになってしまっています。
 その上、管理というベルトコンベアに乗せられて、本来の教育者の姿を忘れてしまっているように思います。
 教育者としての基本理念だけは忘れないでほしい’
と、願って書きました。
 彼女なら私の願っていることが分かってくれると信じています。本当に今の教育界大変だと思いますが、教員になった以上次の時代を背負う未来のある子どもたちを、どうか輝く目を失わせないように教育してください。


9月18日


またまたやってしまった

 またまた馬鹿なことをやってしまいました。
 あるソフトが機能しなくなったので、それを修正しようとしたのですが、うまくいかず、それではOSのアップデートをしたらと思い、アップデートしたのですが、逆にますます変なことに。
 この時点でバックアップをしておくべきだったのに、ついそのことを忘れて「エイッ、フォーマットしてインストールし直しだ。」てな具合にやってしまいました。
 キーを押したあとに「しまった、バックアップ取るの忘れていた。」と悔やみましたが後悔先に立たず。おかげでメールとメールアドレスが8月1日より9月11日までが消えてなくなりました。
 この間は教え子や、メル友からのアドレス変更・アドレス報告などあったのにパーとなりました。手紙を出せる人は何とかなるけど、メールアドレスしかわからない人は、またメールくださるのを待つしかありません。
 
 騒動の元になったソフトですが、HPのサポートを開いたら、なんと回避法が載っているではないですか。それこそ大失敗。早く見ていればこんな目に遭わなくてすんだものを。
 
 日常よく使っているソフトをインストールし直しです。今度は一つ一つ起動と動作を確かめながらですから時間が掛かりました。
 私の悪い癖か、インストールし直したソフトをついいじってみたくなるので、ますます時間が掛かります。
 
 私のHPを開いたら、なんと画像表示されない箇所がありました。元のファイルがこの度のことで消えたなくなったためです。ちょっとおかしいなと思うのですが、まああとからじっくりと検討してみるつもりですが、たちまちは以前のようにして復旧します。
 
 これをお読みの皆さん、Windous XP をお使いなら新しくソフトをインストールする前は、復元ポイントを設定するなり、バックアップを取るなりされる方が賢明ですよ。私みたいにちょっと知ったらしくつっつく人は必修だと思いますよ。それとデータはOSとは別の記憶装置にセーブすることだと思います。私もデータフォルダは別のHDDにしているので被害が少なくて済みましたよ。
 
 ところで我がHPがなんと2200カウントを超えました。2000が8月22日、ジジーさんに踏んでもらってまだひと月経っていないのにうれしいことです。やっぱりリニューアルしたおかげかな。がんばらなくっちゃ。


9月 8日


リニューアルの反響

 リニューアルの反響は凄いです。
 メールで案内したことも大いに影響していると思いますが、「日記」を載せたことが良かったのかな。ここ8日で来訪者が150人を数えます。もちろん私がアクセスしたのは除いてです。
 思いもかけない人からメールをもらったり、掲示板に書きこみしていただいたり、うれしい限りです。正直言って
 今までは自分のHPですら毎日開いていなかったのに、「日記」を書くようになってからは絶対に開かないといけなくなりました。だから反応も早くなりました。それも良かったのかな。毎日我がHPを開くのが楽しみで。
 それと画像を添付するために今はことあるたびにデジカメを持って行動しています。撮った画像は修正・加工します。
 そのお陰で今まで単純な加工・修正しかしていなかったのが、いろいろな使い方を利用するようになってきました。これもお陰かな。結構修正・加工もおもしろいですね。はまり込みそうです。
 「日記」にも書いていますが、私のデジカメ最近不満です。ストロボ撮影をオートで撮ったら、シャッタースピードが1/125に固定され、どうしても画像が暗くなることです。これもFUJIFILMへ聞いてみようと思ってはいますが。
 
 というわけで、今日のデイケアにもデジカメを持って行きました。
 今日は施設の花壇に咲いている花を入浴順番待ちの時間に撮って回りました。台風一過すばらしい秋空の下で撮れました。私の影が映らないようにするのが大変でした。お恥ずかしいことに花の名前をほとんど知らないので、何の花やら分からないのがほとんどです。植物図鑑を見て勉強しなければ。
 それとデイケアのスタッフの写真も撮りました。今日は男子が揃っていたので、男子を紹介します。女子スタッフはお休みの人もいたので、後日にします。ついでに私のリハビリをしている様子も撮りました。
 
 いい天気だったのに、帰る時は雨がパラついていました。またお天気は下り、やっぱり雨はいやですね。


私の利用している施設はこんなに
のどかなところにあるのですよ。

副主任です。ちょっと下を向いた写真ですが、
8月の「祭り」には笑顔が載っています。

私と同級生、しかも小学生の時から
深いつきあいのある友人です。

彼は2年目になります。勤めながら療法士
の学校に通って目下勉強中。

今年採用の新人です。誰かに似ていませんか。
オリンピックでメダルとった人に。彼も勉強中。

ついでに私のリハビリの様子。
平行棒を歩いています。


9月 1日


リニューアル完了

 何とか9月1日リニューアル完了しました。
 まあ、これだけやるのにどれほど時間を費やしたか。やっぱり素人。それに年だ、手早く出来ない。
 でもこれからが大変。いかに維持していくかだ。あまり気張らずに気楽に行こうとは思っていますが・・・・
 これからもよろしくお願いします。


8月29日



なんとか出来ました


 早いもので、もう今年も8月が終わろうとしています。
 あんなに暑い暑いと言っていた夏も終わり、自然界は確実に秋を迎えています。
 
 この度心機一転、我がHPのリニューアルに取り組みました。「掲示板」の差し替えと「日記」の増設です。
 「掲示板」は今までプロバイダの提供していたものを使わしてもらっていたのですが、もっとカラフルで見た目も良いものをと思っていました。
 「日記」は身近な人も着けており、どうせ更新記録をつけているのだから、その延長線と考えれば出来るだろうと思ったわけです。
 本当は自分でプログラミングしてみたかったのですが、私の力では“屁のカッパ”にもならないと素直に認め、人様のをお借りすることにしました。
 とは言え、レンタルを借りるのではせっかく勉強したことが生かされないので、自分の手でサーバーに乗っけるところまではしなければと、悪戦苦闘。
 今までの参考資料を引っ張り出したり、WEBから参考資料を閲覧・ダウンロードしたり、結構自分なりに苦労しました。
 やはり一番苦労したのは、サーバー転送に関わる箇所のプログラムを書き換えることでした。ちょっこっと手垢がつくぐらいの勉強で何が出来ましょうか。
 この前「リンク」を乗せたときもそうでしたが、そこがやはり素人、プロから見ると初歩的なミスで何度も何度も間違えてしまいます。「よし、訂正したぞ。」と試してみると、以前訂正した箇所が元に戻っていたり、転送の仕方を間違ったり、どう見てもプログラムにはミスがないのにうまく動いてくれないと思ったら、何てことはない転送後の単純な起動設定ができていないために、あるいは画像をインストールしてないために画像が表示されなかったりの連続でした。
 私が加入しているプロバイダは、CGIプログラムをサーバに転送するのが少々ややこしいので、余計に難行しました。
 二つの完成に十日ほど掛かりましたかね。でもただの自己満足なのかもしれません。
 
 「日記」を載せたので、今までの「更新記録」や「表紙を飾った写真」がいらなくなりますので、今度はそれを削除しなければなりません。
 まあ削除は簡単ですから、すぐに出来るでしょう。
 
 オリンピックも終わりです。大型台風が近づいてきています。お陰で生暖かいしめった風で蒸し上げています。じっとりと汗ばみながら更新しています。
 9月からを期待していてください。


8月23日


私の今年の夏は終わった

 今年の夏は、教え子の再会に始まり、再会で終えました。
 6月には最後に卒業させた子の突然の来訪。びっくりしたと同時に、うれしくもありました。入院している母の病院へ向かう前に訪ねてくれたのですから。
 
 8月7日、ヘルパーさんご夫妻のご厚意で招かれた夏祭り会場での、教え子や親との再会。町の行事なのに、櫓の上から紹介スピーチをしてもらうなんて思っても見ませんでした。
 
 8月13日は、6月に来てくれた子が再来してくれました。
 
 翌日の14日は、私が初めて卒業させた子たちの同窓会。集まりは今ひとつでしたが、それだけに内容の濃い同窓会になりました。(これらは【つれづれに】に載っけています)
 
 トリは最後に卒業させた子です。もう何回も【つれづれに】には登場しているのですが、ずっと臨時教員を続けながら本採用を目指しがんばっていた子です。8月22日に訪ねて来てくれました。
 短大出で中学校の教員免許しか持っていなかったのですが、私の卒業大学の通信教育を受けて、小学校の教員免許まで取って、今年やっと関東の某市の教員に採用されました。今の時代、我が教え子ながら本当によく頑張ったと思います。
 その子と三月以来の再会、私の母まで再会を喜んでいました。時間があればずっとしゃべっていたかったのですが、そうはいかず残念でした。
 本採用になると言うことが地に着いて来る、不思議なことですね。なんだか言っていることに緊迫感を感じました。
 新興団地の中にある小学校、ママゴンがほとんどで大変なようです。新任教員がんばれ、教育の基本理念だけは決して忘れないようにしてくれよ、と祈っています。
 気づいてみれば彼女とは小学校卒業以来いろんな場で会っているのに、なんだか一枚も二人で撮った写真がない。この日は会う前から写真を撮ろうと思っていたので、別れ際妻に記念撮影してもらいました。今度はいつ会えるのかな。妻は、「お父さんは教え子に会うと言えば、前日からもうそわそわして待っている。そんなに教え子とはいいものかな。」なんて言いますが、教え子に会えるなんて教師だった者にしかできないこと。教え子が成長しているのを見られるなんて、最高ですよ。
 
