index_fig3.gif         


2003年12月 2003年11月
2003年10月 2003年 7月
2003年 6月 2003年 5月
2003年 4月 2003年 3月
2003年 2月 2003年 1月


12月11日


「たんぽぽの会」クリスマス会

 今日は「たんぽぽの会」のクリスマス会でした。妻は生憎忙しくて付いて来てくれませんでした。

 最初に保健士さんから健康講話があり、体操もそこそこに、クリスマス会へ。
 でもその前に先月スプールウィーピングで編んだ作品を返してもらいました。私は帽子を編んだのですが、折り込みとボンボンをつけてもらいました。孫の嗣実に送ってやります。孫が帽子をかぶっている写真が届いたら紹介します。
 
 若い保健士さんがサンタになり、療法士さんがトナカイになってプレゼントを持っての登場です。ちょっと違うのは、サンタさんはトナカイが引くそりならぬ、トナカイが引く車イスに乗っての登場です。
 031211_07-11.jpg
「は〜い、サンタさんの登場ですよ!」
031211_10-11.jpg
「どう、素敵なサンタでしょ。」

 一通りの口上が終わって、用意されたクリスマスプレゼントはテーブルの上に並べられました。今年は、そのプレゼントを【ビンゴ】で当ててもらうのです。
 さっそくカードが配られ、【ビンゴ】の始まり。サンタさんが小さな数字の駒の入ったがらがらを回して、出てきた数字を合わすのです。
031211_121.jpg
「はいはい、待っててね、これからプレゼント並べるから。」
031211_141.jpg
「さあ、何番の数字が出るでしょう?」

 私は、初めはさっぱり数字が合わず、「ああ、今日はテンデだめだ」と半ばあきらめていたのですが、なんとなんと一度数字が出てからはスイスイと次から次とあたり、なんと二番目の上がりになってしまいました。
 上がった人から好きなプレゼントがもらえるのです。例年のことなので、まあ価格的には同じものが入っているので、小さなものを選びました。先着7名様には特別賞もいただきました。

 早く上がったものですから、持って行っていたデジカメでみんなを撮って回りました。 今日は外付けのストロボを持って行っていたので、結構いい具合に撮れました。次回に印刷して上げようと思っています。
031211_191.jpg
「どれをもらおうかな。いいもの当たれ!」
031211_30-21.jpg
ねえ、あなたのプレゼント何かしら?」「いいものでありますように。」

 みんなが上がってから、プレゼントの公開です。私はキッチンソープでした。妻が喜ぶでしょう。それと特別賞は、入浴剤でした。我が家の風呂では使えないので、誰かに差し上げましょう。スタッフも限られた予算内でのプレゼント選びには、気を遣われたことでしょう。
031211_341.jpg
「あなたのは何かな。」「早く開けてみたいなあ。」
031211_271.jpg
「ほら、大きなものもらって喜んでいるわよ。」
031211_131.jpg
「楽しいときなのに、おすましは止めなさい。」
031211_381.jpg
「いいものもらったね。奥さん喜ぶよ。」「ケーキもおいしそう。」

 もちろん今日のお茶は、ケーキ付きです。先月保健士さんが、お昼を控えてくるようにと言われたのを思い出しました。でもみんな忘れていたようです。

 楽しい「たんぽぽの会」もあと3回しか参加できません。来年度からはデイケアに行っている人は参加できなくなるのです。週に一日ぐらいは妻の負担を楽にさせてやりたいから、デイケアを止めるわけにはいかないし。本当に残念です。

 来年もまた元気で会いましょうと言ってお別れしました。
ページTOPへ
11月27日

ガイダンスに行ってきました


 11月25日、在宅ワーク支援研修の全課程を修了しました。長いようで振り返ると短かったように思います。
 我ながらよく病気もせずにがんばれたと思います。
 ということで、今日は在宅ワーク支援ガイダンスへ長男に連れて行ってもらいました。隣町福山市でありました。
 行ってみると障害者は数えるほどしかいなくて、若い女性(多分主婦だと思いますが)がほとんど。中年の女性と男性がまばらと行ったところでしょうか。
 最初に在宅ワークで成功した人の話があり、次にその人たちを交えてのパネルディスカッションがありました。聞いているうちに在宅ワークの難しさを知らされました。安易な気持ちで何とかなるだろうと思っていた私にカツを入れてくれるものでした。
 午後から各社とのガイダンスがありました。私はまず、パネルディスカッションに参加していた成功者のところへ行き(この人はHP作りをしている人です)、心構えを聞きました。やはり、数をこなすこと、最初は友人とか伝とかを利用したことなどを聞きました。それと作品を持って歩くことだそうです。
 会社は二件しか回りませんでした。どれも手応えは全くありませんでした。自分で開拓するしかないなと、思いました。
 まあ、それだけでも行った価値があったかもしれません。まず自分のHPを充実させて、見本を作って、知人のところへ行こうと思っています。いつになるかな。
ページTOPへ


11月26日


デイケアでの一日


 デイケアでの一日を紹介しましょう。私は毎週水曜日にデイケアに通っています。

 朝9時20分頃リフト付の送迎車が迎えに来ます。現在は私が最後に乗る人です。写真は、私がリフトで車に乗り込むところです。車イスをワイヤーで固定して、私は車イスに乗ったままです。
031022_22.jpg
妻に見送られて、車イスに乗ったまま、送迎車に乗り込みます。
031022_31.jpg
デイケア室です。20坪くらいはあるでしょうか。
 施設に着くと、一階の奥にあるデイケア室の自分の決めている場所まで、自分で車イスを漕いで行きます。

早速バイタルチェック。熱と血圧測定です。

 そして入浴。この施設は特別浴室を含め3カ所のお風呂があります。湯船に入れる人の風呂は、男女が週交代で温泉風呂と電解風呂に入っています。温泉風呂はやはりよく温もりますよ。
031126_191.jpg
トルマリンを利用した準温泉風呂。外の庭も 見れます。     
031126_211.jpg
こちらはセラミック電解風呂です。
 風呂の順番を待っているときや、風呂上がりの昼食前はクイズをしたり、歌を歌ったり、絵の間違い探しやカレンダー作り(塗り絵)をしたりしています。 私は入浴後、家から持参した冷えた微糖缶コーヒーを飲むことにしています。これが結構おいしいのですよ。
031126_152.jpg
この日はカレンダー作りがありました
031126_172.jpg
漢字のクイズ、結構難しかったですよ
   
 昼食は、結構ボリュームがあり、割と手の込んでいるものがあります。メニューによっては私でも食べきれないことがあります。
 この日は、一日のカロリー摂取量がオーバーしないように、朝食をパンにしているのですがね。

 食後はお昼寝タイム。私は、ベッドに寝させてもらっています。眠り込むことはありませんが、横になって足を伸ばすだけでも足への血流促進になるので、良いです。この施設は介護老人保健施設ですから、医師の診察が時間を利用してあります。   
031126_292.jpg
今日はうどん定食でした
031126_021.jpg
リハビリ用フロアです
 午後はリハビリの時間です。リハビリのない人や、リハビリを終えた人は、集団体操をしたあとゲームをして楽しみます。ゲームに私が参加するときは、リハビリの切りの良いときです。でも、腕を使うゲームの中には私のできないゲームもあり、リハビリをしながら見学することも度々です。
 私がリハビリのメニューが一番多く、いつも最後までやっています。
 まず最初にやることは、「ハリツケ」です。これは足首の関節を柔らかくするために、70度に立たしてあるベッドに30度くらいの傾斜をつけた台座に乗っかって、膝が曲がらないようベルトで縛って、10分間立っておくのです。これを始めた頃は10度の傾斜でも痛くて仕方なかったのが、今は30度までできるようになりました。
031126_32-21.jpg
はい、スカーフをピンと伸ばして
031126_35-22.jpg
これ、結構つらいのですよ

