index_fig3.gif         



2000年12月分 2000年11月分 2000年10月分 2000年 9月分
2000年 8月分 2000年 6月分 2000年 5月分 2000年 4月分





12月28日



12月の「たんぽぽ会」


 12月5日はクリスマス会でした。
 今日はクリスマスケーキ作りです。様子を撮ろうとデジカメを持っていこうと妻に持たせたのが失敗、溝に落として水浸し、あっという間もなしです。10万円がパア!すぐにカメラ屋に持っていったけど、水に浸かったら網ダメだと言われ修理もなし。で妻が弁償することになったんですが、4.5日部屋の暖房で暖め干したら何と使えるようになりました。奇跡です。いつまで持つかわかりませんがそれまでは使います。しかしケーキ作りのスナップは撮れずじまい。
 直径10センチほどのパンケーキをデコレーションするのです。去年より一回り大きいです。
 まず下地作りに生クリームを一面に塗ります。道具がないので、押し出したままのクリームです。クリームの色も一色、ノズルも一種類、ま、我慢我慢。二重円を描き、その上に十字のクロス、円と十字が重なっているところにお山を作りました。そして真ん中にイチゴ、そのほかヒイラギの葉とサンタさん、メリークリスマスと書いてあるチョコレートを飾って出来上がり。
 クリームを絞り出すのが、手が十分に動かないので難しかったです。我ながらいいのができましたよ。お見せできないのが残念。
 お茶の時間、いつもなら饅頭などですが、今日はショートケーキ。ケーキを食べながら、クリスマスプレゼントをいただきます。三角くじを引いておきます。
 今年は療法士の先生がトナカイ・若い独身の保健婦さんがサンタです。この先生が結構芸達者。いろいろ笑わせながらプレゼント配りをされます。
 私には差込型の増設コンセントでした。いろいろと考えて選んでありました。去年は付き添いの人にもプレゼントがあったのですが、今年はなし、これも節減かな。
 みんなそれぞれプレゼントをもらって満足、うれしげな顔で次回また会いましょうと言葉を交わして解散。今日も楽しい半日でした。

 12月21日は革細工の予定でしたが、前2回で仕上がったので(ちょうど私はギックリ腰で欠席)ゲーム大会になりました。
 いつもの先生ではなく、三原市から来られた先生の指導でありました。
 始めに滅多と使わないところを使おうということで、足の親指の下にグリップを置いてそれを足元を見ないで失わないように10回踏むのです。これ結構難しいですよ。つい下を見てしまいますし、踏んでいる感覚が無くなってしまうのです。まあ足に麻痺があるから余計なのかも知れませんが。
 次に新聞紙1/4ページを片手だけでもみくちゃに絞るのです。健康な人なら何でもないでしょうが私には何とも難しいことか。
 今度はその新聞紙を開いて足に敷き、足の指で絞っていくのです。これも難しい。指が滑ってしまうのです。それでも何とか絞ることに成功。 
その絞った新聞紙を今度は両足を使って広げるのです。指が結構動くのと、新聞紙の端を足の指でつまむことができるので、これは以外と簡単でした。
 これからゲーム本番。まず新聞紙1/4をさらに半分に折って、それを縦に引き裂いて折り返しのある短冊を作り、細いロープに下げます。これをうちわで扇いで風で落とすのです。ただ風を強くするだけでは逆に新聞紙がロープにまとわりつくだけ、うまく左右の風を起こすことができたら、新聞紙がふわりと浮いて落ちるのですが。健康な人のように腕が動かないので、ただ力まかせ、思うようにいきません。
 やはりうちわを使ったゲーム。円陣を作り、さらにその中にもテープで輪を作ります。その輪の外側に風船をばらまき、うちわで扇いで輪の中に入れるゲームです。自分所にある風船を輪の中に入れようと思ってうちわを扇ぎすぎると、人が入れている風船を輪の外に出してしまう。そのタイミングが結構大変。でもついつい自分の風船を入れたがる。思うようにはいかないものです。
 今度は風船を入れるんをじゃまする人を加える。一段と難しくなりました。おかげで腕が痛くなりました。今日のゲーム私たちのチームは完敗。夏にすれば良かったようなゲームでしたが、普段使わない筋肉・関節を使ってのゲーム、結構おもしろかったけど大変でした。
 この日は、クリスマス会も終わったからか出席者が少なかったようです。押し迫っていたので、みんな忙しかったのかな。
 来年は1月12日です。




11月28日


ギックリ腰


 こんなことでどうしてギックリ腰になるのだろう。

 11月6日、同窓会出席から帰って1週間目、リハビリを終えて妻の買い物にそのまま付いて行き、スーパーに入り妻は買い物、私はトイレに行きたくなり、この日に限って一人で。
 障害者用トイレは洋式なので、便座をきれいにしようと備え付けの除菌液をトイペに浸し斜めの姿勢で便座を拭いたのです。
 その時は何ともなかったのに、いざ用を足そうとして立ち上がろうとしたら、腰が重くて鈍い痛みがあり、スッと立ち上がれない。それでも手すりを持ちながら何とか車椅子から便器に移動し用を足す。
 やっとの思いでトイレから出て、そろそろと車椅子をこぎながら妻を捜しに。こんな時に限ってすぐに妻が見あたらない。やっと見つけて、「ギックリ腰になった。」と言ってもすぐに買い物は止めるわけには行かない。私は妻の買い物が終わるまでレジの近くで待つ羽目に。
 買い物が終わって車に乗るときが大変。たった瞬間に腰に鋭い痛みが走り、力が抜けてしまい、ストンと腰が落ちてしまう。妻に抱えられてやっと車に乗る。
 まだこの時はそんなにひどいとは思わなかったので、車に座ったままではありましたが、次の買い物にもつき合いました。これがまた良くなかったみたい。家に帰りそれでも夕食は車椅子でしました。

 翌日はもっと痛みがひどくなり、ついにベッドから起きることもできず、食事もベッドを起こして、それでも数十分しか持たず痛くなり、そこでベッドを寝かすと腰に痛みが走る。我慢して食べるしかない。病院に行っても待ち時間が我慢できないので金曜日まで行かず。小用はベッドで尿瓶へ、大きい方は痛いのを我慢して助けてもらいながらトイレで。
 週末になるので金曜日、痛いのを我慢して病院へ。待っている間車椅子に座るのも辛くなり、待合室の長椅子に横になっていると、リハビリ室の療法士さんが通りかかって、看護婦さんに連絡を取ってくださりストレッチャーに寝かしてくださいました。医者の診断もストレッチャーに乗ったまま。レントゲンも念のために撮りましたが、やはりギックリ腰。「入院3週間ほどするか。」と言われたのですが、入院すると私に付き添いが必要だと妻が自分で判断し、今旅館が忙しいので付き添いができないから「家で寝かしています。」と、注射と薬をもらって帰宅。
 14日に一度メールを開き、何人かの人に実状をメールしたのですが、それ以降はおとなしくベッドに寝ていました。

