2008年

3月30日

デジカメを買ってもらった

 全くひょんな妻との会話から、「デジカメ、どれぐらいするの?」「僕としては6万ぐらいかな。」「私が買ってあげようか、それぐらいなら何とかなるよ。」ということぐらいの話でした。
 ちょうど様々な製品の新製品が出る時期。私も興味ある製品はWebで見ていますから、当然デジカメのカタログも見ていました。
 本当はデジカメ一眼レフカメラがほしいのですが、重たいということとレンズ交換をしなくてはならないということで、諦めてはいたのです。そこへFUJIとOLYMPUSが一眼ではないがそれに近い機種を発売したのです。
 私としてはFUJIが良いなと思ったのですが、ちょっと高い。それに専用の充電池でなければならないことが、頭の中ではネックになりました。
 その点OLYMPUSは一回り安く、電池がアルカリ電池でも使えるというところに気に入ったのでした。
 妻からそんな甘い言葉を聞かされて引っ込む私ではありません。二日後くらいに、「この間のデジカメ買っても良いよと言ったこと、本当?」「この前言っていたぐらいの値段なら良いよ、買ったら。」と正式にオーケーをいただく。
 もう一度価格.COMで値段を調べ、やはりOLYMPUSに決定し、注文する。
 機種の正式名は、「オリンパス デジタルカメラ SP-570UZ」で、一眼レフカメラの一つ前になる機種です。

全面

背面


 1.まず軽いです。電池別で445g。これなら私でも持ち易い。
 2.ズームが20倍。自由に動き回ることの出来ない私にはありがたいです。
 3.上でも書きましたが、電池が専用ではなくて単三アルカリ電池でも使えるということです。これなら長く使えます。通常は充電用電池(普通に電気屋で売っているやつ)を使います。今まで使っていたカメラは、もう専用電池の生産を止めているため、まもなく使えなくなります。この器械ではたぶんそれはないでしょう。
 4.外部ストロボが使えること。内蔵ストロボは容量が小さいため、ちょっと離れると暗くなってしまいます。お祭りなどはどうしてもストロボが必要ですから。
 5.銀盤カメラのフィルムのようにこの機種はISOを変えて撮影できます。要するに場面によってフィルム感度を変えての撮影が出来るということです。
  人物を撮るときには、感度を低くして密度の濃い写真を撮る。動きや暗いところでは感度を上げて撮る、なんてことが出来ます。
 ほかにもまだあるのですが、私自身まだ使っていない機能もあります。
 逆に欠点もあります。それは高倍率で撮ろうとすると、ピントがオートで合わないことがあるということです。これにはちょっと参っています。何か解決方法があるのでしょうが、まだその方法がよくわかりません。勉強・勉強。
 さすが1000万画素。きれいです。前のカメラが300万画素なかったのですから、大きな違いです。
 使い慣らしていくうちにまだまだいろいろな機能も取得していくだろうと思っています。
 フィルム一眼レフで使っていたストロボが、カメラをマニュアルにして使えば使えないことはないのですが、ちょっと試してみて非常に難しいです。絶対にパッとてな写真は撮れません。またまた妻におねだりしましょう。

初めて撮ったのは
私のAUDIO機器

部屋の外の水仙
外は初めて

施設の隣の庭に
咲いていた梅

ズームをいっぱいにしてみました

散歩途中のスナップ(孫ではありません)

川縁に咲いていた
サクランボの花

小さな花もセニア
カーから撮れます

みごとに近くに
寄ってくれます

一斉に芽が吹き出す前の川原です

部屋の外の小さな
水仙も撮れました



4月27日

四月撮り

 四月は新しいデジカメの撮影にはもってこいの月です。デジカメを三月に買ってもらったのも四月の風景・花を撮りたかったからでもあります。
 ここに四月に撮った風景・花を一挙載せましょう。ただしそのままの大きさでは重くなるので縮小しています。

 春に咲くといえば、もちろん【桜】ですね。私がセニアカーに乗って行ける範囲での桜の名所を撮りました。(4月3日撮影)
 最初は、POM周辺です。私が通院している外科医院もその一角にあります。桜と医院の建物を一体にして撮ったのを差し上げています。

続いて府中公園の撮影です。この日は天気が良かったのと日曜日で桜の満開ときて、大勢の花見客でした。実は前の日にも来たのですが、曇り空で良い色合いが出なかったので、取り直しをしたわけです。(4月6日撮影)