 それが終わると、次に両足首に1キロの重りのベルトを巻いて、座ったままで足を片方ずつ伸ばして上げるのを交互に20回、両足そろえて10回します。足の筋肉をつけるためです。でも思うようにはいきません。
 次に5メートルほどの平行棒の中を、平行棒を持ちながら10往復歩きます。左足の方が麻痺がきついので、ややもすると引きずってしまうので、意識しながら歩きます。また右足は足を前に出したとき、内側に入ってしまいがちなので、これにも気をつけなければなりません。途中休憩しながらでないと、結構しんどいです。
 最後に、療法士に解除してもらいながら、杖で歩きます。バランス失調なので、いつ倒れるかわからないので、すぐ横に付いてもらって、時々再々支えてもらいながら20メートルほど歩きます。
 そのころになると、他の人はもうお茶の時間になっています。遅れて私もお茶にします。もちろんおやつ付きです。
031126_361.jpg
私は参加しませんでしたが、おみくじゲームです。
Dscf0236-41.jpg
これが私の行っている施設です

 一服していると、ぼつぼつ帰りの準備になります。トイレに行ったり、荷物の整理をします。
 「今日の日はさようなら」の歌を歌ってお別れです。来たときと同じ車に乗ってご帰還です。

 10月の22日は誕生日会で、私も祝ってもらえるはずだったのですが、心臓の調子が悪くなり、入浴もしないで家族に迎えに来てもらって帰ったので、せっかくデジカメを持って行ったのに残念でした。また11月の誕生日会も誕生日者が早退したため中止、誕生日会の様子をまたデジカメに撮ることができませんでした。
ページTOPへ

11月23日


研修も終わりに

 7月に始まった「障害者ワーク支援研修」もあと一講座になりました。ホームページ作成講座を選び、始めたのですが、最初のうちは知っていることばかりだったので容易だったのですが、だんだんと自分の使ったことのないプログラミングが出てきて、分からなくなり始めました。でも不思議なものですね、例題を真似てやってるとここはこうじゃないかなとやってみるとそうだったりして。
 宿題の課題も自分なりにやっておいて、講師に点検してもらいながら進めました。中にはもちろん私には理解できないところがあり、全面的に講師に教わったところもたくさんあります。
 11月17日に『在宅ワーク支援ガイダンス』があるので息子に連れって言ってもらうことにしています。最近は社員の中にホームページくらい作れる人材があるので、果たして雇用があるものかどうか疑問ですが、トライのつもりで行ってきたらという妻の助言で行くことにしたのです。
 それとやはりこれにも検定制度があるのですね。検定を受けるようにとの誘いがありました。たちまち手始めに3級を受けようと思っています。試験も在宅でできるのから、試験会場まで行かなければならないのまであります。もちろん私は在宅試験を選ばざるを得ませんけどね。
 勉強してくると、私が今入っているプロバイダーではその成果が十分発揮できないことが分かり、目下新しいプロバイダーを探しています。来年あたりから替わるのではないかな。
 

hadakako1.jpg

ページTOPへ


11月 2日

菊見


11月2日午後、菊見に行きました
 妻と二人で行きました。隣町の新市町常金丸というところですが一山超せば我が家から10分足らずで行けるところです。きれいな菊がいっぱいだろうと思って行ったのですが・・・
 一昨年までは国内でも菊の苗作りとしては有名な農園があったのですが、昨年から県内世羅郡に移転したため、菊祭りとはいっても名ばかり、従来の規模の十分の一程度。珍しい菊の花もなければ、花の数も少ない。農園の畑もなくなっていたので、それはそれは寂しいものでした。
 それでも少し残っている花畑の近くに行くと、すばらしい菊の香りが漂っていましたよ。
 私たちのように当てのはずれた人が大勢来ていました。売店がでていて、菊うどんがありました。これはうどんに菊の花びらがちりばめてあるのです。菊の花が食べられることは皆さんご存じですよね。いい香りがして、うどんがおいしく感じるのです。私も食べたいなと思ったのですが、会場が中学校の体育館の玄関先、階段が五段ほどあるのです。スロープは設置してあるのですが、そのスロープの上がり口が厨房となっていて、車イスの私では上がることができず、食べるのをあきらめてしまいました。テーブルがなくては熱いもの膝においてなんてできませんものね。
 三十分ほど会場とその周りを見て回って帰りました。菊祭りという言葉にだまされたみたいでした。でも写真はばっちり撮りましたよ。
031102-061.jpg
農園はなくなってもわずか畑が残っていました
031102-071.jpg
その畑からは菊の香りがいっぱい
031102-011.jpg
直径30センチ近くの大菊です
031102-141.jpg
小菊の鉢植えの花をアップしました

ページTOPへ

10月18日


久しぶりの更新です


長らく更新できないでいました。障害者在宅ワーク支援研修の勉強で忙しかった上に、OSの不調から再インストールを余儀なくされ、設定を構築するのに日にちを取られ(前は98からのアップデートだったのですが、このたびは全く新しくインストールしたのでハードウエアの設定に悩まされました。)、メールを打つのもままならず、ましてやHPの更新などできもしませんでした。とは言いながら、復習を兼ねてトップページは更新しましたけど。
 支援ワークの研修もHTMLのプログラミングはまだ良かったのですが、スクリプトからCGIになるにつれてチンプンカンプンになってきました。でもあとひと月足らずです。最後までがんばります。

 「タンポポの会」の報告もしばらくぶりになりますが、10月は【スプールウィーピング】といって、子供の頃やったことのある【リリアン】の大型の編み物をしました。私は帽子を編むことにして、きれいなオレンジの色の毛糸を選びました。(これは先月色の希望を尋ねられたときに申し込んだので、変えるわけにはいかなかったのです。)
 両手が利くようで利かない私、直径30センチほどある道具を使って、毛糸を操るのは少々大変です。思うように糸が操れずに癇癪を起こしそうになりながらそれでも時間内に5列ほど編みました。来月もあるのですが、それまで宿題に出されました。ますます大変です。まだ全然宿題に手を通していません。来月に入ったらやらなくてはと思っています。

031009_61.jpg
本当に大きなものでしょう
031009_21.jpg
何とか両手を使ってますが、うまくいかなくて

 10月21日は、私の58歳の誕生日になります。何度も命を失いかけたのに、こんな年まで生きることができました。
 まず、何度も命を救ってくださった主治医にお礼を言いたいと思います。そして家族、とりわけ妻には本当に感謝しています。
 家族がいなかったら、「死んでたまるか。再起不能にはならないぞ。」という気持ちにはならなかったかもしれません。そして今の病気になったときは「何とかしてもう一度元気な姿で職場復帰して、子供たちと過ごしたい。」と必死に思っていたことも、リハビリに耐えることのできた一因だと思っています。
 この病気を患ってから、多くのひとに助けられ、励まされてきました。それら一つ一つが今日の私の糧になっていると思います。感謝いっぱいです。

 それに私の誕生日に最高のお祝い事を娘がくれました。それは二人目の孫が来年の4月にできると言うことです。是非健康な子供ができますように。

 ということで、久しぶりの更新ですから報告したいこともまだあるのですが、このあたりで。

031009_22.jpg
三代目「ハル」もこんなに大きくなりました

ページTOPへ


7月27日

ドレミファフェスティバル


 7月25〜27日は当市最大の催し物「ドレミファフェスティバル」がありました。
 25日は「子ども音楽祭」と称して市内の小学校の児童が音楽発表をします。合唱からミニオペラ・合奏と演奏します。私も合唱の指導はよくしたものです。残念ながらこのびょうきになってからは一度もこの音楽祭を鑑賞していません。本当は鑑賞したいのですが、観ると感激して声を出して泣くのがわかっているし。でも懐かしい思い出かも。