 11月18日は妻の父の13回忌の法事。だいぶ腰の痛みも和らいできたのですが、まだ車に1時間も乗れる状態ではないので欠席することにしました。代わりに長男をいかせることに。しかし妻は参加しないわけにはいきません。かといって私を置いていくと面倒を見る者がいない。母では私を抱き起こすこともできません。
 苦肉の策、いつも入院している内科病院に預かってもらうよう頼んだところ、快く引き受けてくださったので、17日の昼から20日午前中まで入院(ショートステイのようなもの)させてもらいました。この病院だと私のこともよくわかってもらえているので、付き添いが無くても面倒を見てもらえます。
 入院したのですから、何も治療しないと言うわけにはいかず、腰の痛み止めの注射を打たれる羽目にはなりましたけど。ベッドから降りたのはトイレの時だけ、あとはずっと寝てばかりでした。誰も来ず、部屋を覗くのは看護婦さんだけ、寂しい三泊四日でした。妻が迎えに来てくれたときは正直言って凄くうれしかったです。退院後も数日はおとなしくしていて、24日まで寝ていました。

 活動開始は25日から。長時間座っていてそのあとベッドで腰を伸ばすと痛みが走っていましたが、それもやがて亡くなりだし、ふだんの生活に戻ってきました。
 でも腰は普段でも相当負担をかけているのですから、このように腰を痛めるともうギャフンです。左側を痛めたのに今度は右側が痛くなりました。まあ右側は前から痛めていたのですが、腰の負担が右に集中したため痛みが出てきたのです。リハビリも12月1日から始めましたが、もちろん杖を付いて歩けるわけありません。平行棒の中を行ったり来たり、足が上がらない・ずぐに怠くなる、まあ元に戻るまでには今年いっぱい掛かるでしょうけど、がんばります。


以上今回のギックリ腰顛末記でした。

DSCF0137.JPG

妻の母が作った菊




10月31日



「塾の会」同窓会



 行って来ました同窓会へ。

 10月28日新横浜に友達が迎えに来てくれ、相模大野の宿舎まで車で送ってくれました。
 宿舎には叔父と伯母が会いたいと来てくれていました。叔父とは大学卒業以来だったので、感無量、手を取り合って私は泣くばかり。一時間ほど話をしました。
 18時30分より歓迎会をホテルと同じ建物のなかで催してくれました。こちらは同期の合唱団だった仲間が主となって集まってくれました。私たち夫婦を入れて12名です。先輩も来てくれました。30数年の垣根なんて会った瞬間から無くなり、懐かしい学生時代の事、そして現況など話し合いました。私と妻のなれそめなども聞かれ照れくさかったです。
 楽しい時間というものはあっという間に過ぎるものですね。またの再開を誓って、一同集合写真を撮って別れました。

 10月29日は「塾の会」
 9時半過ぎに大学へ到着。食堂で受付を済ませて礼拝堂へ。玉川はクリスチャンの学校ではありませんが、授業の中にも礼拝が組み入れられていました。
 礼拝堂は丘の途中にあるので、車ではその途中までしか行けないので、あとは友達が両脇を抱えて助けてくれました。

 塾の生活を語ると長くなるのですが、簡単に書くと学生寮とは違い、起きてねるまで共同生活をするのです。朝は太鼓の合図で起床、聖山といわれる丘に登って賛美歌斉唱・体操、そして朝食時には週番による食事準備ができているのを注ぎ合って歌を一曲歌ってから食べるのです。朝食前の労働作業もありました。夕食も合同の食事です。
 自由に過ごせるのは日中だけ、つまり学校に行っているときです。今の若者では我慢できないでしょうね。だから1972年くらいからだだの寮のようになったので、塾が無くなり今は建物すら残っていません。7年前に大学を訪れたとき塾の建物が全て無くなっているのを見て唖然としたものです。これも時代の移り変わりでしょうか。

 礼拝では当時の塾管理者であり牧師でもあった先生が説教をしてくださいました。
 そして玉川創始者である小原学長の懐かしい生前の声を聞かせてもらいました。私たちは学長のことを「おやじ」と言っていましたが、おやじの声を聞いているとやはり泣けてきて。塾の朝の会・誕生会や様々な行事にも参加され、奇策に塾生と会話されていました。私も学長の家に伺い、大嫌いな芋キントンを勧められ、学長の奥さんに助けてもらった思い出があります。

 礼拝が終わり食堂に戻って会食です。席は入学年度ごとの席になっており、懐かしい顔に出会い、話も弾みました。
 1963年度から1971年度の入学生で200人を超す人が集まりました。みなさん立派になられて、やはり教育者になった人が多かったです。
 北は北海道から南は鹿児島から来ておられました。私の変わった姿を見ても動じることなく話をしてもらえたのはありがたかったです。ちょっと女性は顔を見ただけではすぐに思い出せない人が多かったです。男はすぐ誰かわかりましたよ。中には私が忘れているエピソードを話してくれる人もいましたし、共通の話題で盛り上がったり、やはり楽しいひとときでした。
 やがて終わりの時間がやってきて、再開を誓い合って解散。多くのともが私を見送ってくれました。

 会が終わってから車で学園の中を回ってくれました。やはり30年以上も前とは変わって、新しい校舎や運動場・体育館などがたくさん建っていました。変わっていないところと言えば礼拝堂周辺くらいのような気がしました。雨が降ってなければ写真も撮れてのに、残念。

 夜は2人の男友達が同じホテルにわざわざ泊まってくれ(一人は近くに住んでいるのに)、夕食をともにしながらまたまた話に花を咲かせました。妻もまるで自分も同窓生であるかのようにうち解けて話に入っていました。

 10月30日、友達の車で新横浜まで送ってもらい、無事予定通りの列車に乗ることができ、帰省できました。
 3日もずっと私につき合ってくれた友に本当に感謝です。私を巡る3人の女性に会え懐かしく話ができたこともよかったな。

 この三日間の思い出は私に新たなページを刻んでくれました。こんな機会を与えてくれた友に感謝すると同時に、その会へ参加できるようにいろいろと気を遣ってくれた家族、そして介助してくれた妻にも感謝します、ありがとう。

 
DSC00005.JPG



10月22日


55歳誕生日

 21日、55歳の誕生日を迎えてしまいました。

 これまで何度生死の境を彷徨ってきたことか。そのたびに奇跡とも言える運の良さで今日まで命を長らえてきました。
 乳児の時に栄養失調となり、祖父から「死ぬのなら気の移らないうち(愛情が湧いてしまわないうち)に死ね。」なんて言われながら、父の教え子が駐留軍として駐留したとき我が家を尋ねて来てくれ、骨皮の私を見て驚き物資を横流ししてくれたために助かったこと。
 時速50キロ以上のスピードのオートバイに乗っていて横転し、電柱に頭をぶっつけたものの、ヘルメットをしていたことと、首・背骨をまっすぐにして頭を電柱にぶっつけたために無傷で助かったこと。
 数度の心臓発作の時のこと、髄膜炎の時のこと、脳梗塞の時のこと、数えればキリがありません。本当に運の良い男です。

家族には時には足手まといになり、鬱陶しい存在だろうと思いますが、居るという存在価値を見せながら、決して後ろ向きにはならないで前向きに生きていこうと思います。そうすることが、私の命を長らえてくださった神・仏に対する恩返しだと思います。
 来年には初孫のできることだし
Dscf0092-1.jpg