 二週間後に妻と愛犬を連れてPOM周辺の川縁に行ったときに撮った花たちです。 じっくりと構えて撮っていないので、思うようなのが撮れませんでした。 この日は暑かったので、遊びに来ていた親子連れも川に入って遊んでいました。 我が市を通っているJR福塩線の三次に向かうジーゼルカーもたまたま撮れました。(4月20日)

 最後は【藤の花】です。近隣に有名な藤があったりするのですが、セニアカーでは到底行かれないところ。私の行動範囲はセニアカーで行けるところだけです。
 で、結局はお世話になっている外科医院の裏庭にある藤と、日本一の石灯籠がある『府中金比羅神社』の藤、そしてお決まりの『府中公園』の藤です。
 まだカメラになれないせいか、満足のいく写真が撮れなかったように思います。(4月27日)
@〜Eが外科医院の裏庭 F〜Hが金比羅神社 Iは我が町古老の旅館(去年よりリニューアルして、一般公開している)  J〜Sが府中公園


@
A B
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D

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Q

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4月29日

11年ぶりの再会

 先日電話がありました。「木下さん、絵はがきありがとう。私木下さんに会うことを今年の目標にしているのですよ。本当に会いたいです。この連休中はどうですか?」と言うことで話がまとまり29日に会うこととなりました。
 
 再会する人は、11年前脳梗塞で麻痺した体をリハビリするために入院した「広島県立障害者リハビリテーションセンター」で私の担当だった運動療法士の先生です。
 私が入院したのが5月2日。彼女(先生)は、学校出だち。私が二人目か三人目の患者だったそうです。とても熱心で親切でした。私にどんなことをさせたら手の機能回復に良いのだろうかと研究されていました。
 鉢の底に置く碁盤目のシートに通し針のついたビニールひもを通してモザイク模様作りをしたり、ビーズで絵作りをしました。直径5mmほどのカラービーズ玉を一つずつ並べて絵に仕上げていくのです。その当時の私の握力は右が8sで左5sほどだったと思います。特に指先でものを摘むことがなかなか出来ませんでした。もちろんストレッチによる筋肉のほぐしもしてもらいました。また両肩にはホットパックを当てて暖めてからストレッチをしてもらいました。
 今、こうしてキーボードがらくらく打てるほど指先が回復したのも彼女のお陰だと思っています。今は握力も成人女性並みまで回復しています。
 
 退院してからも彼女とはEメールや手紙でのやり取りを続けていました。その結果が今回の成果となったわけです。
 
 29日午後一時に彼女はオートバイでやってきました。そう彼女はバイク野郎女なのです。広島から高速を利用してです。
 
 会うなり、「いやあ木下さん元気そうになって。太られちゃったのかな。話されていることもよく分かるし。」「先生もお変わりなく。」で始まり、入院中のことや今日までのことなど、いろいろいっぱい話をしました。妻も話しに加わり、私の分までしゃべってくれました。
 
 施設も見学してもらいました。彼女も介護のこと勉強しておられるのかな、詳しく知っておられたから。
 
 時間はあっという間に過ぎました。火曜日なのでヘルパーさんの来る日なので名残惜しいけれど仕方ありません。再会を約束してお別れです。彼女、彼氏が出来たと言っていたから次回は結婚しているかもね。



7月23日

狭心症

 5月頃からなあ、何かからだが今ひとつしゃんとしない感じを受け始めだしたのは。体がだるいというか重たいように感じ始めたのです。足の浮腫みも前よりひどくなったようだし。今から思えば6月24日にメニエールを起こしたのも・・。