 26日はメインイベントのパレードと踊りのある日。その前に当市ならではの「タンスリレー」がありました。これは、当市が婚礼ダンス生産では全国一というところから発想されたものです。和箪笥をリレーして運ぶという競技です。運ぶ途中引き出しが抜けたり、結構重く作ってあるので傾いて倒れたり、観ているとおもしろいです。一昨年までは我が家の前の通りがリレーコースだったのが、一つ向こうに新しい大通りができてそちらに移ってからは見に行けずにいます。

5時30分からパレードの始まり。始めに団体のパレード、そして踊りパレードです。我が家から150メートル上手に審査ボックスがあるので、我が家の前はちょうど審査に備えて体勢を立て直したり、休憩するチームもあり観るにはちょっと不向きなところでもあります。
 団体のパレードは、各種団体が(企業・役所から保育園・小学校、ボランティアグループ、町内会など様々です)趣向を凝らした山車や仮装パレード、保育園・小学校の鼓笛隊パレード。保育園はもちろん私立です。小学校はトランペット鼓隊ですが、人数やトランペット鼓隊を持っていない学校などがあり一部の学校にとどまっています。私も現役の時には指導をしたものです。
 例年通り6時開始だろうと思ってベッドに横になっていたのですが、ドラムや金管楽器の音がし出しあわてて一人で外出用の車椅子に乗り換えて通りに出ました。先頭の消防団音楽隊が我が家の前を通るところ、間に合いました。
 どの団体も趣向を凝らし、パレードしていました。町内会の中にはその町内でしか表現することのできない山車を繰り出したり、すごいアイデアの仮装パレードをしたり楽しめましたよ。
 最後は踊りパレードです。これも各種団体が練習を重ねての出場です。それぞれそろいの浴衣や個性的な衣装で踊ります。去年は「よさこいソーラン踊り」が多かったのですが、さすがに今年は減りました。伝統的に盆踊りをするグループ、新しい創作踊りをするグループと多種多様でしたが、それなりに楽しめるものでした。
 パレードでは元同僚の先生に会い、「元気そうで何よりです。」と声をかけられたり、元保護者にも 会ったり、教え子にもあったり、友人にもあったり、ステキな日でした。
 妻は商工会議所の女性部の役員になっているため、我が家で浴衣の無料着付けがあったり、出店で売る田楽の仕込みをしたり、その出店に行って手伝ったり大変な忙しい一日でした。
 また息子はやはり駅前商店街の出店も世話で忙しく、この日は滞在のお客さんにも夕食は外食を頼む有様。もちろん私もスーパーの寿司で我慢です。パレードが終わってからゆっくり食べました。まあパレードを観ている間にビールと鶏串・田楽を食べましたがね。

 27日は、芦田側の河原で太鼓の共演があったり、オートモビールのモトクロスの実演があったりし、フェスティバルの最後を飾る打ち上げ花火がありました。
 いつもより早めに夕食を食べ、妻と花火がよく見える川の土手まで行きました。もちろん缶ビールを持って。ところが場所としては最高だったのですが、土手なので風があり、涼しいってモンじゃあない寒いので妻にジャンパーを取りに家に帰ってもらうほど。
 今年は新種の花火もあり、手をたたく場面もありました。小さな町の花火大会ですから、打ち上げ花火の量も少ないものですが(今年にちなんで2003発)それなりに楽しめましたよ。

 これで今年の夏は半分終わったようなものです。この度はデジカメに外部ストロボを取り付け割とこまめに光量を変えて撮ったので結構いい写真が撮れました。でも光量不足より光量オーバーのほうが多かったかな。次への課題です。
kodomo1.jpg
子ども音楽祭(ふぃっつより
tansurire-31.jpg
タンスリレー 四人で担いでも重い(ふぃっつより)

バランスを崩すとこうなります(ふぃっつより)
030726_344.jpg
小学校の鼓笛パレードです
030726_331.jpg
今年の農協のパレードは昔を語る?

本当に男女のコンビです
030726_261.jpg
町に伝わる伝説を山車に(大蛇退治の伝説)
030726_231.jpg
去年・今年の話題を仮装衣装にしまし

昔ながらの盆踊りスタイルで
030726_181.jpg
やはり子どもが踊る姿はかわいいですね
030726_17-61.jpg
今年の旅館の暑中見舞い状に使いました

このようにデコレーションした車もあります
030726_81.jpg
子ども中心のグループです
030726_71.jpg
女性の太鼓叩きも堂に入っていますね

ちょっとぼけてるけど踊り手の迫力感じます

ふぃっつより − 府中インターネット(http://www.fuchu.or.jp/)から借りました

ページTOPへ


7月20日

勉強します


 先月市の広報を妻が見て、
 「お父さん、こんなのがあるよ、応募してみたら。人のためになんかしてみたいと言っていたでしょう。」
と言って見せたのが広島県の主催で行われる障害者在宅ワーク支援研修会受講者募集の案内でした。
早速広島県のホームページを開き詳しい要項を見ました。それによると研修内容は、ホームページ作成で、基礎グループと応用グループのそれぞれ20名を募集していました。
 しかも私の持っているホームページ作成ソフトを使ってやると書いてありました。これなら私でもできるな、と思ったのですが、全県でたった20人、受講できるわけないや、とすぐには応募しなかったのですが、受講できなくて元々、一応応募だけでもしてみるかという気になり、締め切り間近にインターネットから応募しました。
 決定通知が届く予定の日になっても来ないので、ああダメだったか残念と少々落ち込んでいたのですが、数日後県から受講決定通知書が速達で届きました。それによると応募者が予想以上に多くて受講申込書に書かれている内容を審査して決定したとのこと。
 実は応募要項の中に次のような項目があり、それに対して私が応えたのを紹介します。
 ※ この研修に参加されようと思われたのはどうしてですか?
脳血管障害による体幹機能障害(2級)も併病しているが、パソコンは操作でき、自らHPも開いているが、もっと充実した実践応用を研修してHP作成の技能を高めたい。

 ※ この研修の終了後、どのような仕事がしたいですか?
小店舗のHPを作成し、小店舗経営の助けをしたい。

 ※ 仕事をするために、どのような活動をしようとお考えですか?
地元の福祉協議会と連携しながら、我が家が地元商工会議所に所属しているので、そこにもアプローチして在宅ワークをしたいと思っている。

 どこが良かったのかはわかりませんが、妻はもちろんですが家族も大喜びでした。入浴サービスをしてくださるヘルパーさんも喜んでくださいました。
 7月10日から早速始まりました。在宅支援事業ですから、講師が我が家まで来ての指導です。初日は私のパソコン環境を見に来られました。これから週一回11月まであります。一回の受講時間は3時間、けっこう長いです。
 17日第二回がありました。その成果が新しいデザインのトップページです。少しいじるだけでずいぶんとイメージも変わるものですね。学んだことをこれからも生かしていきますので、まだまだ変わっていくかもしれません。
 けっこう長丁場の研修になるので、健康に気をつけなければなりません。がんばるぞ。
ページTOPへ


6月19日

6月の「たんぽぽ会」

 愛犬『ハル』が死んで一ヶ月目、『ハル三世』が我が家にやってきました。二代目『ハル』が亡くなって寂しかったのと、防犯に必要なこともあり、妻と長男が県の動物愛護センターに研修を受けに行き、一週間後に譲り受けに行ってもらってきました。もらいに行ったときは私も連れて行ってもらいました。ちょうどこちらがほしいと思っていた雌犬がいて、かわいかったのとでもらって帰ったのです。
 もう、お座りができるようになりましたよ。私の声や顔を見るとビスケットがもらえると思うのか甘えた声を出すようになってしまいました。私が一番甘えさせてしまったようです。大事に育ててやらないと。