10月14日



「たんぽぽの会」

 12日は、月例「たんぽぽの会」がありました。今月から月2回になりました。
 旅館は忙しかったのですが、妻も気分転換を兼ねて、付き添いで参加してくれました。
 実は数日前に喧嘩をしていたので、その仲直りを目論んだのだと思いますけど。「たんぽぽの会」に一緒に出席すると喜ぶことをよく知っていますから。

 この日は、実習で学生さん2人も参加、ちょっと若やいだ気分になりました。
 また今月は私の誕生月(21日)になるので写真を撮ってもらいました。最後のお茶会の時に今月の誕生者を紹介してもらって、みんなで祝ってもらうのです。そして写真はカードに貼ってくださいます。

 メインイベントは例年だと運動会なのですが、この日はゲーム大会。
 まず鉢巻きの色の関係で、赤色と黄色の一組12名の二組に組分け、私は黄組になりました。

 最初のゲームは、「くしゃくしゃ まるめて ポイッ ゲーム」。
くしゃくしゃまるめてポイッ ですから、だいたい想像つくのではないかと思いますが、そう新聞紙半ページを手で丸めて玉を作り、それを箱の中に投げ入れるゲームです。
 『何だそんなこと3歳児でもできるよ』なんて思われるかも知れないけど、片手が麻痺して片方しか使えない者・私のように両手思うように力の入らない者が多くいるのですから、大変な競技です。まず1枚ずつ新聞紙をとるのが難しい。それを投げて遠くまで飛ぶような玉にするのも一苦労です。
 試合時間は1分。テーブルがあるためにアンダースローはできません。私はオーバースローでは遠くまで投げられない。両手で思い切りきつく丸めたようでも、投げるとふわりとしか飛んでくれないし、箱の手前にポトリ。それでも10個くらいは玉を作って投げたかな。箱に入ったのはたったの2個でした。

 1回戦目の箱に入った玉を数えます。その前に玉になってないものは除きます。審判員である療法士の先生が赤組の箱を点検している間に、黄組の応援団長の保健婦さんがそっと箱に手を突っ込み、緩んでいる玉を握り固めている。そんなに形は崩れていないのだけど、その仕草がおもしろくて笑ってしまいました。
 赤組のほうは、3枚ぐらい新聞紙を重ねて丸めて投げたものがあり、それがやはりちゃんと丸まってなくって外されました。黄組にはそれはありませんでした。
 さあ玉を数えます。黄組は26で玉が無くなったのに、最後の球を箱の外に投げ出さず、箱の中に落とし続けて赤組と同数まで数えました。それに審判が気づかず、これまた爆笑。結果は47対26で赤組の勝ちとなりました。結果をごまかしはしませんでした。

 2回戦にはいる前に応援合戦。黄組は三三七拍子、結構揃って赤組より大きな声でまとまっていました。私が、「応援点を入れて。」と審判にお願いしたのですが、受け付けてもらえませんでした。少しは点差が縮まると思ったのに。

 2回戦目も小差で赤組が勝ってしまいました。(本当は大差だったのだけど、数えるのにズルをした。) 1.2回戦併せて88対71という結果でした。赤組のほうが両手が使える人が多かったように思います(ひがみかな)。

 お次のゲームは、ちょっと運動会気分のパン食い競争。これも私たちが楽しめるように工夫がしてあり、早く行こうが遅く行こうが関係ないようにパンの袋に札が貼ってあり、それに点数と一芸をするよう指示してあります。
 ちなみに私は“保健婦さんとビーチボールを挟んで会場半周歩く”でした。
 そのほか歌を歌う・保健婦さんと風船割りをする・最近のできごとを言うなど、結構風船割りがおもしろかったです。
 このゲームはスタッフも付き添いも参加者全員出場です。そうしないと最後のお茶会の時のお菓子代わりがないからです。
 スタッフがパンを取るときにはパンを大きく揺らして取りにくくしたり、学生さんと若い男の職員とが抱き合っての風船割りをしたり、笑いを誘ったりの工夫もして。

 でも結局このゲームも赤組の勝ちとなりました。合計でも黄組は大差の負けとなってしまいました。

 ゲームに時間が掛かってお茶の時間が少なくなってしまい、保健婦さんも忘れたのか、誕生者の紹介がありませんでした。解散のあと、保健婦さんも気づき、「木下さん、ごめんなさい、誕生日の写真。」と言って帰り際に渡してくれました。

 やっぱり大勢とわいわい過ごすのはいいことです。気分転換にもなるし、ストレス解消にもなるし、何より人と交じり合うことができるのが一番です。
 今月の2回目は、上京中と重なるので出席できません。ちょっと残念。
 
 ここのところ家業の旅館が忙しく、おかげで私は滅多と風呂に入れてもらえないでいます。妻が遅くなるからです。朝は5時半から夜は寝るのが1時過ぎです。ちょっと体が心配ではありますが。まあ私は我慢して,その変わり朝体を拭いてもらうことで今は納得しています
Dscf0095-1.jpg Dscf0094-1.jpg
新聞紙を丸めて玉作り 最後の玉が何個に化けたやら
Dscf0097-1.jpg Dscf0100-1.jpg
うまくくわえられないパン
車椅子と一緒では難しいボール運び





9月30日



結婚記念日

 28日に30回目の結婚記念日を迎えました。
喧嘩をしながらも何とかここまでやってきました。過ぎれば早いようですが、やはり30年、いろんなことがありました。歌ではありませんが、時がたてば笑い話で流せるものです。
 この4年間は私にとっても妻にとっても大変な日々でしたが、それも苦労と思わないで過ごしていこうとやってきて今日を迎えました。

 笑ってください。私はどうしてもこの結婚記念日を覚えられないのです。結婚式の時、宣誓書に日付をサインするときに間違ってサインしたのが頭にあり、どうしても正確に覚えられないのです。
毎年笑われたり、怒られたりです。

 今年は忙しくてお祝い何も出来ませんでした。祝い事は後に回せということですかね。

 今月末に大学の寮の(玉川では塾と言いました)同窓会に出席します。
 向こうでは、友達が手助けをしてくれるそうです。今日切符の手配をしました。
 もう今からワクワクです。

 最近、メル友からの返事が少なくなりました。PCのメンテナンスをしてからです。丁度いいと思われたのでしょうか。止めるなら止めると言って下さればいいのに。
 私だったら礼儀として断りのメールを送ります。





9月17日



妻と



 今日、久しぶりに妻と出かけました。最近はちょっと旅館が忙しく(金にはならないが)妻も私を連れ歩く余裕が無く、私は寂しい思いをしていたのですが、昨日はなんとか時間を見つけて、まず眼鏡屋に。
 眼鏡が合わなくなって困っていたのがやっと検眼してもらって替えることにしました。眼鏡って高いです。1時間ほど掛かりました。

 それから隣町にあるマイカルサティーに。こちらは妻の気晴らしみたいなものでしたが、私は外に出られただけで満足。
 旅館の買い物をして、妻は自分の洋服を見ただけですが、結構気晴らしにはなったようです。

       