 7月3日(木) 9時半過ぎ、夕食後の薬を飲み終わったとたんに、胸に痛みが来た。最初はペースメーカーが働き出したのかな、と思っていると、刺すような痛みに変わってきたのです。「胸が痛い!」と言えば、妻は「そりゃあ、神経痛じゃろう。肋間神経痛。」と相手にしない。息子も妻に同調して、」「そこが痛いと言うことは・・・。」と講釈を述べ始めるのです。
 その間にも痛みは増すし、脈拍も早くなってきました。汗も噴き出てきました。我慢できなくなって、「痛い、痛い!」と声を荒げていったので、やっと妻もただ事ではないと感じたようです。「お父さん、寝てみよう。治まるかもしれんから。」と、部屋まで連れて帰ってベッドに寝かせてくれました。
 「ニトロを飲んでみる?」と言って飲ませてくれましたが、一錠では効きません。このあたりから息子も尋常ではないと悟ったようで、「医者に電話してみたら。」と妻に助言してくれました。二錠目を飲んだところで妻が病院に電話したところ、「来てください。診ますから。」と言われ、妻の運転で病院へ行きました。
 車に乗り込む頃から痛みが和らぎ始め、病院へ着いて心電図を取る時には、もう発作は治まっていました。
 先生が心電図を見られても、もう心電図は正常な波形になっていました。先生も原因も病名も確定できなくて、「どうします?泊まってみますか?」と言われました。
 母も入院しているし、私も入院と言うことになれば、妻への負担が増すことになります。「帰れるものなら帰りたいです。」と言いますと、「じゃあ、そうしますか。また何かあったらすぐ来てください。」と言うことで帰宅しました。
 それからは2.3日おきに胸痛を起こすようになりました。胸痛が起こると、ニトロを舐めるか、ミオコールスプレーをするかして治めていました。本当はこれが良くなかったのですが、私はたちまち痛いし、しんどいし、薬に頼らざるを得ませんでした。
 
 しかし15日の深夜の胸痛は、一度治まってもすぐまた次の胸痛におそわれました。4回ぐらいあったと思います。それで16日朝、息子に病院へ連れて行ってもらったのですが、とうとう「こりゃあ入院して調べないとだめですね。」と言われついに入院となりました。
 まだその時は先生、狭心症とは思ってもおられなかったようです。すでに異形狭心症があり、それでペースメーカーを入れているのです。ですからまず胃カメラで胃の検査をされました。「異常ないなあ。」首を捻っておられました。
 
 入院してからは安定しており、大丈夫かなと思ったのが大間違いでした。ちょうど夜中に大発作。若い看護師さんだったので少し慌てたようです。入院しているのだからニトロを舐めなくても良かったのに舐めてしまいました。
 
 17日午後1時半頃また発作に襲われました。またこのときもミオコールスプレーをしてしまいました。
 そして2時過ぎ、院長の回診が終わった直後に発作を起こしました。
 ナースコールで異常を訴えた時は看護師さんも、さっき起こったばかりなのに何で?と言うような気持ちだったのではないでしょうか。それでもすぐ駆けつけてくれて、すぐに院長先生と連絡を取り、心電図計を取りに行きました。このときはニトロもミオコールスプレーも使いませんでした。ひょっとしたら先生が指示を出されていたのかもしれません。ちょうどこのとき妻が母の見舞いを終えて私の部屋へやって来ました。『何を看護師さんがバタバタしているんだろう。』と思いながら私の部屋に来てみてびっくりしたそうです。

心電図計が来るとすぐ心電図を取り始めました。ちょっと看護師さんも慌てていたみたいで、先生から注意を受けるほどでした。
 私はどんどん痛くなり、ますますしんどくなり、とうとう声が出るまでになりました。
 やがて心電図計のカタカタという音がし出しました。記録されている心電図を見ていた先生、「こりゃあ、狭心症だわ。・・間違いなし、狭心症。奥さん、どうされますかな。福山の循環器病院か、岡山か?」それと看護師さんに、「もういい、判ったからニトロを与えて。」やっと看護師さんがちょっと口を湿らせてからニトロを舌下に入れてくれました。
 循環器病院は近隣では有名な循環器専門病院。岡山とは、岡山医療センター(独立行政法人国立病院機構)のことです。ペースメーカーはこの病院で埋め込んでもらい、交換もこの病院でしています。
 「少し遠いように思いますが、主人のことが判っている病院の方が良いです。」と妻の返事。その頃は私の発作も治まりだしていました。「お父さん、それの方が良いでしょう?」「うん。」「それじゃあ、すぐ手配してみますから。」と先生は病院と連絡を取りに出て行かれました。
 
 「お父さん、私車、トッポで来ているから、置いてタクシーで来るから。」と言って出て行きました。トッポは施設が送迎に使うからです。
 『また大変なことになってしまった。妻の心配ばかりかけるなあ。』と発作の治まった頭で思うことでした。母は同じ階の別の病室にいます。『私がこんなことになっているなんて知らないだろうに。』
 
 岡山医療センターと連絡が取れ、OKということになりました。妻が来て荷物を整理し次第、救急車が呼ばれました。またまた救急車で岡山まで移送です。市外への移送には医者がついて行かなければならないので、院長先生が同乗してくださいました。「前の時も木曜日だったですよね。午後休診の日を狙っているみたいですなあ。」これまで4回救急車で移送してもらいましたが、4回とも木曜日でした。不思議だなあ。
 