     ミニ運動会

 今月の「たんぽぽ会」は、ミニ運動会です。今月も妻が同伴してくれました。そこでデジカメと外部ストロボを持って行きました。いつも写真が光量不足になるので一眼レフ用のストロボをつけてみることにしたのです。ただいまのデジカメ対応でないので、手動で調節をしなくてはならないので、今回は試験のつもりです。妻がほとんど撮ってくれるので、思うようにはいかないとは思いますが、やってみることにしました。
 
 まず準備体操。いつもの脳卒中体操です。本気ですればけっこう汗をかきます。
 体操が終わるとチーム分け、私は黄・紫陽花チームです。

 最初の競技は玉入れ。主将(保健士さん)が相手方のチームの入れる籠を持ち、玉を入れさせないように籠を揺らすのです。2回戦しました。相手チームの主将は籠の揺らし方が易しいのでこちらは入れ易いばかり。一回戦は大差で我がチームの勝ち。2回戦は相手チームもがんばり互角でしたが、わずかに我がチームのほうが多くて連勝でした。

 次の競技は『これ、何だ?』目隠しして箱に入っているものを当てるゲームです。各チームから3人出て、それぞれ箱に入っているものにさわり、3人で何かを協議して一つの答えを出すのです。 そんなに変なものは入れてないはずなのですが、やはり見えないからか怖じ気づいてビクビクして触る人、周囲の人の声に動揺してなかなか触ることのできない人、こちらで見ているのはおかしいばかり、みんなも調子に乗ってはやしたてます。結局動揺して何に触ったかわからない人もおり、3組出て協議しましたが、我がチームが当てたのは一つだけ、惨敗です。

 最後は『パン食い競争』です。吊すヒモを用意していたのですが、ヒモが絡んで間に合わず、スタッフがパンを持っての珍しい協議となりました。
 でもこれが結構おもしろい。手で持っているのだからここぞと言うときに思うようにできるものだからパンを加えようとするものは大変。日頃の言動がものを言う?ようにも感じたりして。私はおかげ?でスムースにパンをくわえることができました。 中にはなかなかくわえさせてもらえない人もいましたよ。これはおやつも兼ねているので全員参加です。
 妻もやったのでカメラをむけたのですが、一瞬遅く(デジカメはシャッターを押して何分の一秒か遅れて写真が撮れるため)撮れた写真には妻の体の一部しか撮れていませんでした。
 スタッフがパン食いの時にはもっとおもしろかったです。それこそ日頃の恩返しとしか思えないような光景も。このときにはヒモの絡みも解けてふつうのパン食い競技に戻っていましたが、保健士さんの中にはなかなかくわえさせてもらえないため、あきらめの境地になる人もいたほどです。
 この競技にはパンに得点を記入してある三角くじが付いており、その得点の合計でチームの勝ち負けを競うようになっていたのですが、我がチームは低得点ばかりを取ってしまっており、大差で負けてしまいました。

 と言うことで勝負は圧倒的大差で我がチームは負けてしまいました。でも表彰式では『がんばったで賞』で、首に紙のメダルを下げてもらい、うれしそう。私もでしたけどね。

 後はパン食い競争で手に入れたあんパンでお茶。快い汗をかきました。
031.06.10-05.jpg
我が家の新しい仲間「ハル」三世です
031.06.10-02.jpg
どうです、鼻筋が通っているでしょう
031.06.19-01.jpg
ストロボが強すぎて、美人の保健士さんがゾンビ?
031.06.19-08.jpg
日頃の行いが良いせいか、割とわけなく取れました

ページTOPへ


6月7日


台湾から友達がメールをくれました


 5月24日の土曜日に、「愛犬ハル」の墓参りに行ってきました。大好きだったジャーキーとビスケット、それに花を持って。
 家から40分ほど離れた山の中にあります。動物霊園です。たまたま守をしている人が、私の同級生でした。
 やはり拝んでいると泣いてしまいました。でも、一つしなければならないことを終えてほっとしたのも事実です。一安心。家のためには一日も早く次の犬を探さないと。「ハル」もこのあたりに事情はわかってくれるでしょう。

 私の中学生からの友達で、現在大手企業に勤めていて、春から台湾に単身赴任している友からメールが届きました。
 私には関わりがないと思っていたSARSがすごく身近なものとしてとらえさせられたものですから、友のメールを載せさせてもらいました。


 ハルの件残念でしたね 動物も十年以上一緒に暮らすと家族と同様で居なくなることは非常に寂しいことですね。気を落とさないで次のペットを見つけて下さい。
 さてタイトルに・・・その3としましたがこのところのSARS騒ぎで休日の楽しみであった台湾歴史探訪も中断しております。
 4月上旬香港から墓参の為に帰国した台湾人の一人が台湾でのSARS騒ぎの発端らしく この人が入院した市立病院内で感染が始まり 瞬く間に院内に拡がり現在台湾内では81名の人が亡くなったとのこと。 台北市内では数箇所の病院が封鎖されておりますが 同市内に居りながら情報に疎いのが現状です。
 地元TVは朝からSARSのニュースを流しておりますが北京語、台湾語は聞き取れず スーパーの漢字の拾い読みで何とか判ったような感じ・・・と言った具合です。

 最近は事務所も定期的にビル丸ごと消毒するのが習慣になりつつあります。消毒の前日は机の上のPC、書類等を全て片付け 又消毒翌日の朝は机上の清掃から始まり まったく余分な仕事が増えて困惑しておりますが これもSARS騒ぎが終わるまでは暫く掛かることでしょう。
 先月は台湾の医師が関西方面に旅行し帰国後SARSと診断されましたが この同じ便にMHIの社員(三原)が乗り合わせ医者とは席がかなり離れていたそうですが 当局(衛生署)の指示により同乗者全員10日間の自宅隔離となりましたが 運悪くこの人は同じ宿舎(マンションM12階建で1フロワ3室)の小生の隣の住人でした。
 本件発覚後即同フロワの2人はHOTELに引越し不自由な(帰宅せず事務所よりHOTELへ直行)10日間を過ごしました。
 帰宅後部屋の大掃除、大洗濯、大消毒と2日掛けて実施しました。
 その後SARS疑惑の隣人は特に何も無かった様ですが自室(16畳程度の1ルーム)に10日間も閉じ込められた為 仕事をやる気力も無く帰国したそうですが・・・・
 一騒動が終わりヤレヤレと思う間も無く今度は自分の配下(日本・現地人合わせて7名)の現地STAFFが帰宅後急な発熱で病院に駆け込み体温が37.5度を超えたと夜間電話してきた。

 翌日は36度の平熱に下がり出勤の意志を伝えて来たが最近制定したMHI事務所規則で理由の如何を問わず病院に行った者は10日間の出勤停止となるが このことを総務担当が現地STAFFには連絡しておらず 又一騒ぎ有り。
設計進捗の遅れとSARS騒ぎに挟まって大変な日々です。

 ・・・・・以上のようなことでここ暫く連絡が途絶えておりました 悪しからず。

 下の写真は、我が町の池の端の公園へ6月7日妻と花菖蒲を見に行ったときの写真です。母も連れて行きたかったのですが、調子が悪いとかで一緒しませんでした。
031.06.07-07.jpg 031.06.07-06.jpg
031.06.07-03.jpg 031.06.07-01.jpg