9月14日



9月たんぽぽの会

 今日は月例の「たんぽぽの会」がありました。
 今日は参加者23名、ちょっと少ないかな。休んでおられると、『〇〇さん、体の調子でも悪くなったのかなあ。』と思ってしまいます。お互い健常者ではないので余計に気になるのです。
 
 療法士の先生の指導で準備体操の前に最近の話題話や今月は秋を主題にした話をしました。私のように十分喋れない人も数人おられますが、周囲を気にすることなしに声を出すことが出来ますし、先生がちゃんと聞いてみんなにわかるように通訳もしてくださるので、私もよく発言します。

 準備運動でしっかり体をほぐして、今日のメインイベントのベンチサッカーを。
 この競技は2組に分かれて向かい合ってイスに座り(もちろんいすに座れない人は車椅子で)、足下に投げ込まれたビーチボールをゴールの人に蹴り渡し、得点を競うものです。
 ところがまともに両足が動く人は一人もいません。私のように両足とも不自由な人もいます。それでも動きにくい足をなんとか動かしてボールを蹴ろうとします。
 チーム名は秋にちなんでコスモスとサツマイモです。私が、相手がコスモスとかわいい名を付けたので、『よし、じゃあこちらは喰い力で』と思い、サツマイモがいいと言い、それが採用されました。

 1試合5分です。みなさん結構興奮してボールの蹴り合い、どこからこの力が出るのかと思うほどです。
 蹴る力が強すぎて場外にボールが出ることも度々。蹴られたボールが顔に当たり、ヘディングになることも。ボ−ルを敵味方入り交じって足で挟みつけ我が陣営へ取り込もうと必死、わいわいきゃあきゃあ。年も忘れています。
 結果は4対5で我がサツマイモチームの勝ち。第2試合もサツマイモチームが勝ちました。
 第3試合は手も使ってもよいことになり、その代わりボ−ルが二つ。一つのボールを追いかけていると次のボールがくる。気を逸らすと取られてしまう。気の抜けない試合となりました。私も車椅子から落ちそうになるくらい力が入っていました。この試合も我らの勝ち。可憐より喰い力の勝利に終わりました。

 厳しい対戦のあとはお茶の時間。熱いお茶が飲めない私にはぬるめのお茶を、そのまま飲めない人にはとろみを入れて、またコップで飲めない人にはストローを、とたったお茶いっぱい飲むにもこれだけ手が掛かるのです。それを保健婦さんと付き添いの家族の人が協力し合って準備してくださいます。私たちはそれを今日の様子を話し合いながら茶菓子とともに和気藹々とひと時を過ごすのです。

 帰りはタクシーで帰ったり、家族の車で帰ったり、次回も来ましょうねと言い合いながら別れます。来月からこの会も月2回となります。

 この日は興奮と疲れが出て、帰り一軒だけの買い物について行ったのですが、車で居眠りしてしまいました。

 日曜の昼間に所沢にいるふた従弟が尋ねて来てくれました。我が家の本家の次男です。メール交換をしていますが、この前会ったときはまだ私が元気だったときなので5年ぶりになります。出張があって大阪まで来たので、連休にもなるし里帰りしたとのことでした。
 わたしより母や妻のほうが話をしていたように思います。でもわざわざ尋ねて来てくれたことがうれしいです。
Dscf0085-2.jpg
芙蓉



9月9日



太田病院へ



今日の病院はすごかった。9時に家を出たのに帰宅したのは、4時です。9月最初の月曜日だったのか、患者がとても多く、疲れました。
 3ヶ月以上たっての再診者は必ず予診を受けるようになっているのですが、受付を済ませて30分もしないうちにその予診に呼ばれたのでいつもならリハビリを済ませるのですが、医師の診察もすぐ呼ばれるだろうと思って、待っていたのです。
 それが間違いでした。1時頃やっと医師の診察。支払いを済ませるのにまた時間が掛かり、院内の食堂で昼食、これも私は時間が掛かります。
 2時過ぎにリハビリ室へ、それからリハビリをしてもらったら3時です。もう一度支払いをしてからやっと帰路へ。

 大きな病院はやはり1日仕事になりますね。疲れました。私以上に妻はもっと疲れたと思います。



8月14日



入院その2


 腸閉塞が治り退院したその翌日5日、どうも体がだるい、朝食後娘に誕生日祝いの>メールを送ろうと思ったのですが、どうしてもその気になれずベッドイン。どうもおしっこの出方がおかしい、出るときにとても変な感じと痛みがある。
 昼食もとる気になれず寝ていると、妻が気遣い私の頭に手を当て、「熱があるわよ、測ってみよう。」ということで測ってみると38度4分もある、腸閉塞の時のことがあるので、妻はすぐに「お医者に行こう。」と。
 病院に行くと先生もビックリ。熱もやはり38度4分あるし、おしっこの出方がおかしいことを言うと、すぐに肛門に手を突っ込んで、「また入院じゃ、前立腺が晴れとる。」というわけでまたおきまりの部屋へ。 病室の看護婦さんもビックリ、「木下さんどしたの、また戻ってきたのたいへんじゃね。」とお出迎え。何ともはや情けないことです。
 すぐ熱冷ましの注射を。これが痛いのなんの、つい声が出る始末。そして抗生物質の点滴。今度は食事も出来るので栄養剤は無し。
 おしっこの出方が変だということで尿道に管を射して無理矢理尿の採取。
 熱冷ましの注射をしても一向に熱が下がらない。37度台に下がったかと思うとすぐに38度台に戻る。結局熱が下がるのに5日掛かりました。その間あの痛い注射を8時間おきでないと打てないのに、39度近くまでになったときは無理矢理の注射。そのおかげ?で、お尻の注射のあとが堅くなりました。
 尿検査の結果、セラチア菌にも感染していることは判明。おそらく前立腺が肥大したのも、セラチア菌に感染したのも、共済病院で尿カテーテルを退院直前まで抜かないで、しかも途中膀胱の洗浄もしなかったからではないかと私なりに思っています。何度か尿カテーテルをしたことはありますが、1週間に1度は膀胱の洗浄をしていたし、2週間に1度は新しいものに交換していました。
 今回も1週間くらいから尿に何か白いものが混じってきたので、看護婦さんに訴えたのですが、結局何もしないで退院の日にカテーテルを抜く前にやっと膀胱を洗ってくれました。ひょっとしたらその時セラチア菌に感染したのかもと思ってしまいました。先生も原因をはっきり言われません。 熱が引いたあとは炎症が引くのと菌が無くなるだけなのでベッドでゴロゴロ、車椅子に乗って本を読んだりの日々を過ごしました。

