1.母の最初の思い出
2011(平成23年)2月27日午後7時45分に母が享年九三才で亡くなりました。
その一時間前まで私は母の病室にいたのに。死に目には会えませんでした。
母の思い出を出来るだけ思い出して記録しておこうと思い、【つれづれ】に書くことに
しました。
載せられるものは画像も添付したいと思っています。少し時間が掛かりそうですが、
思い出す限り書き綴ってみます。
母とのことを一番最初に覚えていることは、おそらく三才の頃だと思う。妹がまだ母の背中に寝ん寝こ袢纏で負ぶさってもらっており、私は母に手を引かれていた。その時妹は赤ずきんちゃんのようなオーバーを着せてもらっていたのを鮮明に覚えている。
当時母方の祖母が疎開で我が町へ来ており、そこへ行った時だと母から聞いた。着いたら祖母が迎えてくれ、妹を母の背中から降ろすのを手伝っていた。
でも残念なことにその時の祖母の顔は思い出せるのに、母の顔は思い出せない。もちろん何を話したなんて分からない。たったそれだけの記憶である。
私は二歳の時乗せてもらっていた自転車から転倒し、後輪のチェーンギアに挟まれ右手中指が切断寸前となり、応急にくっつけた状態でひどく曲がった状態であった。普段私は負い目があるからか掌を開くことはほとんどせず半分縮めた格好にしていた。つまりパアの半開きのような状態だ。
就学前の発表会で私は『猿とカニ』のカニになった。カニだからはさみを持っている。そのはさみをチョキの指の格好で表すのだ。当然私の右手中指は曲がっており、変なはさみになっている。
演技中にそれを見た先生が「木下君、指をまっすぐ伸ばしなさい。」と注意をした。「へいでも(だって)、この指は伸びんのじゃ。」と言って泣いてしまった。その時先生は謝らなかったような気がする。
その日家に帰って母に訴えたら、母も涙を流した。そしてすぐさま父に報告。父は激怒して保育所にすぐ行った。
次の日だろう。先生が「指は伸びんでもええから、カニの役しなさい。」と言って、発表会当日も曲がらない指ではさみを作って演技したのを覚えている。
母の思い出
2.保育所時代の思い出