ページTOPへ



5月15日


5月の「たんぽぽ会」バス旅行



 5月15日待ちに待った「たんぽぽ会」のバス旅行。今年で最後になるかもしれないので、どうしても行きたかったのが、雨が多少降ったものの行けたのでとても良かったです。
 行き先は、隣の福山市です。ホテルでの会食と、バラ公園の見学です。今年も妻が ついて行ってくれました。
天気予報では昼頃から雨となっていましたのでちょっと不安でしたが。集合は9時半、タクシーで集合場所へ行きましたが、もうほとんどの人が来ていました。皆うれしそうな顔をしています。まるで子どもの遠足の出発前のようです。
 保健士さんから今日の日程や注意事項を聞いて、トイレを済まし、バスに乗車。まともに乗ることのできる人は一人もいません。それでも人手を借りずに乗車できる人から乗り、一人では乗車できない私のような人は保健士や療法士の人たちの助けを借りて乗車です。中にはほとんど足の機能が麻痺しており自分で足を運ぶことのできない人は、抱えてもらい、足を持って運んでもらっての乗車です。乗車し終わるのに30分ほどかかりました。
 道中、今日をどんな気持ちで迎えたかを報告し合いました。私は「うれしくて昨日もよく眠れず、今日も早く目が覚めて睡眠不足です。今日一日思い切り楽しみます。バラ公園では深紅のバラを観たいです。」と言いました。ほとんどの人が私と同じような気持ちで今日を迎えたようでした。
 まずホテルに到着。バスから下車するのも大変です。障害者トイレが一階にしかないのでトイレを済まして、二階の食事会場へ。
 もうすでに準備ができていて、各自好きなテーブルに着き、さっそく昼食会です。ホテルなのだから洋食かバイキングといきたいところなのですが、何せ手の不自由な人も多く、自分で料理を取ることができないですから、食事は特注の会席弁当でした。何が特注なのかはよくわかりませんでしたが、私たちにあった素材を選んだのだそうです。普段は使わない箸を使って何とか食べました。
 食後記念写真を撮って、またバスに乗って今度はバラ公園へ。
 私たちが行ったバラ公園は前からある公園ではなくて、最近整備された公園の方です。こちらは、車椅子でも観やすいように角錐型にバラが植えてあり、スロープでずっと車椅子を押して行くとすべてのバラを観ることのできるようになっています。そのスロープもとてもなだらかにできているので、押す人も楽です。頂上には休憩所もあり、一周すると上からバラが見渡せるようにもなっています。
 公園に着く手前から雨が降り出し、バスから降りて観れるかなと思っていたのですが、運良くバスから降りる頃には小降りとなり、何とか観ることができました。しかも観ている間はほとんど雨が上がり、雨に濡れたバラもすてきでした。スロープを通っていてもバラのいい香りがしてきます。全体の開花は60%位だったでしょうか。フランス・イギリス・アメリカ・日本で作られた割合新しい品種のバラを集めているみたいでした。私の観たいと行っていた深紅のバラの花も大小合わせて幾種類かありました。やはり花を観るということはいいものですね。気持ちがなんだかすっきりと軽くなるような気分を味わいました。
 17・18日とばら祭が催されるので、その準備で忙しそうでした。私たちは特別に見せてもらったのだそうです。
 運のいいことに見終わってバスに乗る頃になって雨が本降り。間一髪というところでした。

 参加者全員満足そうでした。でも楽しみにしていた行事もあっという間におしまいです。お世話になった保健課の方々、保健士さん、療法士の先生ありがとうございました。来年からは行けなくなるのが寂しいです。
  
031.05.15-01.jpg
バスに乗り込むのも一苦労です
031.05.15-03-1.jpg
昼食前のいいお顔
031.05.15-17.jpg
何という名前か忘れましたが、これもバラです
031.05.15-14.jpg
天候が今ひとつでなかったので顔も時化目


ページTOPへ



5月3日


愛犬「ハル」が死んだ


 我が家の愛犬『ハル』が急死しました。
 2週間ほど前から変な咳をし始め、つばを吐いたりするようになり、「おかしいね、風邪でも引いたのか、花粉症なのかしら。」と妻と話していたのですが、22日に狂犬病の予防接種を受けたのが追い打ちをかけたようで、土曜日あたりから元気もなくなり、大好きなジャーキーをやっても喜んで食べようとはしません。飛びついてもこなくなり、何となくしんどそうにしています。
 火曜日には呼吸も荒くなり、ほとんど動かなくなってしまいました。夜にはいっそうしんどそうにするので、獣医さんのところに電話し、急遽医者へ連れて行きました。心臓が弱っている、酸素吸入をしなければならないということで入院させました。

 『ハル』が我が家にきたのは、1990年11月の末、私の勤めていた学校の子どもが通学途中で捨てられていた子犬を拾ってそのまま学校まで連れてきたのを、かわいそうに思って我が家に連れ帰った時からです。ちょうどその年父が亡くなり、母が寂しそうにしていたので、犬でも飼えば気晴らしにもなるかなと思っていたし、番犬がいてもいいかなと思っていた時だったのです。
 ところがしばらくして食欲が無くなったかと思うとある日突然口からいっぱいのギョウ虫のようなものをはき出したので、慌てて獣医の元へ。虫下しを飲み事なきを得たのですが、今度は春になり暖かくなっても体がよく震えている。ひどい時には舌が紫色になって、しんどそうにする。これまた獣医に診てもらうと、「飼い主に似るとは言うものの、この犬も先天的な心臓病を持っていますよ。まあ薬を飲ませば10年は生きてくれるでしょう。」と言われ、その日以来一日一錠の薬をずっと与えていました。

 私がこの病気になってからは、『ハル』に薬を飲ますものがいなく、結局それからは飲まさずじまいで来てしまいました。獣医さんも気にはしておられたようなのですが、家族が私に掛かりきりでそれどころではないのだろうと思っていたとのことです。

 入院させてからは少しずつ元気を取り戻し、木曜日には医者の許しをもらって散歩もしたので、もう大丈夫だろうということで4時半頃退院させ我が家に連れて帰りました。ちょうど私が医者から帰った時はいつものように出迎えてはくれましたが、もちろん元気はありませんし、飛びつかないし、しっぽも振りません。それでもビスケットをやるとやっと食べました。目にも正気がありません。今思うとお別れのつもりで食べてくれたのかもしれません。
 夜になるとまたしんどさがひどくなったのでまた入院させました。これが私の見た『ハル』の生きている最後の姿でした。
 5月2日金曜の昼過ぎ、獣医さんから電話があり、「あっという間に息を引き取った。」と『ハル』の死を連絡してくださいました。その時私は自分の心臓の薬一月分を一回分ずつにセットしていたところでしたが、頭の中に『ハル』と過ごしたいろいろな思い出が浮かんで来だし、泣き出してしまいました。
 妻と長男と3人お医者に行き、『ハル』との別れをしました。心不全ですから苦しんだ様子もなく、本当に寝ているような姿で死んでいました。お棺の中に『ハル』の大好きだったジャーキーとビスケットを供えてやりました。
 先生も「先生のところで飼われていなかったらとっくの間に死んでいたはずです。この犬は幸せ者でしたよ。飼ってもらったことを感謝していると思いますよ。」と慰めてくださいました。

 家に連れて帰ってやればよいのですが、明日(土曜日)から連休、それに家業の方も予約が入っておりとても忙しく、悪いけど『ハル』の後始末の世話をしてやれる状態ではないので、獣医さんのところからペット霊園の方へ直接お世話していただくようにしました。最後の別れをして、後は獣医さんに任せて後ろ髪を引かれるような思いで帰宅しました。
 家に帰って車を降りようとしたら、『ハル』が寄ってくるはずなのに、やはり寄ってくるものはいません。寝床と鎖・水入れが寂しそうにあるだけでした。それを見てまた泣いてしまいました。
 
 13年間私の心、家族の心を癒してくれて本当にありがとう。安らかに眠ってちょうだいね。

DSCF0224-01-11.jpg


ページTOPへ



4月10日


花見と4月の「たんぽぽの会」


      花見と「たんぽぽの会」

 好天に恵まれた4月3日、妻と弁当を持って花見に行きました。当初は母も一緒に行くことにしていたのですが、当日になって母は日曜日に自分は出かけるので、今日は我慢して行かないというので夫婦だけになりました。
 行き先は桜の木のそばでベンチのあるところといったら一昨年も行った児童公園しかありませんので、そこに行くことにしました。