 入院その1でも触れなかったのですが、私が入院して困ることがいくつかあるのです。
 その一つは、食事に骨付きの魚が出たときです。自分では骨をはずすことが出来ないのです。ですから食事の時家の者がいないときは看護婦さんにお願いしなければならないことです。
 申し訳ないけど、せっかく看護婦さんに骨をとってもらったようでも骨が残っていることが度々、家の者だと徹底的に骨をとってくれるのですが。忙しい看護婦さんだから仕方ないのだけれど。
だから昼食と夕食の時には出来るだけ家の者に来てもらっていました。家の者には迷惑を掛けたけどね。
 もう一つは、実はお尻を自分で拭くことが出来ないのです。手首の曲がり具合が悪いからですが、トイレのたび看護婦さんに拭いてもらわなくてはならないのは、ちょっと辛いことでした。
 というわけで、出来るだけ妻が来るまで我慢をするようにしたら、出にくくなり妻に怒られ、仕方なく看護婦さんに頼ることにしました。
 体の不自由なものが入院すると、どうしても看護婦さんの手を煩わすこととなり、「気を遣わなくても良いから困ることややってほしいことがあれば何でも言ってちょうだい。」と言われるのですが、やはりついつい気を遣ってしまいます。 体の不自由な人ばかりを扱っている専門の病院だと気を遣わないのでしょうが、一般の病院だと看護婦さんによっては何となく嫌々してくださる人もいますから。
 炎症反応がなかなかマイナスにならなくて、退院が長引いてしまいました。
 先生も慎重になって、菌が無くなって炎上反応が完全になくなるまで退院させてもらえなかったのでしょう。
 結局1ヶ月掛かってしまいました。おかげでもう大丈夫。でもリハビリしてますが、大変だ。



8月13日
大変な目に入院その1

 出るものが出ないということはこんなに苦しいことなのか。

 6月20日いつものように目覚めたのですが、何かおかしい感じがする。何となく熱気があるようだし、おなかが張っているような感じがする。
 早速熱を測ると37度4分ある。『寝冷えでもしたかな。』と思いながら起床。やはりおなかが張って少ししんどい感じがする。
 朝食が思うように食べられない。無理矢理胃の中に入れる。
 食後トイレに行くが、ウンともスンとも言わない。ウンチも出なければ、オナラも出ない。おなかは張ってくるばかり。
 丁度今日は内科病院へ通院する日だったので、先生に症状を訴えると、すぐに検診を。おなかをたたくと、丁度スイカをたたいたときのあの音そっくり。「こりゃあええ音しょうる。詰まっとるなあ、浣腸してみましょう。」ということで浣腸される。
 しかし思うような成果は上がらなかったが、「またあとから出ますよ。」と看護婦さんに言われて、それに期待し、帰宅。
 帰ったもののおなかはしんどくなるばかり。その後何も出ない。妻に訴えるが、「待ってると出るわよ。」とつれない返事。丁度その日は旅館が忙しく、妻はそちらのほうに気が行っていて、私のことを本気に思ってくれない。「良いよ、本気に考えてくれないのなら、このまま死んでしまうから。」本当にこのままでは死ぬのではないかと思いました。
 妻も心配になったのか、自分が付いて行けないけど長男に病院へ連れて行ってもらうということで、夕方再び病院へ。

 先生も本気?になって、すぐに血液検査をすると、白血球が異常に多くなっており、「こりゃあ、入院じゃ。」ということに。熱も37度4分ありました。
 もう一度浣腸をしてみるが、出るのは薬だけ。レントゲンを撮って病室へ。入院するのは4年ぶり。この病院へ入院すると先生の配慮で必ず個室に入れられます。

 詰まっているので、もちろん絶食です。代わりに点滴。抗生薬と、栄養薬。
 熱が38度を超していないので熱冷ましの薬は無し、氷枕と、脇へ氷を挟むことで熱冷ましを。

 看護婦さんも3時間起きに様子を見に来られます。夜もそうですから大変でした。
 おしっこは自力で出ていたものが、夜中から出なくなり、尿道カテーテルの処置を受ける。

 23日までの間、超音波診断、浣腸、レントゲン撮影と次から次に検査等を受けましたが、一向に出てくれず詰まる一方。
  下がら出ないので、上から少しでも出すということで、鼻から腸までチューブを入れ、腸の洗浄方法も取り入れました。
点滴も血管が浮きにくいため、鎖骨付近の血管から点滴するための処置を受ける。濃度の濃い栄養剤を点滴するには、太い血管でないと詰まるのだそうです。

 23日午前中にガスが少し出てちょっとホッとしたのもつかの間、午後先生が病室に来られ、「共済病院(福山市にある公立学校共済病院)へ行きましょう。外科的処置をしなければ行けなくなったときに、うちでは即対応が出来ないので。」とのこと。そんなに悪いのかと改めて怖くなりました。

 先生と婦長さんが付き添って、救急車で共済病院へ。 救急車にストレッチャーで運ばれる間、もう帰ってこられないかも知れないと思うと涙が出て。婦長さんに励まされる羽目に。

 共済病院に着くとすぐレントゲンを撮って病室へ。病室は6人部屋。4人がガンの治療で入院しておられるらしい。
 共済病院に移ってから熱が下がる。しかしガスも満足行くほどでないし、ウンチも出ないのは相変わらず。
 26日には直腸の内視鏡検査、苦しかった。でもそのおかげかガスがたくさん抜けました。だいぶ楽になった感じです。この日の夕食からお粥が始まりました。ご飯はお粥ですが、おかずは普通のおかず、でも残さずに食べ始めました。
 ウンチも出始めました。7月1日にはトイレに行きたくなって行ったのですが、出そうでも栓をされたように出ない。看護婦さんに浣腸をしてもらってやっと、出るは出るは、おなかに溜まっていたものが全部出た感じがし、何日ぶりかの快感を味わいました。うれしくって涙が出ちゃいました。
 先生からも「腹を切らなくて済んだ。」と言われ一安心。
 というわけで、4日には無事退院できました。

 私のような病気持ちは、体の中心部に力が入りにくいため、今回のようなことになったのではないかとのこと。だからまた起こるかも知れないので、気をつけるようにということでした。





6月13日


うっとうしい


ここ数日は雨が降るようで降らない妙な天気です。一年の内で一番苦手な季節それが梅雨です。

カンジタのほうなんとか治まってきました。あと少し舌に残っていますが、これも時が必要なのでしょう。

思いついたようにまたHPをつついています。にぎやかなものにしたくはないのですが、他のHPを見ると何とも殺風景な感じがします。妻にも文章が真面目すぎるとけなされました。でも自分のHPだから好きなようにしても言いと思うのですが、やはり人に見てもらうためにはそのことを考えなければいけないのでしょうね。

ネットサーフに便利なソフトをインストールしたら、今まで設定していたダイヤルアップ接続が出来なくなり、設定をやり直しました。そんなこと説明書には書いてなかったのに。

明日のリハビリは先生の都合でお休みです。散髪にでも行こうと思っています。




6月11日


やっぱりダウンしてしまいました。


8日「たんぽぽの会」に出席して、最後のお茶の時間になって急に虚脱感に襲われ、我慢できなくなり一度は家に帰ったのですが、どうにもならずに医者へ駆けり込みました。
 すぐにCTを撮ってもらい、その画像は東京まで電送。その結果が来るまで待たなければなりませんが、とりあえず点滴を打ってもらいました。
 段々と気分が楽になってきました。点滴が終わるまでに結果が送られてきて、頭は異常がなかったそうです。
 点滴が終わったら帰ってもよかろうと言うことで妻を呼んでもらい、待合いで待っていたら先生が来られ、妻が迎えに来たのを見計らって、「久しぶりに泊まって帰りますか?」と。「寂しいから帰る。」と言えば「若い子が入れ替わり立ち替わり来てくれますよ。」だって。気圧の急激な変化に体調がついて行かなかったのだろうと思います。
 