 いやあ本当に生きていて良かったとつくづく感謝しました。また教え子たちに会えるのを楽しみに、日々生きる力を蓄えていこうと思います。



8月15日

同窓会

 娘と孫たち9日まで居るものと思っていたのに、何てことはない、8日の朝には帰ってしまいました。
 ケロっとしたもので、「また来るわ。おじいちゃんにバイバイしなさい。」でお別れ。婿さんは仕事の都合上先に帰っているので、帰りは弟を運転手兼子守として引き連れて(とは言ってもこちらがそうさせたのですが)ご帰宅なさいました。
 まあ、嫁に出したのだから当たり前か。旅館が忙しかったのもあって、今回は長くいてくれたのに十分接することができず、写真もたくさん撮れませんでした。
 今度孫たちに会えるのはお正月かな。そのときは一番目の孫ももっともの分かりしていることでしょう。


 今年のお盆は、教え子オンパレードとなりました。

 7日は、我が家が忙しいということで、入浴ヘルパーさんのご厚意に甘えて、夏祭りの招待を受けました。ヘルパーさんのお家は私が平教員最後に勤めていた校区に住んでおられるので、教え子やその保護者にも会えました。

 私が最後に6年生を受け持った子、最後の担任だった子に会えることができました。いいお父さんやお母さんになっていました。うれしそうに子どもを連れて。「あの子がお父さん、お母さんになっている。」なんて思うのは、教師だったからこそ味わえるものかなと思います。今の顔が昔の顔とダブります。

 あの頃は若くて素敵だった教え子のお父さんお母さんも、今は私と一緒で孫を持つおじいさんおばあさんになっておられました。
 櫓の上からわざわざ私が来ていることまで紹介されました。現教頭も来ておられたのに、申し訳ないことをしたようです。でもこんな機会経験は初めて、本当にいいことをしました。

 何から何までヘルパーさんご夫婦にお世話になってしまい、感謝のみです。妻とここまでしてくださる人(ご夫婦)はおられないよ。ありがたいことだね、と言い合いました。


行くなり早速大歓迎、いやはやもてたこと
もてたこと。妻がいたら嫉妬したのでは?

最後の教え子となった子ももう二児の母

素敵だったお母さんも、今は孫のいる
おばあさんになられました。

みんな働き盛りだったのに20年も経つと
ハゲや白髪とあいなりました。


 13日には前もってメールをくれていたのですが、やはり最後に卒業させた子(7月4日にも来てくれています。7月5日のつれづれに書いています。)が、東京からの帰省途中、家に帰る前に私を訪ねてきてくれました。
 友達と二人で帰ってきたのですが、もう一人が都合が悪くて一人訪ねてくれました。

 妻から言わせると、たわいもないことを二人楽しそうに話していたそうです。二人で話をしていると、つい昔の私に戻り、若いときのままになるのですかね。彼女もやはり当時の時のことを懐かしそうにしゃべってくれるものですし。

 あっという間に時間が過ぎ、彼女のお父さんから携帯に帰れコールのメールが入ってお別れとなりました。


 14日は、私が最初に6年を担任した子たちの同窓会に招かれ、妻の介護で参加しました。
 この子たちは6年前、私が倒れて2年目、まだまだヒョロヒョロしていたときにも、同窓会を開いてくれています。
 ただ、今回は担任だった先生が2000年に亡くなられたということもあり、出席者がちょっと少なくなりました。教員3年目の私を助けながら指導してくださった先生です。
 私のクラスの子だった人たちが自己紹介をしていると、そのころの顔が浮かんでき、向かい合って話をすると、当時の彼らと過ごした場面を思い出しました。
 ちょっと顔がわからなくても、名前を聞いたら即座に当時の顔を思い出すのだから、凄いものです。

 妻も私の勤めていた小学校の隣にあった幼稚園に勤めていたことがあり、全然知らない子たちではありません。

 それぞれ子どもが大事な時期を迎え悩む年頃の母親、仕事のことや家族を守ることで頭がいっぱいの親父たちばかりです。一生懸命がんばっているようでした。

 でも中にその子(人)の生き方が気になる子がいました。どうも教師根性が抜けないのか、その子のことが私の頭から離れません。
 私を見送るときにもその子は泣きながら私の手を握っていました。皆の中では威勢良く振る舞っていたのに、「ああ、この子の本当の心はこんなのだな。」と思いました。参加してくれたことの礼状の中にもついつい触れてしまいました。
 これからも時々手紙を書いてみようと思っています。

 一次会のあと、ほとんどの人が二次会に行ったようですが、私は一次会でお別れをしました。
 5年後に3回目の同窓会を開く予定とか、私にとってはがんばり目標が一つでき、うれしいです。5年後というと私がこの病気で倒れた年になるのですがね。皆元気でいて下さいよ。


本当はもう一人男の先生と3人で
担任しました。しかも3人とも青年部。
若さでがんばり抜いた6年担任でした。

この私のうれしそうな顔、雰囲気伝わりますか。

皆46歳だものね、いい中年です。

やっぱり教師冥利に尽きるかな。
 

8月 5日

孫たちが来た

 7月にまだ書き残さなければならないことがあるのに、パソコンのマザーボードを換えたためにいろいろとハード・ソフトに不祥事が生じ、その原因や対策に追われて、ついつい【つれづれに】の更新が遅れてしまいました。どうやらマザーボードの不適合から起こることがわかりかけてきたのですが、とりあえずホームページビルダーは作動するので更新します。

 7月31日に孫を連れて娘が帰省する予定でしたが、台風10号のおかげで一日早く来てくれました。
 30日は入浴サービスの日、ちょうど風呂から上がったときに娘一家が到着。顔だけ見て私はお昼寝。娘一家はほっと一息。

 あいにくとこの度は旅館の方が滞在を抱えているため十分な持て成しができません。それでも何とか夕食の晩餐会を催しました。長男も上京して留守しているため婿さんには申し訳なかったと思っています。

 台風のおかげでどこへも行けず、1日には婿さんは車をおいてJRで帰りました。
 娘と孫たちは9日に帰るとのことなので、ゆっくりです。
 午前中は市の子ども施設[POM]府中市子どもの国(http://www.ccjnet.ne.jp/~pom/)のプレイルームに行って楽しんでいるようです。

 孫が来たらいっぱい写真を撮ってやろうと思っていたのに、この度は長逗留するのでまた今度撮れるやとと思ってか意外と写真撮れていません。
 まあ途中経過でちょっと写真公開します。
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まだどちらも顔見知りしてない表情です。
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こちらはもう顔を知っているから表情違います。
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4ヶ月になるとよく笑ってくれます。
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お兄ちゃんも私の車いすで精一杯笑いの奉仕。
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「POM」でお遊び。
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遊具も豊富だし、部屋も広く快適です。


7月22日


天災

 7月8日(木)、いやあ、ひどい目に遭いました。
 7月から外科病院でのリハビリの曜日が変わって、火曜日と土曜日になりました。火曜日は今までの理学療法士の先生で、午前中なのですが、土曜日は午後3時からになりました。先生も川崎医科大付属病院から来られている男先生になりました。その先生の都合でこの週は木曜日になったわけです。

 午後4時前から激しい雷雨となりました。私はリハビリが終わり、物療治療を受けているときでしたが、すぐ近くに雷が落ちたようなすざましい音がしました。職員と「これはどこか近くに雷が落ちたんだわ。」と話をしたことです。

 雨が治まるのを待って、迎えが来ないのでタクシーに乗って帰ると、妻が「雷でエアコンが壊れた。」といって嘆いていた。客間のエアコンの一つがやられたそうである。天災だから保証は利かないし、やれやれです。

 リハビリで疲れてベッドに直行して昼寝。なぜかその日は夕食前までパソコンに触れず。食事前になってちょっとメールでも覗こうかとパソコンのスイッチを入れても、ウンともスーとも反応してくれない。同じタップに接続している機器はすべて正常に動いているのに、パソコンだけがスイッチが入らない。電源コ−ドを差し替えてもだめ。
 そこまでやってやっと「雷にやられた。」と気がつく。

 仕方ない。夕食時に息子に言うと、「電源ボックスがやられたのだろう。最悪の場合はマザーボードもやられているかもしれない。そうするとCPUやメモリもやられている可能性もある。」と脅かす。それでも「何とかしてくれ。」と頼むと、「今急ぎのことをしているのですぐは無理。」とにべもない返事。

 土曜日になってやっと息子が修理をしてくれだしました。電源ボックスとマザーボードがやられているのが判明。それを隣の市にある『アプライド』まで買いに行き、取り替えてくれる。
 ここからは私の仕事。osをまずアップデートする。アップデートはできたのだが、いざインターネットに繋げようとしても、繋がってくれない。LANを認識してくれないのだ。
 息子に言うと「マザーボードを換えたのだから、osは新規インストールしないとだめだ。」と言うので、インストールのやり直し。ところが新規インストールをすると、データが消えてしまうので必要なデータは別ドライブにコピーしておかなければならない。これにもちょっと時間がかかる。せっかくインストールしたソフトもまた入れ直さないといけなくなるので、あとが大変です。でもどうにか無事インストールし起動させたが、やっぱりLANに繋がらない。

 息子も首をかしげ、「ちょっと今は見られないから、待って。」と言われ、またまた数日間待たなければならない羽目に。でも我慢できない私、それならダイアルアップ接続をしようと、必要なソフト・ドライバをインストールして、接続設定をしインターネットに繋いだら、無事繋がりました。しかし、メールはまたosをどうこうすることになったらややこしいので開きませんでした。