 まずスーパーに寄って寿司弁当を買い、次に酒屋でビールを一缶とお茶を仕入れていざ公園へ。途中桜名所のお寺では紅白の垂れ幕までしての花見会が催されていたので、公園も人が一杯かなと思って上がってみると意外と少なくて、テーブルとベンチも空いていて思う場所が取れました。

 ここの桜はジャスト見頃。母も来れば良かったのに。さっそく弁当を開いて二人だけの宴会開始。近くで7人くらいの主婦グループが宴会をしていました。またここは児童公園なので子どもを連れた親子連れも結構来ていました。近くでは女の子が草を摘みながら『ままごと遊び』に興じていました。おじいちゃんおばあちゃんに連れられた小さな子がそばを通るたびに「あの子は嗣実(孫)くらいじゃね、いやちょっと大きいぞ。」など夫婦の会話。三脚を持ってきていたら、夫婦揃っての写真が撮れたのに残念でした。私が元気だった頃にはしてもいなかったことが、この病気になってからできるようになったのも何か複雑な感じです。

 きれいな空気と美しい景色、それにおいしいビール付き弁当、妻と二人でのゆったりとした一時が過ごせて良かったです。


 10日は「たんぽぽの会」本年度最初の会。今日は先月に続いて妻が最後までいてくれました。主治医の参加許可診断書や参加申請書、タクシーチケット発行申請書などを持って行きました。役所も人事異動があり担当者が数名変わっていました。物療士は同じ先生です。

 今日は最初の日ということで、参加者一人一人自己紹介を兼ねて本年度がんばることを発表することになりました。私は一年間休まず「たんぽぽの会」出席することと、入院しないことをがんばる目標にしました。
 来年度からは介護保険との関係で、介護保険利用者、その中で私のようにデイケアを利用し、リハビリ運動をしている者は対象外になるとのことです。ひょっとしたら「たんぽぽの会」出席も本年度が最後になるかもしれません。

 今日は風船バレーです。私は今までほとんどやったことのない前衛の右をしました。ブロックをしなければいけないと、両手をあげて賢明でした。とは言うものの80%ぐらいしか手は上がっていなくて、ほとんどの風船は私の手の上を難なく越えていきました。それでも何回かは私の手の網に掛かった風船もありました。
 後ろから見ていた妻も、上がりにくい手を必死で挙げている、がんばっているな、と見ていたそうです。ネット際の攻防がすざましく、大いに盛り上がりました。というのは、ネットに引っかかった風船は床に着かない限り足で防ごうが手で掴もうといいのです。それをさせじとネットも向こう側から風船を叩くという暴挙に出る人があり、その攻防がおもしろくて大いなる笑いを誘ったのです。審判も得点に繋がらない限りは見過ごしているのですからご本人たちはなお必死になります。
 結果は二試合とも私たちのチームが勝ってしまいました。

 来月はバス旅行です。隣町福山市のバラ公園に行き、バラを観賞してホテルでの食事です。ちょっと豪華ですが、私のように今年が最後のバス旅行になる人がいるというので奮発したそうです。病気をしないようにしなければ、楽しみです。

 最近私の通っているデイケアの運営方針に疑問を抱いています。施設を変わろうかとも考えていたところです。そんな折今度の話、どうしようかと迷っています。
 デイケアを始めた理由は第一に妻の自由な一日が持てるということでした。私がデイケアに言っている間は私のことを気にせずに自由に過ごせるからです。第二はリハビリ訓練を受けられること。第三は入浴できることでした。
 デイケアを続けたら来年度からは「たんぽぽの会」へは出席できなくなり、より多くの人との交流もなくなります。バス旅行なんてものもしなくなるでしょう。でもデイケアを止めたら妻の自由時間が無くなるし。まあ一年かけてゆっくり検討してみます。

030404-011.jpg 030404-041.jpg


ページTOPへ



3月13日

3月の「たんぽぽ会」


  ボーリング大会

 今月の「たんぽぽ会」は、ゲーム大会です。今回は妻もずっといてくれ、写真も撮れました。
 大会だからいろいろなゲームをやるのだろうと期待していたのですが、ゲームはたったの一種類「ボーリング」だけです。ピンを立てたのではありません。ボールが当たると得点を書いた棒が跳ね上がるようになっているのです。跳ね上げるだけの力がなくても当たったら得点になります。
 いつも通り体操をしてから、4グループに組分け。組得点対抗試合です。
 ボールを投げる位置からピンまで7Mほどです。もちろんピンの枠外はガーターです。ピンの中にはストライクもあれば0点もあります。しかもストライクの両隣が0点になっているのです。
 手の不自由な人が多く、スピードあるボールを投げる人は少なく、また立ったままで投げられる人も少人数です。多くの人が椅子か車椅子に座ったままボールを投げます。
 一人2球投げます。やはりボールがまっすぐ転がらず、枠から出てガーターになる人が多く、思ったほど得点は伸びません。
 第一試合私も第一球は見事ガーター。車椅子の向きが悪かったのでしょう。位置を変えて二球目を投げたら3点取れました。
 人数の調整上妻もゲームに参加。でもヘタッピー。3点しか取れませんでした。
 第一試合の結果は、私たちの組は29点で第二位。一組7人でこれだけの点ですから、いかに得点できていないかおわかりでしょう。最下位のチームはわずか14点でした。
 第二試合。みんなの気分も乗ってきて、応援も出てきました。ストライクが出れば拍手とどよめき、ガーターが出ると大きなため息。それに笑い声。
 私は昔やっていたボーリングを思い出して今度はボールを回転させての変化球。一球目はうまく決まって5点。ところが二球目は狙いすぎてストライクの隣の0点に見事当たり。結局5点止まりに終わりました。中にはストライクを取り、15点獲得した人もいました。
 第二試合の結果は、私たちは何と最下位。総合では3位でした。
 ゲーム後のお茶を飲んでいる時、本年度の皆勤賞の発表がありました。私は4月にジンマシンが出たため1回休んでいますので、準皆勤賞をいただきました。皆勤賞をもらったのは5人にも満たない人でした。本人が健康でいることも重要ですが、家族の人の協力がないとこれまた実現しません。本当に家族に感謝です。来年度も張り切っていこう!
 
030313-13-21.jpg
これがボーリングのピンです。
030313-12-11.jpg
真剣にボールの行方を追っています。
030313-07-21.jpg
「やったー、ガーターだ。」
030313-01-11.jpg
今度はいい点を取ってやるぞ。

ページTOPへ



3月3日


孫がやってきた


 3月1,2,3日と孫を連れて娘夫婦が帰省してきた。途中神戸に寄ってきたので、我が家に着いたのは午後6時を過ぎていました。ちょうど私は昼寝から目覚めたところでした。自分の部屋から食堂へ向かっていると、さっそく「ワア〜」という声が。妻の母が声をかけたとたん泣いたようだ。でも自分たちの部屋で一息ついてから食堂に降りてきた時は機嫌が直っていて、私の顔を見てニコッとしてくれる。
娘が「ジイジだよ、府中のジイジ。」というと、「ジイジ」といってくれる。ああ、何ともたまらない。やはり血が繋がっているからか、人見知りせずにすぐなついてくれました。
 孫の食事時間に会わせて早めの食事の始まり。来る間中孫は機嫌が悪くて、車の中で泣いてばかりいたそうですが、今は機嫌良く食べています。もう自分でも食べることができ、スプーン・フォークをうまく使っていました。大人は食べることより孫を見るほうが忙しく、食事もなかなか運びません。婿さんも我が子の自慢話、いいことです。婿さんが連日の仕事と今日の車の運転で疲れているので、夕食会も早めに切り上げ。でも孫はちょっと興奮したのか、元気いっぱい。色の名前が言えるので、冷蔵庫につけているマグネットのカバーの色当てをしたり、踊って見せたり、大人を喜ばしてくれました。
 ここまではよかったのですが、自分たちの部屋に戻りお風呂の準備をしている時、ガスストーブに当たり右手の平を火傷をしてしまったのです。すぐに冷やしたのですが、やはり心配。夜間病院へ連れて行きました。何せ小さな手ですから手当をしてもらって帰った時の手は、包帯で手が包まれているようでした。でも病院に連れて行っていてよかったです。夜は結構よく眠ったとのこと。