 次の日、先生から電話があり、「トロンボテストの値が異常に低くなっているので安静にしておくように。」との指示。
 実はもうリハビリの病院に行って受付を済ませたところだったのですが、そこに家から電話があり、急遽キャンセル。丁度体調も優れなかったので、リハビリもうまく行かないだろうなと思っていた所でしたから、内心はホッとしたのも事実です。
 再度の脳梗塞予防のために血液をサラサラにするための薬[ワファリン]を飲んでいますが、トロンボテストとは血液の粘り具合を検査するテストです。
 数値が低すぎると、今度は脳出血を起こしたり、怪我で血が出ると血液が止まりにくくなるということになるのです。
 
  今月の「たんぽぽの会」は楽しかったですよ。妻と一緒だったし。手工芸品作りということなので、今日は一体何を作るのだろうとわくわくして出席しました。

 いつものように行くとすぐに健康観察。カンジダになったことも報告。もちろん釣りに行ったことも。
 そのあとの血圧測定、いつもは116と66くらいなのですが、この日は100と70.「引くいわね。」と言われました。

 体操のあと、いよいよ今日のメインイベント手工芸品作り。小さな篭や花が用意してあり、「フラワーアレンジメント」をするとのこと。

 私は初めての経験。
 作業テーブルに着くと、早速篭を配ってから見本を見せてもらいました。
 あんなきれいに出来るわけない、と思って取り組んだのですが、やってみると楽しい、おもしろい。
 次にはどんな花が来るのだろうとを期待して待ち、配られた花を自分なりに長さを決めて配置していきました。
 最初は妻が口を出していたのですが、私が煩がるのでくちばしたたくの止めました。

 出来上がってみると結構満足いけるものが出来ました(自己満足だけど)。写真貼付しましたので見てやってください。


 日曜日には、体調も元に戻ったようなので、アヤメと菖蒲の植えてあるお池の公園に母と3人で行って来ました。
 丁度梅雨の合間で薄日の差すお昼時に行きました。結構家族連れやカメラを持った人がいました。

 アヤメはもう過ぎていましたが、花菖蒲は丁度見頃、見事でした。ジャストタイミングに必ず見に来ようと思っていたので、その目的がかなえられました。
 夫婦連れの人に3人の集合写真も撮ってもらい、満足満足。
 

 明日もぐずついた天気のようです。私にとってはつらい時期ですが、がんばって乗り切りましょう。

                       

Dscf0076-2.jpg



6月3日


カンジダ


 
変な病気に掛かりました。

 のどが痛く風邪を引いたと思っていたのに、舌も荒れて白かびが生えたようになり、木曜くらいからのどに物が詰まったような感じがし、ついに食欲がなくなり、今日お医者へ行きました。

 昨日の夜から今日はお医者へ行こうと思っていたので、夕食は早めに済ませ、今朝は食事抜きで行きました。
 自覚症状を話したら、「カメラを飲んでみましょう。」と言うことに。今回で4回目。

 まずはのどの痺れ薬をスプレーされ、胃の中の泡を押さえるシロップの飲まされ10分間待ち。
 だんだんとのどが痺れていくのがわかります。それに併せて下の動きも悪くなって、そうなくても回らない舌がますます回らなくなって何をしゃべっているのかわからないように。

 順番が来て、処置室から内視鏡検査室へ。もう一度何かシロップを飲まされて、「堅くなちゃあダメよ。」と看護婦さんに諭されて、検査ベットに横にされました。

 そこで血管注射を打たれて、いよいよ内視鏡を飲み込むことに。先端を口の中に入れられて、「はい、ごくんと飲み込んでください。」「ゴックン。」「はいもう一度。」「ゴックン。」スムーズに飲み込めました。
 
 検査を始めると長いホースが入ったり出たり、押し込まれるとちょっと胃に圧迫感を感じる程度。検査自体は10分ぐらいだったかな。

 「はいおしまいですよ。」自分では起きられないので起こしてもらったのですが、麻酔が足のほうまで効いたのか立てなくて、抱きかかえるようにして車椅子へ乗せてもらいました。

 待合室で待っていたら名前を呼ばれて診察室の先生の前に。「胃の入り口に、カンジダというかびが生えている。」とのこと。え、かび?びっくり。体の中にもかびが生えることあるんだ。

 「この薬を食後と寝る前に飲んでください。」と言われて出されたのが、なんとチューブ入りの薬。
薬剤師さんを呼んで、「飲み方を説明してあげて。」ということで薬剤師さんが説明を。
「これ1本を全部舌に出して、あとゆっくりとのどに入れてください。」との説明。また一つ妻の仕事が増えてしまいました。
 滅多にない病気なのでしょう、2回分しか在庫がなく、夕方また取りに来てくださいとのこと。

 
家に帰ってもまだしゃんとせず、眠くてたまらないので、1時間ほど寝てから、すっかり麻酔が取れてから食事を。 食後早速薬を。長さ4センチほどのチューブですが、口を開けているところに妻が舌の奥の方に薬を絞って出し、それを時間を掛けての土に流し込むというか飲み込みます。 「良薬口に苦し」ではありませんが、何とも言えない味、これでも飲みやすくしてあるのだろうけどね。
 しばらくは辛抱しましょう。 
九州梅雨入りしましたね。我が家ではクジャクサボテンが咲きました。これから次々と咲くでしょう。


Dscf0052-2.jpg



5月21日

清掃日

 今朝は市をあげての清掃日。

 午前7時より川土手の清掃、町で清掃地域が決められており、その決められた地域のゴミを拾い、雑草を刈るのです。
 病気になる前は私が出ていましたが、病気になってからは、妻と息子が出ていますが、ここ3年は息子が出ています。
 とは言っても田舎ですかね、午前7時に行ってみるとほとんど終わっているのです。早起きのお年寄りが早くから出て清掃しているのです。「私は5時半に出てきた。」
 などと自慢げに言うのです。何か時間通りに出たのが悪いみたいです。間違っていませんか。

 今日も息子7時前に行ったのに、もう終わって片づけをしていたとのこと。
 する事もなしに、出ただけ、でもそのあと町内は溝掃除が待っています。

 我が家は家の両側と家の前に溝があり、大変なのです。
 妻と息子でドブさらい、以前は両隣で協力してやっていたのですが、下の家は郊外に移転され、上隣は4年前にご主人が急死されてからは私の家がするようになってしまいました。
 最近は自分の家だけをされるようになりました。昔は隣近所助け合っていていたのですが。このあたりも時代の移りを感じます。

 それで私は何をしていたかって。
 車椅子で表まで出て犬と一緒に監視役です。何も出来ませんが、一家の主が顔見せをするだけでもと思い、顔を覗かせています。
 
 結局我が家が終わったのは通りでは一番最後、9時半でした。
 でも息子がいてくれるので助かります。
 監視するだけでも疲れたのですから、慣れないことをした妻や息子はずいぶん疲れたことだと思います。


5月13日

遠足
12日、リハビリ教室「たんぽぽの会」で、年一度のバス遠足をしました。
 前日が雨だったので、大変心配していたのですが、当日は快晴、絶好の遠足日和になりました。