 やっと息子の体が空いて、見てくれることになりました。それが15日のことです。息子もいろいろと試行錯誤、送信でき状態なのに受信ができない状態なのです。LANカードを換えてみたり、ハブを換えてみたり、ルーターを設定し直したり、osのインターネット接続設定を変えてみたりしたのですが、どうしてもうまくいきません。

 何か息子にひらめきがあったのか、私の部屋から出て行き、しばらくして帰ってきて「今度は繋がるよ。」と言うのでやってみると本当、うまく繋がりました。
もう一度ルーターを調べてみたようです。そうしたら私の回線のところだけショートした状態になっていて接続できなかったそうです。使用回線を変えたら良くなったとのこと。
今から思えば、osのインストールもアップデートで良かったのではないかとも思えてくるのですが、まあ致し方ないか。

 と言うわけで、あれやこれやソフトの入れ直しやらとパソコンつついているうちに日が経ってしまいました。

 まだまだ7月は書かないといけないこともあるのですが、暑中見舞いも書かないといけないし、旅館の顧客管理も入力しないといけないし、ああ忙しい。



7月17日


施設の「夏祭り」


 17日(土)、私がデイケアを利用している施設の「夏祭り」があり、参加しました。
 当日は旅館が忙しくて、家の者が連れて行ってくれることができないので、あきらめかけていたのですが、小学生からの友人が行くというのでお世話になることにしました。

今月から土曜日午後は病院でのリハビリになったため、それが終わるのが5時前になります。「祭り」は4時開始。友人は招待客になるので遅れて参加というわけにはいかないので、私は病院から施設までタクシーを利用せざるを得ません。市から給付いただいたタクシーチケットを利用させてもらいました。

 着いたらすぐ事務員の人が友人から頼まれていたらしく、車イスを押して友人のところへ案内してくれました。友人は夫婦での参加です。

 今日はちゃんと耳栓を用意していきました。スピーカーや太鼓 などの大きな音を和らげるためです。この病気になって右耳が難聴となり、ちょっと大きな音がするとそれが頭に響いて、気分が悪くなるようになりました。柔らかな音質なら少しは我慢できるのですが。ですからTVもラジオも大きな音にはしません。しかも外部スピーカーをつけて聞いています。

 ここの施設は、建物の前にウッドデッキがあり、それが結構広いので十分舞台代わりになります。
 私が席に着いたときはちょうど市内の和太鼓のグループが演奏しているときでした。中高生が中心で演奏しているグループです。結構迫力もあり、楽しめました。
 最近は和太鼓ブームなのですか、市内にもアマチュア・プロと結構活躍しています。
 友人が持ってきてくれたビールとカルビを早速いただきながらの鑑賞、友人の奥さんが気を遣ってくれます。
 
 実は高校生のチアガールの演技があったのですが、間に合いませんでした。残念。
 そのうちデイケアのスタッフとも目が合えば、寄ってきてくれ挨拶してくれます。もう結構いい気分になっていて、本当にお祭り気分です。理事長もよく知っていることもあり、飲み物まで運んでくださいました。

 出し物のトリは、職員による『よさこいソーラン踊り』です。勤務時間後に結構練習したそうです。しかし、デイケア職員と事務所勤務以外の人は夜勤・早番などがあり、練習もままならなかったそうです。
 チアガールのスタンツを取り入れたところもあり、練習するのが大変だったなあと思いました。

 元気だとあちこちに動いて写真を撮るのでしょうが、車イスではどうしようもありません。限られた場所で取るものですから、満足のいくものは撮れませんでした。それでもデイケアのスタッフは撮ろうとがんばったのですが。デジタルズームはだめですね。私のカメラではボケています。


一生懸命踊っている職員の気迫が
見ているものに伝わりました

正面からでなくて残念です


 「夏祭り」閉会挨拶のあと、私は図々しくもデイケアのスタッフを呼び止め、記念撮影をしようと言ったのです。後かたづけで忙しいのに近くにいたデイケアのスタッフを集めてくれての記念撮影。それが後日ローカル差し込み版の施設ニュースの写真場面に利用されました。
 友人が、「あんた、結構人気もんじゃのう。」と。


私は若い子に囲まれてご満悦

わざわざ集まってくださり、ありがとうです


 帰りは友人の奥さんの運転で、もう一人の友人の奥さんとお母さんを乗せての帰宅。その友達とは今デイケアのスタッフとして働いているのです。
 私が「〇〇君は若いスタッフの女性に囲まれてものすごう若こうなったよ。」と言うと「そうかな。そんなことないでしょ。」と言いながら何となくの奥さん。今回世話になった友人も「ええのう。うらやましいわ。」と。そこで私が、「△△もやっぱり男じゃ。まだ男を捨てちゃあおらんのう。」と言って車内爆笑。
 
 去年も家が忙しくて参加できなかったのですが、友人のご厚意のお陰で楽しい思い出を作ることができました。ありがとう。

7月 5日


夫婦喧嘩は犬も食わぬ

 土曜日の朝、夫婦げんかをしてしまいました。二人とも反目状態。
 次の日も同じ調子。昨夜は悶々として寝られなかったため、朝はゆっくりの起床。
 朝食が遅かったので、昼食まで一寝入りしようとベッドに横になり、うとうとしかけたところへ妻がひょっこり顔を出し、「〇〇ちゃんという教え子が尋ねて来ちゃったよ。」と言ってくる。

 その子は、私が最後に担任して卒業させたクラスの子です。よく私の所に尋ねて来てくれていた子と親友でもありました。
 その子と話をしていると、自然と妻とも話をしなくてはいけなくなる。3人で話をするようになる。私から妻に話しかけなくてはならなくなるし、妻も私に問いかけもしなくてはならない。何よりも通訳になってもらわなくてはならない。同級生の話・家族の話・現在のお互いの様子など2時間近く話をしました。

 教え子が帰ったあと、「お父さん、教え子が来てくれて良かったね。」と妻が言えば、それに対してこちらも「ありがたいことだ。」と言わなければならない。
 そこから何となく二人の間のわだかまりも解けて来だしました。まだ私の心には、こんなことで負けるものかと思っているのだが、情けない。易き心に流されてしまいました。まあ本当はお互い何か和解ではないが融和点を求めていたのかもしれません。それが教え子の登場となったわけです。

 【夫婦げんかは、犬でも食わぬ。】と亡くなった父がよく言っていましたが、本当にそうです。ちょっとしたきっかけが夫婦の縒りを戻すものですね。
 
 夫婦げんかの理由などもっと詳しく書けば、臨場感あふれる夫婦げんかの様子をお知らせできるのでしょうが、そこは私も恥ずかしいし、何より妻の人権を考えて書きませんでした。こんなインターネットに書こうものなら、それこそ妻に人権擁護委員会に訴えられかねません。そして最悪の状況を迎えるようになるでしょう。

 今はいつもの夫婦に戻っています。やれやれ、結局私の虚勢で終わったのかな。妻は強し。
 
 こんなこと書くなんて、結局は私の恥さらしかな。


6月25日


やはり悲劇が!!!

 やはり、おそれていた悲劇が起きました。
 今日はリハビリと入浴サービス受ける日。そしてお昼寝。寝ていたらやけに「ハル」が甘え声で泣いている声で目が覚める。「母さんがそばで何かしているのだな。」と思いつつ、まだうつらうつら・・ やがて「ハル」を注意しに行く息子の足音。駐車場で何か言っている妻と母。ばっちり目覚めてベッドに座り、体が完全に覚醒するのを待っていたら、数人の女性の「キャー・ワー」という声が。
 「まさか。蛇がまたツバメの雛を食べに来たのではないだろうな。」と不安になり、体がシャンとしたのを見計らって旅館のロビーへ行くと、妻と母がソファーに座って、ちょうどNHKのローカルでわが町名産府中味噌のことを放映していたのを見ている所でした。
 私の姿を見るなり、「雛が二匹とも蛇に食べられた。裕司(長男)がその蛇を捕まえて、今川の土手に捨てに行っている。親がかわいそうに雛を探しているよ。」と報告してくれる。
 最悪の結末を迎えました。昨日残りの雛が無事育ってくれるようにと書いたばかりなのに。あと四・五日もすれば巣立ちをしていたはずでした。
 蛇は一メートル以上もある青大将だったとのこと。雛を二匹も飲み込んだばかりで、動きが鈍かったのでしょう。難なく息子に捕まったようです。この辺りでは家に住み着いている青大将は『家主』として、捕まえたり追い払ったりしてはいけないと言われていたものです。しかし人間の思惑によって「憎き蛇」となり、捕まえられ土手に放られたのですから、この蛇もかわいそうといえばかわいそう。
 でもでも、自然界は本当に厳しいですね。