 病院までは時間15分くらいでしょうと救急隊員が言っていましたが、実際はちょうど1時間で着きました。病院に到着5分前くらいから、また発作に襲われ始めました。先生に訴えると、「もう着くから我慢してください。」と。
 
 救急車入り口に着いたら、もうスタッフがそろって待ってくれていました。そしてストレッチャーを乗り換えるなり、点滴を打たれました。そして直ちにカテーテル専用の手術室に運ばれました。手術室に行く間に、担当医師が、「もう大丈夫ですからね。これから検査して、悪いところがあれば、続いて処置しますから。」と教えてくれました。
 手術の準備をしている間に先生同士情報交換され、妻は同意書などを書かされるために、別室へ行ったようだ。
 
 いよいよ心血管造影検査の始まり。股の付け根の動脈からカテーテルを入れるのです。
 「それじゃあこれから始めますからね。ちょっと麻酔を注射するので痛いですよ。」胸が痛いので注射の痛さなんて問題ではありません。
 血管そのものには神経がないのでしょうね。カテーテルが通って行っていても痛くはありません。
 頭上の器械がめまぐるしく左右上下に動きます。まるでロボットみたいです。これが造影撮影機らしいです。ライトもついたり消えたりします。おそらく撮影の時にライトが消されているのでしょう。
 造影剤を注入されると、胸が熱くなるので判ります。先生の「・・を用意。・・を何ミリグラム。・・を注入。」と言われているのが局所麻酔なので全部聞こえます。何度も先生が「今しんどいだろうけど、我慢してください。しんどいのは分かっていますからね。」と声かけもされます。
 
 しばらくして、「原因が判明したから、これから処置をするからね。」と言われました。引き続き処置作業が行われました。またまた頭上の器械が活発に動き出しました。
 「ちょっとしんどくなるけど、我慢してくださいね。」と何度か言われました。
 「木下さん、もう終わりましたよ。もう大丈夫だからね、安心しなさい。細くなっている箇所があったので、広げておいたからね。」
 
 何と一時間半もかからないで、検査と処置まで終了。びっくりしてしまいました。
 術後はCCUへ一晩お泊まりです。動脈へ穴を開けたので、止血ために圧迫してあり、3時間は絶対安静で体を動かしてはいけないのです。20数年前にカテーテル検査を受けた時は、12時間安静だったのに、これも医学の進歩でしょうか。
 妻が病室へやってきて、「お父さん、ものすごく細くなっている箇所があって間一髪だったそうよ。ステントを入れたんだって。」と話してくれました。またこの病院で助けてもらいました。もちろん地元の先生にも。
 カテーテル検査のことは、次のアドレスにアクセスしてください。素人が書くよりよく分かりますから。
 http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamph/pamph_44/panfu44_02.html 
 
 妻は今日一晩は付き添わなければならないと思っていたようだが、「もう帰られても結構ですよ。後は私たちがおりますから。」と看護師さんに言われ、それじゃあと言って帰りました。妻も忙しいし、そうした方が良かったです。
 
 当然のことですが、もう何時間経っても胸の痛みはありません。
 三時間後に無事圧迫用のパットが外れました。三時間でも結構腰が痛くなるものです。
 無事一晩明けて、一般病室へ移されました。
 
 その後の入院生活は日記を見てください。
 
 本当に私は運の良い人間です。普通の人だったら死んでいるかもしれない病気を何度もしておりながら、こうしてパソコンに向かっておられるんですから。家族・医療関係者に感謝するのみです。
血管造影写真(病院よりいただいた動画より)


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写 真 の 説 明

@ 血管造影で見つかった狭窄した部分。冠動脈の根元近くです。画像中央部分の縦の血管が切れたように見えるでしょう。
A 別な位置から見た画像です。ほとんど針のようになっているのがよく分かります。上部の血管の途切れたようになっている部分です。

B これがステントです。バルーンで膨らませたところだと思います。この作業の時しんどかったのだと思います。下の心電図が異常なのがおわかりでしょう。
C バルーンを取り除いた後のステント。画像中央にうっすらと見えると思います。
D 処置をした後の造影画像です。斜めの太いところがステントを入れた部分です。
E 角度を変えて撮った画像。中央横に走っている血管です。
F @やAと血管の太さを比べてください。術前と術後との違いが分かるでしょう。
G 細部まで血が通っています。心電図もほとんど落ち着いています。これで手術は終わりです。