 例会は午後2時間なのですが、遠足ですから9時15分集合、いつも寝坊の私にとってはちょっとつらい7時前の早起き、着替えを始めて家を出るまで最低2時間はかかる私ですから。
 集合先へ着いたら、もうほとんどの人が来ておられ、早速健康観察をしてもらってバスに乗り込みました。 普通の観光バスですから階段が高くて大変です。 車椅子から立ち上がると、バスのデッキにある手すりを持って、保健婦さんにお尻を持ち上げるようにしてもらいながら、一段一段足をあげていきます。
 私の場合、四肢麻痺で両足うまくは動かないのですが、全く動かないわけではないのでちょっと助けてもらうとなんとか乗ることができます。
 3年前は、まだまだ足が動かずバスに乗るのに大変苦労したのですが、やはりリハビリのおかげでしょう、去年より今年のほうがさらに楽に乗ることができました。
 私よりずっと重症の人も、療法士さんと保健婦さんとで手際よく座席へ連れて行ってくださいます。
そうそうこの日は旅館のお客が少ないので、付き添いは妻です。

 スタッフと付き添いの家族を含めて40名ほどの一団です。行き先は「広島空港」、府中からは山陽高速道を利用して1時間ほどです。でもみんな、普段バスに乗れないので大喜びです。私だって前の日よく眠れなかったもの。

 空港へ着いたら、今度は降りるのがまた大変です。支え無しで降りられる人が降りてから私たちの番になります。スタッフがビックリするくらい私はちょっとの支えで降りることができました。
みんな降りて一番にしたこと、それはトイレです。身体障害者にとってはトイレが最大の悩みですからね。
私たちの遠足場所は、障害者トイレが設置してあること、最低でも洋式トイレがないといけないので、結構場所の選定に悩みます。空港には狭いげど障害者トイレが1.2階にあり、よかったです。

 落ち着いたところで3階にある見学デッキへ。エレベーターが小さかった。車椅子2台で一杯一杯。
 昼間で一番発着の少ないときでしたが、それでもそれぞれ2機ずつの発着を見ることができました。
 ジャンボ機が見られなかったのがちょっと残念。
 丁度飛行機が上昇しているのをバックに写真を撮ってもらおうとしたのですが、妻がデジカメ使い慣れていないので、撮れませんでした。
 
 昼食の弁当はは飛行場に隣接している「森林公園」の管理棟で食べさせてもらいました。
 箸が持てないでフォークで食べる人、家族の人に食べさせてもらう人、ちなみに私はなんとか箸で食べられましたが、大きなものや重たいもの果てでもって食べました。お茶は缶入りなので、ストローです。
 ゆっくりと食べたあとは、散策。妻は土産を買い、私は車椅子で施設を見て歩き。

 そのあと野外に出て新緑を眺め、さつきの前で写真を撮りました。他にどこかの専門学校生が来ていました。

 時間はあっという間に過ぎ、みんなで管理棟の前で記念撮影をして、最後のトイレ。
 3時には府中へ帰りました。

 家族とではできないバス旅行、楽しく過ごさせていただき、市の保健課のみなさんさぞお疲れだったことでしょう。ありがとうございました。

 家に帰ったら私も疲れてお昼寝でした。
20001.05.12-02.jpg 20001.05.12-08.jpg

 
5月8日

 
今日からリハビリ開始です。

 いつまでも痛いと言ってはおれず、今日からリハビリを開始しました。
 とは言っても痛いものは痛い、しかも今日はベットが空いていなくて床に引いてあるマットに横になるのですから。
 訓練に入る前に両肩をホットパックで20分暖めているのですが、床へ横になるのが難しいので普通はリハビリ用の広いベットへ横になるのですが。

 車椅子からずり落ちるように膝から降りて、両手を突き、四つん這いになってから肩から寝ころぶのです。四つん這いになるときに尾てい骨あたりに痛みが走りましたが、我慢することができる程度。

 肩を暖め終わったときにはベットが空いたので、そちらへ移動。車椅子に戻るときは、助けてもらわないと立てませんでした。車椅子の肘掛けを利用して車椅子からベットへ移るのは自力でできましたが、ベットから支えなしで立ち上がることはできなくて、助けてもらってやっと立ち上がることができました。

 いつもなら先生の肩を借りて歩く訓練をし、それから杖を持って歩く訓練をするのですが、今日はまず平行棒の中を歩きました。歩くとやはりお尻に痛みがきましたが、大したことはありませんでした。なにせ10日ぶりに歩くのですから、よたよた歩き、早めに切り上げ、杖を持って歩いてみましたが、結果はやはりよくありませんでした。いつもの半分の時間で終わりにしました。
 また出直しです。





5月6日


怪我

 又してもやってしまいました。

 4月27日寝る前のことです。
 寝る前に必ず便所に行くことにしているのですが、いつもは車椅子で行くのに、この日はつい大丈夫だろうと思い手すり伝いに行ってしまったのです。それが間違いでした。
 用を済ましてトイレ入り口ののドアを閉めた後、体の向きを変えようとしたとき、バランスを失ったのです。

 ここの便所は入り口には手すりがないのです。従って壁を支えにしていたのですが、両手とも壁から手が放れていたときに体のバランスを失ったのです。
 「ああ!」と思ってももうどうすることもできません。後ろ向きに倒れ始めました。この場所は、少し広いところなのですが、それでも後ろ向きに倒れた場合、広いところで1.5メートル(この広い方はタイル製の洗面所があります。)、狭い方は1メートル足らず(こちらには下駄箱があります。)。

 どちらにしろ木が倒れるように倒れたのでは、それこそ大変なことになると瞬間に判断し、膝を曲げたのです。後はどのように転んだのかはわかりません。どんな音がしたのかもわかりません。
このように瞬間的な判断で体を動かせるようになったのもリハビリのおかげかもしれません。洗面所や下駄箱の角に頭や体をぶっつけることは避けられたのです。

 倒れたあと腰からお尻にかけていたくてたまらず、どこから出たのかわからないくらい大きな声で、「オーオー!」と声を上げたら息子が駆けつけて、妻に知らせてくれました。
 息子が車イスを持ってきて、私を起こしてイスに乗せてくれました。

 その夜は以外と寝られたのですが、翌日ベットに起きあがろうとしたら、尾てい骨のあたりに「ズン」と痛みが走り、力が抜けてしまうのです。それに頭が痛い。手を置くと大きなコブができている。
 妻に起こしてもらい今度は車椅子へ座ろうとしたら、又同じような痛みに襲われました。イスに座ってもちょっと姿勢を変えると痛いので、食事をするもがやっと。すぐにベットへ横に。

 やっとの事で掛かり付けの医者に行きレントゲンを撮ってみましたが、骨には異常なく、強度の打撲だと言われました。この日は院長の診察ではなかったので、待つ間もなく診てもらえたのでよかったです。