巣の縁に立って、親鳥を待っていた雛も、
今はもういなくなりました

雛のいなくなった巣に向かって、
一生懸命呼びかけている親鳥




6月24日


ツバメの雛が・・

 先日ツバメの雛誕生を紹介したのですが、今日は悲しいお知らせです。

 先日は四羽の雛が誕生して、すくすく育っている様子を紹介したのですが、次の日に巣を仰いで見ると三羽の姿しか見られません。妻と「確か四羽いたのにどうしたのだろう。巣の中で死んでいるのだろうか。」などと話をしていました。
 23日デイケアに行く時は、二羽しか姿が見えず、おかしいなと思いながら出かけたのです。
 デイケアから帰ると、ちょうど妻が脚立に上ってツバメの巣を見ているところでした。
 「お父さん、雛、蛇に食べられてしまったよ。」と。
 私の帰りを待ちながら、雛のことが気になってしょうがないので、脚立を持ち出し巣をのぞき込んだら、何と巣の脇に蛇がいたそうです。慌てて蛇を追い払い、巣をのぞき込むとやはり二羽しかいませんでした。
 「かわいそうに、蛇に食べられたなんてショックだわ。」と蛇の嫌いな妻は憎々しげに言っています。「そんなこと言っても蛇だって喰わなきゃ生きていけないよ。自然界では仕方のないこと。これが自然淘汰だよ。出なきゃツバメだらけになる。」「それは分かっているけど、何も家の雛を食べなくてもいいじゃない。それに家に蛇がいるということが気持ち悪い。」と妻は気分が納まりそうもありません。
 結局寝る前まで雛が可愛そう・蛇が憎い、と言っていました。私も理屈を言って妻には平静を装いましたが、内心は妻と同じような気持ちだったのですが。
 残り二羽は今夜まで無事で、親が交代で見張りと餌取りをしているみたいでした。最近の我が子を殺めたり虐待などする若い親に、このツバメの親の様子を見せてやりたいですよ。
 残りの雛、このまま無事元気に成長して巣立ってくれますように。

22日に撮影した時は、すでに3羽になっていたのでした。




6月20日

RINK集 改造に挑む


 Netサーフィンしていたら、cgiのリンク集プログラムに出会い、それを私のHPに採用しようと早速ファイルをダウンロードし、私のサーバーに合ったように設定して、いざアップロードしたのに作動してくれない。
 本を引っ張り出して見たり、サンプルプルプログラムを参考にしたりして試行錯誤でした。cgiプログラムを働かせるPerlというソフトから、cgiの動作チェックをするためのApacheというソフトをインストールしたり、そのソフトが正常に機能させるのに時間を費やしたり、自分なりに大変でした。
 私の利用しているサーバーは、cgiの動作チェックをすることができるようになっているのですが、どういうわけかエラーが出るのです。そこでプログラムが同じ箇所のある別のファイルを開いても結果は同じ。やはり私の方にミスがあるようです。
 サーバーのcgi設定説明から、今回導入しようとしたプログラムの設定説明書から、何度も読んでも機能してくれない。ベッドに入ってからも、明日はこうしてみよう、なんて考える有様でした。

 初心に返ってみるということは本当に大事なことなんですね。なんて言うことはない、私のタイプミスから起きていたのでした。それもこちらを直したら、あちらにタイプミスを作ってしまっている、なんて単純なミスで四日近くの時間を無駄にしたわけです。こんな時にチェックしてくれる人がいたらいいのになと思いました。長男に言ったら、「それはお父さんのミスだろ。」で終わり、見てやろうとは言いませんでした。私を甘やかしてはいけないと思ったのでしょう。(と勝手に判断しています)
 今度のリンク集は、管理者の私だけではなく、私のリンク集へ乗っけたいと思ったらその人が記載できるというところがミソです。でもいたずらされるおそれはありますがね。まあそういう時はこっちで削除させてもらいますけど。私のリンク先のコメントを修正したいなら、本人が訂正できるのも利点かも。

 まだまだリンク集、これからも張っていくつもりです。
 リンクを張らせていただいた人には、メールで同意を得るようにしています。先にリンク張らせてもらって済みません
 今年は我が家に、少なくとも私の知る限りに置いて2回目のツバメの雛誕生がありました。以前にも数回巣作りはあったのですが、雛まで誕生したのは2回目です。屋内駐車場に巣作りしてあるため、車の駐車にははなはだ迷惑なのですが、巣立つまでガマンです。

 それに今年は夏の花が咲くのが早い。モクゲも咲き、紫陽花と競演です。ノウゼンカズラも咲き誇っています。

親が若いのでしょう。四羽の雛が誕生しました。

両親交代みたいに必死で餌を取ってきています。

ノウゼンカズラの大きな花が一杯咲くと
すごく見応えありますよ。

モクゲも今年は例年より十日ほど早く咲きました。



6月9日


ちょっとした出来事


 前回ちょっと触れていますが、先週の水曜日デイケアでちょっとした出来事がありました。

 それは入浴の時のことです。
 私は心臓も悪いため、入浴の時は必ずシャワーは足先から順にお湯を掛け、胸へは一番最後に掛けるようにしています。そうしないと「パッ!」と体に掛けられるとビックリしてしまうのです。だから私の体を洗ってくれる人はだいたい決まっています。
 それが、この日はちょうどおられなくて、しかも新人のパートの人ばかり。そんなときは大抵スタッフが私のことを説明してくれるのですが、それもなかったのです。
 案の定、お湯を体に掛けられ、私はビックリして普段は出ない大声を上げてしまいました。座るイスにお湯を掛けていてそれが掛かったと言われるのですが。大声を上げたものですから、みんなビックリ、慌ててスタッフが来て断りを。でもその影響か心臓の具合がちょっと狂ってしまい、お湯にもろくに浸からないで出ました。
 出てからいつものように缶コーヒーを飲んでいたのですが、やっぱり調子が悪く昼食までベッドに寝ていました。昼食も食欲がなく半分ほどしか食べられず、またベッドに横になりました。
 そのお蔭か、昼寝後は体の具合も良くなって「首無地蔵」にも参ることができました。 主任が気を遣って帰りの車に乗って、妻に断りを言おうと思ったのでしょうが、あいにく帰った時妻がいなくて申し訳なかったです。
 今週は、ちゃんと主任が入浴係に気をつけるようにと、スタッフに指示をしていました。この日の係の人はいつも私を世話してくれる人で、安心してまかせられました。

 この出来事は、たいしたことではないようですが、私にとったら大変なことです。水ではなくてお湯じゃないか、といわれる人があるかもしれませんが、神経を過度に刺激することにいては水もお湯も変わりありません。
 前はスタッフが入浴介助もしていたのですが、利用者が増えてそれができなくなり、入浴介助をパートの人がするようになったのです。その最初の時にも今回のようなことがあったのです。それからは、スタッフも注意してくれるし、入浴介助の人も私には専属のように決まった人が付いてくれていますから、安心していたのですが。
 
 デイケアを利用するようになった最大の理由は、週一日でも家族の手・特に妻の手から私を解放させてやりたいと言うことですが、リハビリができること、入浴サービスが受けられるということも理由でした。ですから、ゆったりとした気分で入用サービスを受けたいのです。わたしのわがままですかね?



6月2日


「首無地蔵」参り


 デイケアから首無地蔵にお参りに行きました。
 首無地蔵とは、ある人の寝枕に「首無地蔵が埋もれているので、掘り起こして祭ってくれ。お蔭がある。」ということでその通りにしたら、本当にお蔭があって、お参りをする人が増えてきて、今では知る人ぞ知るお参り場所になっています。それが当市にあるのです。 http://www.fuchu.or.jp/~jizo/
 毎月18日が例祭にあたり、バスを連ねてのお参りがあり、特に秋の大祭は賑やかだそうです。我が家へも首無しにお参りに来たというお客が結構あります。

 ということで、私の利用しているデイケアも、府中公園のアヤメの観賞も兼ねて午後お参りしました。
 入浴の時、ハプニングがあり、調子を崩しベッドで寝て、昼食も半分も食べられないでまた寝ていたのですが、おかげで調子もよくなったので、私もお参りしました。

 首無地蔵を祭ってあるところは、府中公園の隣になります。府中公園へは先月23日に妻と行きましたので、そちらを見てください。

 30人の利用者と職員、総勢40人ほどで出かけました。駐車場には他の介護施設の送迎車もありました。
 水曜日の利用者は私のように車椅子の人が多く、また外出先では車椅子が必要な人も多くて、職員も大変です。ちょっとした坂もあって、ふうふう言いながら車椅子を押しているスタッフもいました。もちろんその人は最初の車椅子を運んで次の車椅子を運んでいる人でしたけど。

 昔はそれこそ小さな社だったのですが、今は立派なものが建っています。信心とはすごいものです。
 まず、線香をあげてその煙を体にまぶしてから、地蔵様をお参りに。

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大きな提灯も信者によって奉納されています
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正面の煙の向こうに「首無地蔵」が祭ってあります

 地蔵様を撫でて、その手で自分の体の悪いところ、お蔭をほしい箇所をお祈りしながら撫でると、御利益があるのです。自分でできない人は、付き添いの人の力を借りてします。私もそうです。
 皆さんそれぞれ御利益を受けたい人ばかりですから、真剣に願い事をされていました。 中には、霊水を飲まれた人もありました。

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私も真剣に祈願しましたよ
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これが「首無地蔵」様です。
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地蔵様をさすり、その手で自分の体をさすります
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わざわざこの霊水を持ち帰る信者もいます


 全員お参りが済むと、また駐車場に戻り車に乗って帰路に着きました。途中、車中から徐行してもらって府中公園のアヤメを眺めました。今日はもうちょっと過ぎていて、花が枯れ始めていました。でも池の土手の上の道路からはきれいに見えましたよ。
 
 我が市も最近は介護施設も増え、それぞれ大変なようです。私の利用している施設は、医療施設で、近隣の町村にはないのですが、それでも利用者の取り合いになっているみたいで、サービスの向上や、デイの過ごし方にも随分工夫をしているみたいです。今回の「首無地蔵参り」もその一つでしょう。
 利用者としてはありがたいことです。
 そのまま施設には帰らないで、自宅に送ってもらいました。