 2日目、天気もよく暖かな日でしたが、孫も病院へ行かなければならず、結局病院の帰りに妻が大型店舗に娘と孫を連れて行っただけに終わりました。早く病院に行ったからか、孫は痛がらず安心しました。
 今夜も早い夕食。今日は婿さんも疲れが少し取れたのか、ゆったりしていました。大人は相変わらず孫のする様子を眺めては笑っていました。孫も大人が喜ぶのを知ってか、結構ポーズを取るのです。そして大人を喜ばせるのです。お休みする時はバイバイをしてくれました。

 早くも3日目、帰る日になりました。病院によって帰るので早めに家を出なくてはなりません。最後、私の膝にだっこしているのを写真に撮ってお別れです。今度はいつ会えるのでしょう。夏に来てくれるかな。
ページTOPへ



2月23日

玉川大学合唱団OB会


 学生の時のクラブ活動は、混声合唱団に所属していました。
 私が2年の時からずっと今まで常任指揮者だった高森先生が、この度退官されることとなり、OBが集まっての『高森先生を囲む会』が2月22日催されました。
 案内をもらったので参加したいと妻に相談をかけたら、旅館のこともあるのでもし長男が連れて行ってくれるのならいいよ、ということで会の前後二泊三日で参加することにしました。結局は妻の都合がつき、妻と行くことになりました。
 
 会の会場は、二年半前に宿泊したことのある小田急ホテルセンチュリー相模大野です。早速ホテルの予約をして、宿泊所の確保(このホテルには障害者に対応している部屋があるのです)、トラベルエージェントに新幹線の手配を頼みました。もちろん新幹線は障害者用の指定席です。ちょうど一月前だったので、うまい具合に予定列車の指定も取れました。

 この度は友達に迷惑をかけないよう、新横浜から横浜線に乗り換えて町田まで行き、町田から相模大野までタクシーを利用するように切符もそのように手配していたのですが、友人に参加することを伝えたところ、前回と同じ友人がやはり新横浜まで迎えに来てくれるとのこと、好意に甘えることにしました。
 また座間市には、大学の通信教育部でアルバイトしていた時に大変かわいがってくださった方Sさんがおられるので、私が行くことを伝え、お会いすることにしました。30年ぶりくらいの再会です。
 それから私には姉妹がいて、姉が平塚に、妹は都下西大井にいます。せっかくの機会、会うことにしました。いずれも私が動きにくいので、ホテルまで来てもらいます。


 21日、タクシーで福山駅まで。福祉タクシーチケットが利用できるので、それを使わせてもらいました。事前に連絡してあったので、駅職員がホームまで連れて行ってくれました。
 新幹線は障害者用の個室です。周囲に気兼ねすることなくゆったりとした気分で乗ることができました。
 予定通りに新横浜に着くと、友人がホームまで迎えに来てくれていました。この駅にはホームにエレベーターがあり、JR職員が迎えに出てくれエレベーターで改札口まで案内してくれました。
 友人の車でホテルまで。彼も仕事があるのでゆっくりできなくて、私たちを送ってくれたら、すぐ帰ってしまいました。

 Sさんとは6時に会う約束でした。フロントから連絡が入り、大急ぎでロビーに向かいました。
 エレベーターから降りロビーのソファーを見ると、変わっていない昔のままのSさんの姿が目に入ってきました。頭が白くなっているのはお互い様ですから。目があったとたん感激して泣いてしまいました。しばらくお互いの今の様子などを話してから、夕食を一緒にしようということで食堂街に行きました。フロントにでも聞いておけば良かったのですが、和食の店がない。確か前来た時は和食の店があったのに。さんざん歩いた結果、パスタの店で夕食を。後でわかったことですが、和食は一つ上の階にありました。
 しゃべり方も昔そのままのSさんでした。「あなたがこうなったから今日会うことができたのですよ。あなたが今現役だったらこの時期忙しくて出てこれなかったことでしょう。」と言われ納得。
Sさんとの昔の思い出話を妻もうらやましそうに聞いていました。今Sさんは第2の人生を歩んでおられます。とても充実しておられるようでした。
 楽しい語らいも時間はすぐ経つものです。店を出たところで記念写真を撮り、駅の改札口までお見送り。今度はいつ会えるのでしょう。


 22日、会の当日を迎えました。会の始まる前に姉妹に会うことにしています。妹は私と同じ大学の短大出身で、クラブ活動も同じ合唱団でしたので、この日の会にも出席します。ちょっと午前中は用事があって姉妹そろって昼食は取れないものの、会の始まる前に会うことにしていました。
 11時半頃姉がやってきました。妻を含めて3人で食事会。母の様子なども話しました。食後は部屋に戻って、妹の来るのを待ちました。私は少し疲れたので(昨夜疲れすぎてかなかなか寝付けなくて睡眠不足)、ベッドに転がっていましたが、姉と妻はしゃべり通し。
 1時半頃妹も合流。3人揃うのは去年の父の法事以来。女3人よくもまあしゃべること。私のしゃべる隙間などないほど、おかげで私はベッドに転がったまま3人の話を聞いていました。
 会の受付時間になったので、姉とはロビーでお別れ。姉もよく訪ねてきてくれました。

 姉と別れて妹と私たち3人は『高森先生を囲む会』の会場へ。受付に行くとすぐに私を見つけて同期生の受付の人が「いらっしゃい。」と握手を求めながら出迎えてくれました。そして名札をつけてもらい、会場の仲間で案内してくれました。しかも混声合唱ですからパートごとに座るようになっており、私はテノールでしたから、その席の前列に案内してくれました。
 会の始まる前に私の2年先輩で学生指揮者でもあった人が段に上がり「ハロー、ハロー、ハロー、ハロー。」と音取りをしてタクトを振ると、ぱっと250人の声が一つになって合唱の始まりです。それを聞いたとたん39年前にタイムスリップしてしまいました。声を出して歌えない私も頭の中で旋律を奏でながら、口だけは開けて声にならない声で歌いました。そして感激して泣いていました。
 いよいよ会の始まり。高森先生の登場です。先生は髪が白くなった他は昔の面影のまま。しゃべり方も指揮の仕方も、ピアノの弾き方も全然変わっておられませんでした。
 先生は、日本音楽会では有名な成田為三氏の孫弟子になられます。私たちの合唱団に迎えた時はまだ20代、若さとバイタリティーに満ちあふれておられました。指導の仕方もそうでした。合宿の時などは、私たち学生とまるで同じように振る舞われる時もありました。
 年に一度の定期演奏会。それに東京六大学混声合唱団に所属していましたので、その定期演奏会が年一回。そして各種施設への訪問演奏会。その他学長の要請で、学長の講演会に呼ばれて歌うこともありました。東京六大学混声合唱団の演奏会では、一流の指揮者を呼んでその指揮で合同演奏していました。
 高森先生の思い出を込めたお話の間に歌を挟んでの90分はあっという間に過ぎてしまいました。私の知らない歌も数多くありましたが、それでも楽譜で旋律を追いかけながら一生懸命頭と心の中で歌いました。最後ベートーヴェンの第9を歌っている時には、音の高さは違っていましたが声を出していました。妻も歌ったことのある曲は歌っているようでした。
 第2部のパーティーの始まる前、次々と先輩や後輩・同級生に会いましたが、私を覚えていて親しく声をかけてくれました。
 パーティーでは、当時の思い出に花が咲き、本当に楽しい一時でした。立ち食パーティーだったので、私がスムーズに動けないのを見越して、料理を運んでくれたり、気も遣わせました。妻も2年半前に会っている人もいるので、結構楽しそうに語らっていました。
 会の終わりに250人の集合記念写真です。集まっている間に私は高森先生と直に話をする機会に恵まれました。「病気に負けないでがんばってください。」と励ましの言葉をいただきました。しかも写真を撮る時の位置は、何と前列中央・おこがましくも先生の隣、車椅子が幸いしたのです。感動の至りでした。
 会の後、同輩と一年後輩の仲間で二次会をするということで、私も連れて行ってもらいました。そこでは今の合唱団の現状を知らされました。部員数が少なくなっているそうです。私たちの頃は5,60名はいたのに現在20名ほどとのこと。大学の目玉商品でもあったのに。時代の推移を感じました。今年は40周年記念の年なのですが(正式結団です。その前からあったのですが、学長が歌を歌うのは全人教育の一環だとして合唱団の結団には否定的であったため、正式に承認されたのが遅かったのです。)。
 私たちが団員だった頃が最高だったのかもしれません。第1回の定期演奏会を私が1年の時、成人の日に開いたのですから。
 名残惜しいけど、時間が経つのは早いもの、みんなともお別れ、再会を約してみんなと別れ、明日も送ってくれる友人夫婦が補ホテルまで見送ってくれました。
 今夜も興奮して12時過ぎても眠れませんでした。