 食事と用便以外はベットの中。それでもメールだけは夕食後チェックしていました。

 5月1日月曜日、院長の診察を受けるよう言われていたので病院へ行ったのですが、連休前で凄い患者、イスに座っておれないので、
リハビリ室へ行き、そこのベットの横にならせてもらう。1時間ほどして待合いへ降りるが、まだまだ。仕方なく、長椅子に横になって待つ。
 やっと番が来て診てもらうが、診察結果は同じでした。痛みは時間が治してくれるとのこと。病院に3時間ほどいました。

 せっかくの連休、結局どこへも行けず、ベットでゴロゴロ、昔撮っておいたビデオを寝て観ていました。
 全くちょっとした気のゆるみからこうなってしまって情けない限りです。

 まだ長時間いすへは座れませんが、1週間たったので、ぼつぼつと痛みも和らいでいます。本当に元に戻るにはまだまだ時間がかかると思いますが、仕方ない気長に待ちます。


4月23日

チューリップ畑


  昨日、今日とよい天気、行って参りましたドライブに。

 朝起きたとき、「さあ今日はドライブに行くよ。」と。
 朝食を食べている間にどこに行くか決めるのかと思いきや、車に乗る段になってもまだ決まらない。
 車にエンジンをかけてからやっと決定。
 行き先は、去年ヒマワリを見に行った旭鷹農園です。 今は  チューリップが一杯。
 去年息子の運転で行ったのですが、今日は妻の運転です。
 急な坂道はできるだけ避け、少し遠回りになっても国道の大きな道路を通っていくことに。

 ガソリンを満タン、弁当も買って、この前のように車椅子の置き忘れをしてはいないかよ〜く確かめてから出発。上り坂の続く運転では気を遣って(アクセルの踏み方が慣れていない)、「アクセルぐっと踏んで。」などと助言しなければいけません。道路標識もロクに見ないで、「次は右?左?」と尋ねる。
 最後の農園入り口の曲がり口を間違えてだけで、無事到着。

 大型バス2台も止まっているし、山口・岡山のナンバーが結構ありました。神戸・香川もありました。驚いたのは函館ナンバーの車があったことです。今頃はHPで知ってくる人も多いのではないかな。

 農園の中では食事をする場所がないかもしれないので、車中で弁当を。母と妻はたくさん食べていましたが、私はおにぎり二つだけにしました。

 確かここは障害者手帳があると割り引いてもらえるはず。
 母が、「チューリップまだ咲いてないようよ。」と。本当、入り口に、「チューリップ、今年は天候の影響でまだ咲き始めです。」の張り紙が。さらに入場料も500円の所300円になっていました。私は子どもと同じで無料でした。

 農園の中に入ると、そこは一面緑の絨毯。花の蕾もまだ青いのがほとんど。遠く向こうの方に花の咲いてるところがありました。
 
 車椅子を押してもらいながら遊歩道を移動。多くの人でしたが、みんな残念そうな顔です。
 私たちもせっかく来たのだからと歩き回りました。花の咲いているチューリップのあるところへも行きました。やはりきれいです。
 昨日はちょっと花曇りのような所もあったので、きれいに撮れませんでした。それに自由な体なら好きなカッコウで写真撮れるのでしょうが、車椅子に乗ったまま撮るのですから思うようなのが撮れませんでしたが、気分だけ味わってください。

 障害者用のトイレもあるので安心しました。
 妻と母は私を道の片隅に置いてきぼりにして、ソフトクリームを食べていい気分。ひどいな。

 1時間ほど見て歩いて出ました。「ゴールデンウィークが見頃になります。」だって。

 帰りは下り坂。助手席でシフトに手を伸ばし、オーバードライブを入れたり、切ったり大変でした。眠いのを必死でこらえて、妻の運転を監視。

 その成果あって、無事帰宅しました。

 運転の助手をしながらのナビゲーター、疲れました。

 夕方からは教え子が来て、一緒に夕食を食べて、帰って行ったのが11時でした。お風呂に入らず、メールのチェックだけして寝てしまいました。
 

Dscf0022-2.jpg

チューリップ園です。


  
4月14日


           
月の「たんぽぽ会」
 
よい天気が続いて、私の体も順調です。)
  
昨日はリハビリ教室「たんぽぽの会」がありました。
 会場となる施設の駐車場脇にある桜の花びらがひらひらと舞って寂を感じました。
 (この会は脳血管疾病障害者がほとんどです。あとはリューマチの人です。)

  天気もよかったからでしょうか、いつもは20名そこそこの参加者なのに、今日は30名近くも参加者がありました。 

  まず、運動療法士さんによる体操から始まります。この日は実習の学生さんも一緒に来ていました。
  手足の屈伸・腰の曲げ伸ばし・首の運動・足踏みなど をしますが、五体満足な人は一人もないのですから、それぞれ自分にあったように体操します。
  私も手を振ったり手首を曲げたりすることが十分でないので、おもしろい体操になっていると思います。それでも通い始めたときにはできなかった運動ができるようになっています。

  昨日のメインイベントは風船バレーです。文字どうりゴム風船を使ってのバレーです。片面2メートルほどの四角の中に普通は1チーム12名ですが、多いときにはなんとか狭めてでも2チームにします。

  バレーですからサーブで始まります。自分でうまくサーブできない人は保健婦さんに風船を支えてもらって打ちます。それで相手方に風船が届くまで味方で風船にさわることができます。サーブがうまくできなくいても安心です。私は初めてサーブが相手方まで1回届きました。

 この会に参加した頃は、腕も上がっていなかったので、ただ仲間に加わっているだけ、風船が来てもなんにもできないで相手に点を与えていました。
 今は腕も頭の上まで上がるので、存分に楽しんでいます。
 普段は上がらないところまででも腕が上がるから不思議です。

 みなさん生き生きとして張り切ってやられています。
 結果は私たちのチームが2対1で勝ちました。

 終わったらおやつの時間です。メニューは柏餅でした。甘いものは苦手な私ですが、「たんぽぽの会」では食べることにしています。

 おやつを食べながら、今月の誕生者をお祝いします。食べながら参加者同士交流します。相手にわかるぐらい喋れるようになったので、近頃は私もよくしゃべるようになりましたよ。
 教え子(担任ではありませんが)のお母さんも参加されており、先日病院の帰りにあったときの様子を話したら、うれしそうに子どもさんから聞いたと言われました。

 やはり障害の軽い人少し重い人とおられ、旦那さんや奥さんが連れ添ってきておられる人もあります。私も妻についてきてもらっています。旅館の忙しいときは息子が送り迎えをしてくれます。ここのところ半年近く妻が付き添ってくれなかったので、昨日は久しぶりでした。

13時半から15時半の2時間ですが、みなさんこの日を待っておられるようで、病院でお会いする事があったら、「今度は何日かなあ、行きましょうよ。」と言われます。そう言う私もこの日が待ち遠しいのです。

 そうそ、昨日は昨年度の皆勤者に皆勤賞の賞状が渡されました。もちろん私もいただきましたよ。おかげでたいした病気もせず、家族の支えもあって成し遂げることができたのだと感謝します。

 来月はバス旅行です。バス旅行が思うようにできない私たちにとっては本当に待ち遠しい行事の一つです。

 帰りに買い物をして帰りました。

 快い疲れで、帰ったらベッドイン。よく寝ました。

 ということで昨日は楽しい、充実した一日をごすことができました。

ページTOPへ        HOMEへ