5月29日


時代絵巻府中巴祭り


 わが町府中は、その地名が示すようにこの辺りに備後国府が置かれていた頃、国府の中心地だったところで、古くからにぎわいを見せたところです。
 江戸時代まで瀬戸内山陽道と山陰を結ぶ道として石州街道(詳しくはこちらを見てください。 http://yagumo2.hp.infoseek.co.jp/sekisyu.htm) があり、その宿場町としても備後府中は栄えた所です。
 私が少年時代には、まだまだその面影が強く残っていて、遊郭なるものもありました。
 今年わが町は市制50周年を迎え、4月に隣町上下町との合併、そして同街道の環境整備の三つを祝うということで、「時代絵巻府中巴祭り」が催されました。
 時代絵巻といっても「花魁道中」ですから、当然賛否両論ありました。特に人権問題の観点から反対される人もありました。
 ただお祭り気分だけで「花魁道中」が行われることには問題があると思います。そのあたりを実行委員会がどの程度考えておられたか、疑問符は残ります。

私はご承知の通り車椅子ですから、直接見に行くわけにはいかず、息子にデジカメで撮ってもらいました。
 ということで、その場の雰囲気も分かりませんので読売新聞地方版折り込み「府中ニュース」の記事を使わせてもらいます。(適当に本文を変えないで編集しています)


 梅雨を思わせる曇り空の下で「時代絵巻府中巴祭り」が開かれた。紅殻格子の似合う旧街道を“花道”に、きらびやかな絵巻物が繰り広げられ、呼び物の“花魁道中”をひと目見ようという市民が沿道を埋めた。
 午後二時「金婚式夫婦」の乗った人力車を先頭に、稚児行列と花魁道中が出発。石州街道に沿って練り歩き、慶照時からマイタウン・ほんど〜りを経て、旧旅館“恋しき”を目指した。
 総勢19人で練り歩く注目の花魁道中は、金の杖をついた屈強な男性2人の露払いや、愛らしい少女のかむろ、芸者、新造と続き、豪華絢爛、高下駄姿の花魁が、肩貸しや傘持ちに守られ登場すると、見物人は競ってビデオを回したり、携帯電話のカメラを向けたり…
 道中胡町通りと府中ものづくり直販工房、“恋しき”前の三カ所で緋毛氈を敷きつめ…花魁独特の歩き方で“八文字“を踏んで見せると…。


金婚式を迎えたご夫婦を乗せた人力車を先頭に
行列は始まりました。

可愛い稚児さんの行列も加わりました。

ひと目この「花魁道中」を見ようと、
近隣の人も来て、すごい人手だったようです。

「花魁」役の娘さん、緊張していたのか、
ずっと厳しい顔をしていたようです。

 例年夏に行われる「ドレミファ祭り」よりも人手が多かったかもとの妻の感想でした。

 自分が観客として見ていないだけに今ひとつ迫力に欠けるところはご勘弁を。


5月23日


アヤメを観に


 天気が良いので、どうしても外に出たくなり、わが町の池ノ端公園(正式名称は府中公園)に連れて行ってもらいました。
 この日妻は、商工会議所女性部役員として「府中ものづくり直販工房」での宣伝販売のため、午前中そちらに行っていて疲れていることは分かっていたのですが、今日この日を逃すと天気にも恵まれないかも知れないし、何よりもその時間がないと思い無理矢理頼みました。
 午後一時半までの勤めだというので、私はお昼も食べずに待っていたのですが、なかなか帰ってきてくれません。帰ったと思えばゴソゴソと家のことをしていておいそれとは連れて行ってくれません。2時半過ぎてやっと出発。そのまま公園へ行こうとするので「僕はお昼食べていないのだから、何か買って行ってくれ。」と頼んでスーパーでおにぎりとお茶・それに私のもっとも好きなものを買って行きました。

 妻に車椅子をしてもらって池ノ端へのスロープを降りました。ちょっと急なのでブレーキを使わなければなりません。
 ここ数年は時期が過ぎての頃見に来ていたのですが、今年は何と少し早めでした。まだ3〜4分咲きといったところでしょう。でもそれなりにきれいでしたよ。何でも過ぎるよりその手前の方がよいですね。
 池の周りを半周したところでベンチのところで、アヤメと池の噴水・アヒル・人の動きを眺めながらおむすびをほお張り好きなものを口にしつつ、のんびりとしたひとときを過ごしました。
 妻はお弁当が出たとのことでもう食べていたので、池の縁に行って鯉を観たり、アヤメをのぞいたり、写真を撮ったりしていました。やはり外は良いですね。気分がゆったりします。
 
 あまりのんびりとはしておれないので、残り半周を回って、三脚を使って二人一緒の記念撮影をして帰りました。
 6月2日にデイケアでもアヤメを観に来るのですが、その時に天気が良いかどうか分からないし、のんびりと観られるわけでもないので、行って良かったと思います。

 帰れば妻はもう旅館の夕方の仕事です。休む暇無しでごめんなさい。私はもちろんお昼寝タイムでした。

 「府中ものづくり直販工房」のHPアドレスは次の通りです。通販もやっていますので、ぜひ来訪してやってください。

http://www.e-mon.jp/


天気も良かったからか色鮮やかでした

手前は古代ハス「大賀ハス」です

咲き立ちみたいで、とてもみずみずしく見えました

ちょっとまぶしくてこんな顔に


5月 8日


「二代目ハル」の一周忌


 昨年5月2日「二代目ハル」が亡くなって一周忌が来ました。
 4月に動物霊園から法要を営むので参加依頼があったのですが、都合で参加することが出来ずにいましたが、やっと都合と天候が合致し、8日妻とお参りに行きました。

 「ハル」の慰霊が安置してある動物霊園は我が家から30分ほどの福山市郊外山麓にあります。府中市の葬祭業者の関連施設で、私の小中学校同級生の息子が経営しています。 昼前に家を出て、途中献花とロウソク・線香・それに「ハル」が大好きだったビスケットを買って行きました。

 霊園に着くと、同級生がいました。事務所の守をしているそうです。
 早速慰霊碑にお参りしました。砂利が敷いてあるので車椅子では動きにくいのですが、バックするような形で妻に車椅子を引いてもらいました。
 手を合わせているとやはり「ハル」と過ごした時のことが思い出され、涙してしまいました。

 事務所に入ると、事務所の中にも拝礼上があり、その両脇に先日行われた慰霊祭の時の卒塔婆が飾ってあり、「ハル」のもありました。一年に一回法要を行い、希望者は卒塔婆を立ててもらってペットの霊を慰めてもらうようになっているのです。「ハル」も幸せものです。
 お参りしたらすぐに引き上げようと思っていたのですが、同級生との話が長くなりました。
 今度はいつお参りできるか分かりませんが、その時までのお別れをして、霊園を後にしました。
 
 と言うことで、昼食もとんだ時間になってしまいました。


祭壇に大好きだったビスケットを供えました

ちゃんと「ハル」の卒塔婆がありました


4月25日

妻の実家に行きました

 今日、妻の実家へ行ってきました。昨日行くつもりだったらしいのですが、義母が都合が悪いと言うことなので、今日行きました。行くといっても何のことはない、義母が足が痛いので自分ではバスに乗って花を活けに来るのが辛いと言うことで迎えに行ったのです。
 ちょうど昼に我が家を出たので、お弁当を買っていきました。今日は休みの日だからなのか、結構道が混んでいました。それでもまあ予定通りに到着。
 着いて家に入ると、まあなんとテレビの大きな音。義母は耳が遠いのでいつもこの調子です。私が這って行って戸を開けるまで全く気が付かず。あれでは帰って不用心だと思うのですが。

 私は早速トイレ。そのまま食堂に座って昼食。ここへ来ると必ずビールをいただきます。妻公認ですから安心しておいしく飲むことができます。ビールを飲みながら寿司弁当を食べます。またこれが旨いんですよね。
 今日は義母を迎えに行ったのが目的なので、長居はできません。それでもできたての野菜を取ったり車に積んだりする間、私は今に横になってウトウト。

 遅くなってはいけないので、3時にはもう帰宅の途に。今日はデジカメを持って行っていたので、妻に田舎の風景を撮ってもらいました。人口50万の都市でもこんな田舎の風景が残っているのですよ。
 義母の帰りは息子に頼みました。


向こうは旧日本鋼管の団地です。
下に山陽新幹線が走っています。

向こうは民家のあとが森に。手前は笹藪。
そのもっと手前は本家の畑になっています。。


4月19日


別荘から帰ってきました

 19日別荘から帰ってきました。
 妻が娘の産後の世話をするために9日から宮津へ行っていたので、その間私を家に置いているわけにいかず、検査を兼ねて主治医の病院に入院していました。妻の出かける前日から帰ってきた翌日までの11泊12日間の入院でした。

 今回は血液検査の結果もほとんど異常が無く、潜血便だったので胃カメラを飲んだぐらいで後は退屈な日々でした。
 ノートパソコンを持って行っていたので、CDMovieを観たり電子図書で読書をして時間をつぶしました。TVは昼間私の見たい番組はないので、前回の時もそうしました。