 23日、いよいよ最後の日。朝食後は荷物の整理など、少しゆっくり過ごし、11時頃友人が迎えに来るまで待ちました。11時にロビーにおりました。
 ところが11時半になったも来ないので携帯に電話すると「少し遅れる。」とのこと。しかし12時近くになっても来ないので、間に合わないようだったらタクシーを呼ばなければ新幹線に間に合わなくなると思い、また電話すると、もう着くという。しばらくしてやっと彼が来る。聞けば途中で財布を忘れていることに気がついて、引き返していて遅くなったとのこと。道路が混んでいないので間に合うだろうということでしたが、新横浜に着くまで冷や冷やもの。無事間に合うようには着いたのですが、駐車場が混んでいて、友達とは駅前でお別れ、ちょっと名残惜しかったです。
 おかげで無事新幹線にも乗れ、福山駅にはタクシーが迎えに来ていてくれて、予定通りより早く帰宅することができました。
 この度も多くの人にお世話になり、楽しい2泊3日を過ごすことができました。感謝しています。今度はいつ会えるか。次回が楽しみです。

2.jpg 030222_14.jpg
昔と変わらない先生でした
030222_04.jpg
 右端が私。必死で楽譜を見ています。
030222_08.jpg
同期生と一緒に
030222_15.jpg
250人。はみ出ています
030222_16.jpg
みんな楽しそうでしょう。

   

ページTOPへ



2月13日

2月の「たんぽぽ会


     「風船つき」

 2月13日「たんぽぽ会」でした。
 最初は今日妻も同席することにしていたのですが、次男が帰って来るというので居てやりたいから同席しないというので、送り迎えだけはしてもらいました。やはり旦那と子供といったら、妻は子供を選択するのですね。

 今日のメインイベントは「風船つき」というゲームです。
 参加者は25名。まあまあかな。まず保健士さんから“花粉症”の予防の話があり、準備体操、それからゲームです。

 まず参加者を4チームに組み分け。私は第3チームです。
 ゲームのルールは、田の字のコートの中にそれぞれ4チームが陣取り、風船をうちわで扇いだり叩いたりして敵陣地に入れ込み、風船を床に落とすのです。もちろん3チームが敵になります。床に落としたら得点になるので、得点が少ない方が勝ちになります。
 私は2週間ほど前から利き腕の右の方が痛くて腕が上がらないので左手でしなくてはなりません。しかも左手のほうが麻痺が強いので、思うようには動かないのですがしかたありません。
 
 試合開始。暖房を効かしてあるせいか、風船はよく上に上がります。天井にくっついて降りなくなり、杖で振り落とさなければならない場面もたびたび。ところが床上50センチぐらいまで風船が落ちると、ストンと床まで風船が落ちます。気を付けなければ。

 はじめは我がチームも成績良く、一位か二位でした。やはり暖房の影響があるのか、第2チームのところに風船が集中して行き、ミスを誘って得点を重ね、圧倒的に最下位。その反面、第4チームはほとんど風船が来なくて得点も少なくダントツ一位。この時点の頃我がチームは三位に後退していました。
 そこで3チームが結束して風船を第4チームに行くようにし向けました。効を奏してか、徐々に第4チームが得点を重ねるようになり、一見作戦は成功したかに見えましたが、その隙に第1チームが一位に浮上。コーチ役の保健婦さんほくそ笑んでいました。
 私も左手では間尺に合わないので、つい右手を使いましたが、やはり痛くてうちわを左手に持ち替えて必死に風船を追いかけました。

 試合が終わってみれば、やはり第1チームが一位、二位は我が第3チーム、後半集中攻撃を受けた第4チームが三位、前半攻撃を受けた第2チームは後半も得点を重ね、最下位となりました。

 うちわを使ったゲーム、夏ではなくて冬にやるところがおもしろい。みんな明日は腕が痛かったり、首が痛くなったりするのではないかな。どうも勝負事になると、ついつい本気になってしまいます。

 今日の茶菓子は桜餅、やはり運動をした後のお茶とお菓子はおいしいですね。昔は甘いもの大嫌いだったのが、この病気になってから口が変わったのか、結構おいしいと思って食べられるようになりました。

ページTOPへ


1月9日


 「たんぽぽ会」新年会


 今日は新年会です。そして妻も同行。新年会と言っても双六ゲームですけど。
 出席者が26人だったので7班に分かれてのグループ競技です。瀬戸内沿岸一週めぐり双六かな。
 途中の駒には、「もし今度異性であるとしたら何を一番にしたいですか?」「貴男の初恋の年はいくつ、相手はどんな人?」「童謡を歌いましょう」「富士山の頂上で何を言いたいですか?」や「振り出しに戻る」「三駒進む」「望み通りに」などの札がおいてあります。
 私は7班の第2組。1名不足なので妻が4組に加わりました。
 おもしろかったのは、どの班にも最初の班のでは3回も「振り出しに戻る」を当ててしまい、一位の人がゴールするまでにわずか5駒しか進めなかった人が出ました。そうすると次の班でも2回続けて「振り出しに戻る」を出したことです。そうすると後の班にも必ず2回以上続けて「振り出しに戻る」出した人がいたことです。
 私は、「童謡を歌いましょう」を当てて『たき火』を歌いました。とは言ってももちろんチャンとは歌えないのですが、みんなと一緒に歌いました。最初は一コマしか進めなかったのですが、次に「三駒進む」を当ててからは順調に駒を進め、2位でゴールしました。
 「貴男の初恋の年はいくつ、相手はどんな人?」を当てた人で、男性は素直に白状していましたが、女性は「忘れた」とか「主人」とかごまかしていました。
  私の班は、まあスムーズな勝ち方をしました。一組目と私がゴールし、後の二組もそこそこの得点をあげ、総合2位になりました。
 
 例年正月三ヶ日にお餅を食べた個数を言うのですが、何と15個の人がいました。すごい。ちなみに私は5個でした。

 今年一年健康で休まず「たんぽぽ会」に出席できますように。
 
031.01.09.jpg
「童謡を歌いましょう」
030109061.jpg
「はいはい、3駒進んで」
030109-09-11.jpg
4の数字が出ますように
0301091.jpg
いいのが出たぞ、そら行け!


ページTOPへ          HOMEへ