 朝は6時に「おはようございます。木下さんお薬ですよ。」の看護師さんの声でお目覚めです。ブラインドを開けて薬を飲ましてくれます。
 薬は6時間おきに飲まなければならない心臓の薬です。自分で飲めばいいのに看護師に飲ませてもらうとは甘えるなと言われそうですが、起床時はどうも運動神経が即座に働いてくれなくて、バランス失調を起こすためベッドから座ることさえ手助けしてもらわなくてはならないのです。そして自分で手のひらに薬を出して口に持っていくことがうまくできないのです。だから飲ましてもらっているのです。そうして10分くらいベッドの手すりを持って座っていると手足の運動神経もシャンとしてきてベッドから車いすへ移動したりできるようになります。ですから恥ずかしいことですが、朝一のオシッコはベッドに寄り掛かっての尿瓶です。
 自分では顔を洗えないので蒸しタオルをもらって拭きます。
 もちろんお茶も食事も運んでもらいます。朝食と夕食にパックの牛乳が付くのですが、付属のストローは看護師さんに外してもらっていました。
 朝食は7時半です。ご飯は全粥です。家でもそうなのでしてもらいました。何しろ食べるのが遅いのでいつも最後に膳を下げに来てもらってました。それでも間に合わない時もありました。
 食後の歯磨きを終え用足しをしたらもう8時半過ぎ。実はこれから寝直しです。朝の検針をしてから10時頃までお寝んね。もちろん検査も何もない時ですが。体を拭いてもらったり、足のアカを取ってもらったりもしました。その後は昼食までパソコンです。
 食事で困るのは魚の骨付きが出たときです。私はスプーンとフォークで食べていて、魚のほね外しができないので必ず看護師さんに骨外しをやってもらわないといけないことです。時には膳をさっと置いていく看護師さんがいて、私が膳について初めて骨付きの魚だとわかったときは改めてナースコールでお願いしなければならないときです。
 実は後一つ食事で困ったことがあります。私はネギがダメなのです。ですからネギの付いた料理はご丁寧にネギをきれいに取り除いてからでないと食べられません。汁物ですと、汁の中でネギをふるい落としてから具を食べるのです。だから遅い食事がますます遅くなります。

 午後も食後、回診までは午睡。回診後またパソコン。
 夕食後も歯磨き・用足しの後は消灯前までパソコン。看護師さんも恐れ入ってました。
9時の消灯後はTVを見て過ごします。午前0時に薬を飲まないといけないのでそれまで見ています。
 看護師さんが薬を持ってきてくれ、それを飲んでから寝ます。病院だから安心しているのか朝まで一度も目を覚まさずに寝ています。看護師さんが3時頃に見回りに来ているのですが、それも分からないほど熟睡しているようです。

 お風呂にも入りました。もちろん一人では入浴できませんから看護助手さんに入れてもらいました。そのうちの一人が何とお父さんが『たんぽぽの会』で一緒でした。本当に世の中って狭いですね。

 息子が毎日覗いてくれました。洗濯物の交換とスポーツドリンクを持ってきてくれました。それと留守の様子の報告です。
 一度だけ公衆電話で妻の所へ電話しました。妻の声がなんだかとても懐かしく感じました。孫とも話をしたのですが、「府中のおじいちゃん、英語を話している、何言っているかわからへん。」と言われてしまいました。

 19日妻が迎えに来てくれた時は、さすがにうれしかったです。敏感に妻には読み取られて冷やかされました。こういうときは冷やかされてもうれしいものですね。

 ナースすてーしょんに寄って、お礼を言い退院後の薬をもらい、最後に主治医に礼を言って帰宅しました。

 何だかんだと言ってもやっぱり我が家が一番。帰宅するとホッとしました。午後は入浴サービスも受け早速日常生活の戻りました。


  以上、別荘生活の報告でした。


3月20日


二人目の孫が生まれました


 お昼頃娘の姑さんから電話があり、娘が昨夜破水しもうすぐ子供が生まれそうだとのこと。
 昨夜も娘がメールをくれたので、まさかと思ったのですが、午後2時頃男の子誕生との知らせが入ってきました。
 予定よりちょうどひと月早くしかも逆子ときて帝王切開。でもお陰で母子ともにすごく元気とのこと、安心しました。

 医療がいかに発達しているとは言え、やはり未熟児誕生ということになれば心配です。障害が出なければと願うだけです。

 いよいよ二人目の孫ができました。内孫ではありませんが、やはりうれしいですね。娘よ、よく頑張ったな。


3月15日

妻の誕生日


 3月15日は妻の誕生日です。そう言えば今まで妻の誕生日にお祝いなんてしたことなかったな。せいぜい誕生日を覚えていたら、口でおめでとうがやっとだったな。
 独身時代付き合っていた時にもプレゼントなんてしていなかったと思います。
 それがどういうことか、今年はプレゼント贈りました。それもバラの花をです。

 一週間ぐらい前にメルマガで花のプレゼントをどうぞ!というのがあり、それを開いて見てて、申し込んでしまいました。ちょうどその日喧嘩していたのも影響したのかも知れません。

 宅配便で届けられた時、私はまだベッドの中でしたが、妻が、「これどうしたの?」と私を起こして尋ねました。「お金はあんたから払っといて。」「でもありがとう。気持ちがうれしい。」
 早速荷をほどき、バラの花の篭を部屋に飾りました。私も面はゆくて何も言わずに妻のすることをベッドから見ていました。年取るとこんなものですかね。
 一週間ほど、そのバラは私の部屋を和ましてくれました。


妻に贈った誕生日プレゼントのバラです

3月7日

デイケア「家族会」

  私の利用しているデイケアの施設が、「家族会」なるものを初めて催しました。妻は数ヶ月前に商工会議所女性部で施設見学していたのですが、私が参加したいといったので、ついてきてくれました。結構たくさんの家族が集まるのではないかと思っていたのですが、意外と少なく20家族ほどだったでしょうか。

 開会行事が終わると、家族はお風呂の見学、利用者は早速リハビリです。スタッフも初めてのことで緊張気味、見ていても分かりました。
 個別リハビリの様子を見てもらい、家族に理解をしてもらうのがねらいのようです。
 せっかく来たのだから、いつも通りのリハビリを全てしてやろうと思い、ちょっと頑張りました。まあ、妻にも私がこんなにリハビリ頑張っているんだぞ、という所を見せたかったのですが。何とか納得してくれたようです。
 妻は妻で作業療法士の先生に腕をほぐしてもらって満足そうでした。そのほか、私はペースメーカーを埋め込んでいるため受けてはいないのですが、物理療法も経験したようです。
 今日もあたしがやはりリハビリ、一番最後になってしまいました。他の人たちは、集団リハビリ体操のあと、リクレーションでゲームを楽しんでいました。
 杖を突いて歩くときは、妻もそばを一緒に歩いて、スタッフの私が歩行訓練をするときの留意点などを聞いていました。今日は、どういう訳か足が固まってうまく歩けませんでした。いい所を見せようとしすぎたのかもしれません。

 リハビリが終わったらもう食事の時間。今日はいつもよりちょっと多めで手が込んでいました。稲荷寿司・天ぷら・野菜の煮付け(頭付のエビもありました)・赤だし汁 等でした。やはりちょっと残してしまいました。
 食事の間にスタッフがそれぞれ利用者の施設での様子などを家族に話して廻っていました。私は、よく頑張っておられますよ、ということでした。
 ちょうど、私たちのテーブルに副理事長がやってきたとき、甘酒の話が出て(おやつに甘酒が出ること、その甘酒は副理事長の実家で造られたもの)、とうとうその甘酒が食事が終わったあと特別に出されました。みんなはいいことしたようです。

 そうこうしていると、もう終わりの時間。みんなで終わりの歌(今日の日はさようなら)を歌って,終わりの挨拶があり、解散です。実は私はトイレに行っていたため、いなかったのですが。トイレから出ると、そこに妻が待っていました。

 水曜日の利用者は5人の参加でした。
 お父さん、結構リハビリ頑張っているのね。」が、妻の感想でした。デジカメを持って行くのを忘れたのが大失敗でした。


3月11日

最後の「たんぽぽの会」


 とうとう最後の「たんぽぽの会」の日がやってきました。
 我が市も4月に隣町と合併し、その関係で、デイケアを利用しているものは来年度からは参加できなくなったのです。
 今日は妻も最後ということで予定をしていてくれたので、一緒に行くことができました。

 先月私がこの「たんぽぽの会」で撮った写真を焼き増しして参加者に渡して下さいと保健士さんに頼んでおいたのですが、ちゃんと封筒に一人一人に分けて渡して下さってました。そのお礼をもらいながらバイタル検査や問診を受けました。

 いつも通りに会が始まりましたが、何となくスタッフもギコチありません。保健士さんの話は骨粗鬆症の予防についてでした。私も骨粗鬆症になっているので気をつけなければなりません。

 今日のメインはフラワーアレンジメントです。最後の会にうってつけです。
 花を次々と飾り付けながら、思い出をテーブルで語り合いました。 
 私がこの「たんぽぽの会」へ参加したのは、97年の9月からでした。県リハビリセンターから市の保健課に、私が退院して家での生活の戻るからという連絡が入っており、それを受けて保健士さんが我が家に訪問され、リハビリ通所訓練教室「たんぽぽの会」への参加を呼びかけて下さって、参加を始めたのです。退院しだちで、大勢の人の前に出るのも病後初めてだったので、とても緊張して、自己紹介もろくにできなかったのを思い出しました。

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 それから足かけ8年、「たんぽぽの会」でいろんな経験をさせてもらいました。家に居ては決して経験できないこと、特にバス旅行はいい思い出になりました。
 同じ病気で頑張っている人たちとのつどい、お互いが口にこそ出しませんでしたが、勇気づけたように思います。月一度の会でしたが、参加できるということは家族の協力と本人が健康でなければできないことなので、なかなか大変なことです。私も病気で参加できなかったこともあるし、家族の都合で参加できなかったこともあります。

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 一人一人できあがった作品を持って記念写真を撮りました。インスタント写真ですから、帰りにはもらって帰りました。
 お茶を飲んで、いよいよお別れの時がやってきました。来年度からは市内の医師会に属している病院に勤務している療法士が指導にあたるということで、16年間も指導してこられた療法士の先生も今日で終わりです。先生との思い出を浮かべていると、段々と感極まってきました。

 保健士さんが、「それではタクシーも来ましたので、終わりにします。」と言われたら、とうとう私は声を出して泣き出してしまいました。妻は、「今日は卒業式だね。」と言ってました。
 療法士の 先生とも涙でお別れの握手。保健士さんも別れがつらくて泣いている人もいました。
 車に乗ってからもまだ未練があり、ロータリーを廻って見送りをしておられるスタッフの前を通って、最後のお別れをして帰路につきました。

 6年間本当にありがとうございました。来月からは、寂しいです。

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記念のツーショット。最後の勤務校の保護者で、
私より3年前に病気になられました。
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記念写真を撮りに行こうとしているところを
妻に撮られました。
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家で記念撮影。
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「たんぽぽの会」で作った最後の作品。

2月 5日

立春を迎えて


 早いもので、つい数日前に新年を迎えたばかりと思っていたのに、今日は早立春二日目、昔から言われているように一月はいぬる(方言かな、さっさと過ぎてしまうという意味です)、この調子で行くと二月は逃げるかな。

 それはそうと私の今年の抱負をまだ述べていなかったことに気が付きました。「たんぽぽの会」新年会の時に言ったのですが、ここ二年は病気らしい病気をするこことなく過ごせたので、ぜひ今年もそうであってほしいのが、やはり一番の願いです。
 二番目は、せっかく去年勉強したこと(障害者在宅ワーク支援研修)を生かして、HP作りの仕事をしたいと思っています。先日も私の利用しているデイケアの理事長と話が出来たのに、「HP作りませんか?」と言えなかった私ですが、頑張って声をかけるつもりです。私の親友の従兄弟でもあり、私の妹の同級生ということでよく知っているのだから、お願いしやすいのですから。第一歩の踏み切りを頑張って乗り越えなくてはと思っています。
 第三は、4月に娘が第二子を出産予定なのですが、どうも苦労している様子なのでぜひとも無事に産んでほしいことです。不妊症でありながらやっと二児に恵まれようとしているのですから。
 第三はやっぱり商売繁盛でしょう。去年から旅館は施設整備に補修にと多額の金を費やしてしまいました。旅館業というのは、必要経費が随分とかかる商売です。光熱費もそうですが、最低の食材は準備しておかないといけないし。今月は何とか忙しくしていますが、来月もという保証はありません。とにかく景気回復を願うのみです。

冬は苦手です。元々親譲りで手足の末端が冷たかったのですが、この病気になって一段と血のめぐりが悪くなったのか、一層冷たくなりました。入浴サービスをしてくださるヘルパーさんも私の手足の冷たさには本当に驚かれます。暖房の効いた部屋から一歩外に出ると固まってしまい、まるでロボットのように膝が曲がりにくくなって、杖と手摺りを利用しているのにかかわらず、足の運びが悪くなり、ややもすると前に転びそうになります。
 
 気になることがあります。なんだか近頃左手の動きが悪くなったような気がします。知らないうちに掌がどちらかというと丸く握りかけたようになります。昔からその毛はあったのですが、最近は意識していないとすぐ丸くなっているように思います。掌をぐっと伸ばすのにも力を入れないと伸びません。療法士の先生に聞いたら、「冬ということもあり、よけいに動き難くなっているのでしょう。意識してしっかりと動かすようにしなさい。あまり気になるようだったら、診てもらいなさい。」と言われました。自分で意識して頑張らないといけないのだと思っていますが、やはり人の子、ついつい横着になりがちで。
 それと言語障害のことですが、段々と発音するのが難しくなっているようにも思うのです。
 元々この病気になってから全くしゃべれなくなってリハビリはしたのですが、私の発音は、健常者のような発音が出来なくて、喉にかかったというか喉を絞っての発音なのです。その上すぐに鼻に抜け、上手な言い方をすると濁声のフランス語のようなのです。
 近頃特にカ行は、独立した単語として発音し難く、何度も言おうとするのですが、発音できなくて、言うのをあきらめたり、言うとする単語の前に他の言葉を付け足して言ったりしています。私の発音の仕方が悪くなっているのだろうと思いますが、気になります。 近くに言語療法士のいる病院はないし、またリハビリに通うようになると家族に一段と負担をかけるようになるし、迷っています。

 今週・来週は忙しくていいのですが、その実私は寂しいのです。早く言えば忙しいから構ってもらえない。車椅子の私では邪魔になるだけ。自分の部屋でパソコンを相手に寂しく過ごさなくてはなりません。買い物にも手がかかるので連れて行ってもらえません。夕食も10時前になります。じっとガマンの子でいなくてはなりません。妻なんか1時頃に寝て朝は5時頃起きています。我が儘なんか言ってはおれません。そんなに忙しくても、私の医者通いは必ず連れて行ってくれるのですから、文句など言えません。(本当は結構我が儘の文句だらけですけど)

 昨年「たんぽぽの会」で編んだ帽子、孫に送ってやりました。寒くて雪の多いところだから、とても喜んだようです。おじいちゃんとしてみたら、この上もない喜びです。


これが私の編んだ帽子です。よくできているでしょ。

去年の写真ですが、丹後は雪が多いです。

 デイケアのスタッフで私のお気に入りの人が、事務所勤めからまたデイケアに帰ってきます。昨日わざわざ 教えてくれました。送迎車の中で主任に話したら、私が知っていることに驚いておられました。妻にはごめんですが、来週からデイケアに行く楽しみが増えました。やっぱり男かな。

 HPを更新したからか、アクセスしてくださる人が急に増えてきました。わずか三ヶ月足らずの間にHPを開設してから3年の間のアクセス数の三倍になろうとしています。これも勉強したその成果の表れかもしれません。その分、期待に添うよう頑張らなくては。


2月14日

春一番

 今日は春一番が吹き荒れました。樋に貯まっていた枯れ葉が舞い散り、廊下にまで入り込んでしまいました。

 今夜は少年サッカークラブが団体で泊まっています。3年前から常連としてくださっています。紹介者は私の後輩、私とサッカークラブを立ち上げともに指導していた教員です。今夜久しぶりに会いちょっと話をしました。元気だった頃が懐かしく思い浮かびました。

 12日は「たんぽぽの会」でした。
 先日係の人から介護保険を利用しているかどうかの問い合わせがありました。デイケアを今後も利用するつもりだというと、来年度からの「たんぽぽの会」の出席はできないとのこと。私のようにリハビリのできる施設の利用者はダメなようです。ただの老人介護施設の利用はいいようですが。「たんぽぽの会」の正式名称はリハビリ通所教室ですから、私のように介護保険でリハビリをしている者はダメなのでしょう。来年度から隣町と合併するので統一するためにそうなったのだと思います。
 7年近く通って、親しくなった方達もおられるのですが、寂しいです。なんと言っても一番残念なのは、バス旅行ができなくなったことです。遠くへ行くのではありませんが、家族がなかなか連れて行ってはくれそうにない所、個人ではいけない所へも行けたりしたこと、何よりもバス旅行できたことが、もうできなくなることが残念です。
 でも、週に一日くらいは妻や家族を私の世話から解放してやりたいし。二者択一となれば妻・家族を選びます。

 で今月の「たんぽぽの会」のメインはベンチサッカーでした。いつもこのときはみんなハッスルします。
 この日もみんなハッスル。手を出してはいけないのに手が出る。動きにくい手足も結構動いている。そういう私も利きの悪い左足を一生懸命使っているのだから不思議です。人が必死になってゲームをやっているのを見るのも、これまた楽しです。このベンチサッカーの時に写真がないのが残念です。
 お茶をんんでいるときの話題は、もっぱら4月からのこと。参加者のほとんどが4月からはどんなメンバーになるのか不安そうでした。
 来月はお別れの会を込めてフラワーアレンジメントをすることのなりました。今月も妻が付いてこれなかったので、来月の最後の会には行けるよう今から予約しておきました。
 巷では蕗のとうが盛りだと聞けば、いや堤にはもうツクシが出ているという人もいます。本当に春はすぐそこまで来ているのですね。
 ということで、TOPページのBGMも替えました。


2月22日

春を感じました

 22日、久しぶりに妻とドライブしました。とは言っても妻の行ける所と限定されますが。それと雨が降るとの予報も出ていたので、ごく近場の市外にある神社に行きました。 そこは私が通れたときに勤めていた小学校のすぐそばにあり、1400年代に創建された元々は神仏混合だったらしいです。ですから鐘楼があります。現在寺はすぐ下に移設しており、アジサイ寺として結構このあたりでは有名になっています。
 ほんのちょっと市街地から離れているだけで、とても静か。妻も気に入ったようです。 境内の隅で車から降りて、妻に車椅子を押してもらいながら、散策です。
 木々はまだ芽がつぼみでしたが、鳥が訪れや鳴き声で、心を和ましてくれました。
 ホオジロが水を飲みに来て、姿を見せてくれました。またウグイスがきれいな声で鳴いてくれました。本当に春だな、と感じました。こせこせした気分が洗われたようだと、妻が喜んでくれ、わずかな時間でしたが、素敵な時を過ごせました。神社を降りた頃から雨が降り始め、グッドタイミングでした。


今の神社は江戸時代に建て直されたもので、
現在は市の重要文化財に指定されています



2004年1月12日

新年会


 明けましておめでとうございます。随分遅い年賀の挨拶になってしまいました。お正月の間はのんびりしていまい、ちょっとHPをつつくのがおっくうになっていましたので。それと、ディスプレーがパンク寸前となり、プツンと切れるようになってきました。最初PCが悪いのかと思っていたら、TVを見ていても切れるのでディスプレーそのものがだめになったようです。私の部屋は、病気になってから二階に上がれなくなったため、隣接してある6畳のプレハブで生活しています。元は子どもの勉強部屋でしたが、いいことに廊下で母屋とつながっているし、出入り口にはスロープを設けることもでき、狭いながらも一応満足しています。
 その部屋に私のベッド、妻の折りたたみベッド、パソコンデスク(これはダイニングテーブルを利用しています)、戸棚などを置くとPCモニタとTVの両方をおくことができないので、TVチューナ付ディスプレイを使っていました。
 現在はブラウン管のTVチューナ付ディスプレイは販売されていなくて、液晶です。私にとっては痛いのですが、妻に頼み込んでやっと今日ネットで申し込みしました。でも在庫がないため、納期には時間がかかりそうです。それまで今のディスプレーを騙し騙し使わなければなりません。プツンする回数がどんどん増えていますので間に合うかどうか不安です。


 と言うことですが、今回は7日にあったデイケアの新年会と「たんぽぽの会」新年会の様子です。

1月7日  デイケアの新年会

 去年は31日までデイケアがありましたが、新年は5日から。私は毎週水曜日ですので7日が今年初めてのデイケアの日です。
 いつも通りの送迎車での迎え。と思っていたら妻が、「お父さん着物でお迎えよ!」と言うので、玄関まで出てみると、なんと女子職員が着物を着て立っているじゃありませんか。びっくり。新年会は綺麗どころが和服でお出迎えしますとは言っておられたが、まさか車でのお迎えまで着物を着てこられるとは。

 今日は送迎車は満員。もう一人乗ってから、車は府中八幡神社へ。此処は市中でも北部の小高い山にあるのですが、車で社殿の敷地まで行けるので障害者にはもってこいのところです。
 ちょっと寒い日だったので全員はお参りできませんでしたが、私は社殿の階段の下まで行き、巫女さんにお払いをしてもらいました。足の立つ人は階段を上がって賽銭を投げて拝んでおられました。
 寒いので、お参りを済ませると、早々に施設に向かいました。

 施設に着くと、早速和服を着た女子職員がお出迎え。いや、いつもとはやはり違いますね。きれいに見えます。男子職員も一人袴を着ていました。新年会も三日あったので多分交代で着物を着たのではないかなと思いますが、今日が一番綺麗どころがそろっていたように思います。
 あとの職員は普段の仕事着で、バイタルチェックやら検温に追われています。いつもは30人前後の利用者なのに今日は41人とデイケア室も満杯状態。
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どうです、この綺麗どころ、水曜日の人はついていました。

 一息ついたところで、飲める人は屠蘇をいただきました。もちろん私も一杯だけいただきました。
 和装した男子職員が獅子を持って入場。一人一人を咬んで回りました。私が子どもの頃には、正月に一軒一軒獅子舞が廻っていたのですが。
 今日は新年会ですから、花柳流の方が四名来られて、踊りを披露されました。もうちょっと若い人だったらいいのにと、邪なことを思ったりして。でもお年寄りには大変受けたようでした。
 次に和装した職員が一生懸命練習したという踊りを踊って見せてくれました。踊りの名前を忘れたのですが、だいぶ練習したみたいで、結構腰も決まっていました。いやあ、艶やかでしたよ。
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歩ける人は神殿の前までお参り
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今年も元気で過ごせますように
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やはり花柳流と名がつけば踊り方も違います
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忙しい中練習したのだろうな、ありがとう


 そうしているうちに昼食の時間となりました。
 もちろん今日は特別料理。おせち料理ににぎり寿司です。本手の寿司職人がその場で握ってくれるのです。好きなのですが、まあ食べ過ぎないようにセーブするのに大変でした。弁当寿司とは味が違いますね。けっこういただきました。

 食後は一休み、私はベッドに横になりウトウトと。

 午後は入浴です。入浴を待つ間や入浴が終わったら、ゲームに参加です。神経衰弱・坊主めくりをグループに分かれてしました。私は坊主めくり。全員勝ち負け戦の紙相撲をしましたが、私はできないのでパス。
 坊主めくりも2回廻ったところで入浴の番が来ました。
 今日は多かったのですが、私はいつも通りゆっくり満足いくように入りました。ですから風呂から出たらもうゲームは終わっていました。他の人もほっとした時を過ごしているようでした。私はいつも通り持参の缶コーヒーを味わいました。

 そうしているうちに3時のおやつの時間。今日は甘酒にお饅頭。甘いものの嫌いだった私が、今では結構食べるようになりました。口が変わるものですね。

 楽しかったデイケアでの一日も終わりです。「今日の日はさようなら」を歌って送迎車に。いつもだったら最初に降りるのですが、今日は4番目。ですから家に着いたのは4時20分頃でした。
 楽しい一日でしたが、結構疲れ、お昼寝もぐっすりと言うところでした。

1月8日  「たんぽぽの会」新年会

 8日は「たんぽぽの会」新年会でした。妻も付き添っての参加です。
 別に変わったことをしたのではありません。お正月三が日のお餅を食べた数を言い合い、みんなで今年の抱負を述べ合いました。
 私は一日2個の6個です。今年の一番の人は9個でした。
 豊富はやはり一番多かったのが、健康に過ごせることでした。そういう私もここ2年病気らしい病気をしていないので、今年も元気に過ごせるようにと述べました。
 例年はゲームは双六だったのですが、去年私が双六はもういい、なんて言ったものですから、風船バレーに変わりました。でもみんな正月で運動不足になっていたので良かったみたいです。
 私のチームに今まで風船バレーで勝ったことがないと言われる人がいましたので、こりゃあ負けだな、と思っていたのですが、なんと出だし好調、一回戦は勝ってしまいました。ご本人も「今年は違うぞ。」なんて言っておられましたが。二回戦は、よそ疑わず我々の負け。しかし接戦でした。得失点差では私たちが勝ちました。「今年は何かが違う。」そうです。
 そう、この4月からは私のようにデイケアに通ったり、リハビリが目的でヘルパーさんに来てもらっている人は、この「たんぽぽの会」には参加できなくなります。逆に言えば障害の重いものは参加できないと言うことにもなります。参加者がぐっと減るのではないでしょうか。まあ4月には隣町との合併もあるし、色々あるようです。しかし長年参加していた者にとっては寂しい限りです。
 ということで今月の「たんぽぽの会」もお茶を飲んで終わり。あと2回です。今年度は無欠席でいたいものです。
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外野は笑ってますが、私たちは真剣
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ちょうど私が打ち返したところです

写真のできばえが悪くてごめんなさい。妻が撮ると遠くから撮るのでいつもこうです。


1月24日

ディスプレイが新しくなりました


 18日の午前中にネットで購入していたディスプレイが届きました。在庫がないので発送が遅くなるとのことでしたが、頼んで10日で届きました。
 前にも書きましたが、私が今居る部屋は元子ども部屋にしていた6畳のプレハブです。ですから狭いので、TVとパソコンモニタと二つも置くスペースがないので、TV付ディスプレイでないと困るのです。ということでシャープの液晶TV付ディスプレイを購入したのです。
 午前中に取扱説明書を読んで、午後から早速セッティングです。まず古いモニタの取り外し。これは20キロもあるので妻の手にも負えなくて、各種接続コードは私がはずしてから、息子に取り外してもらいました。ついでにテーブルの上の掃除を妻にしてもらいました。
 液晶だから軽いのですが、私には持ち運ぶのが無理、また妻の手を煩わせてしまいました。

 すべての接続コードをつなぎ終わり、スイッチオンです。TVやビデオの方は全く問題なし。チャンネルを設定し、TVも見られるようになりました。液晶独特の画質と色合いです。見慣れるのに時間がかかりそう。今度はワイドやズームで見ることがでるので映画などを見るのに重宝しそうです。

 次はPCです。パソコンを起動させたら大丈夫ちゃんと作動しました。OS起動後の細かい設定もうまくいきました。これで一安心といきたいのですが、実は大きな問題が残っているのです。
 それは今度のディスプレイはPCの画面表示がノーマルで1024×768、WXGAという方式で1280×768となっています。購入するときに調べたのですが、私が装着しているグラフィックボードは古くて対応しているかどうかわからなかったのです。もし対応していなかったら仕方ないから買い換えるつもりでした。
 今まで設定していたようにコントロールパネルから画像プロパティを開いて1280×768に設定しましたが、正常に表示してくれません。やはりボードを買い換えなくてはだめかと覚悟したのですが、翌日それでもと思い、もう一度説明書を読むと、画面表示モードの設定はユーティリティを使ってするように書いてあるではないですか。付属CDをPCにセットしユーティリティを開いて画面表示モードをセッティングしたところ、なんとうまくセッティングできたではないですか。やれやれ、これで無駄使いせずに済みました。
 今度のディスプレイは17インチのワイド画面なので、PCの時もノーマルだとTVを見ているときの画面をノーマルにしたのと同じで両端が無表示画面になります。それを1280×768にしてやると画面一杯にPC画面が表示されるのです。最初はちょっと慣れませんでしたが、慣れてくると横の表示が広いだけに便利です。写真画像などが横広になって表示されるなんてことではありませんよ。
 
 最後にスピーカの取り付けです。ディスプレイ内蔵のスピーカでは音が悪いので外付けの高性能小型スピーカをイヤーフォンジャックに接続です。前のディスプレイに使っていたものです。ディスプレイの横に貼り付けることが今度はできないので、本体の後ろに置いています。PCで作業しているときは、大抵ネットラジオを聞いています。今もそうですけど。ほとんど洋画のサントラ、時々クラッシック。

 高い買い物をしたので、大事に使わなくてはいけません。あとOAフィルターが届くのを待っています。

これが今回購入したディスプレイです